東日本大震災から12年を見詰める | 百鬼夜行の幻想鏡

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宮城県の和風ホラーミステリー映画監督、脚本家、男装俳優である銀傘(ギンカ)のブログ

エフエムいわぬま【逢魔時の百鬼夜行】メインパーソナリティ
映画制作や上映会を展開する個人ブランド【プロジェクト・ギンカ】代表
映画制作団体【百鬼夜行の幻想鏡】代表

ブログをご覧頂き、ありがとう御座います。

 

本日、2023年3月11日は、僕が当時「死んだ方が楽だった」と思う程の地獄を味わった、東日本大震災から12年の節目です。

 

僕は地元、沿岸の被災地へ帰りました。

実家のあった部落は家屋の解体工事と道路の嵩上げ工事が進み、全て更地になった為、最早、震災前の街並みはありません。

 

部落の入り口も原形がありませんが、僕はなにもない風景に懐かしさを感じ、帰省本能で帰る事が出来るのです。

なにもない道のりを海の方へひた走ると、小さな傾斜があります。

 

若かりし頃、180SXと言うスポーツカーに乗っていた僕は、実家に帰る度、この傾斜でバンパーを擦ったものです。

 

実家跡地は、福島第一原子力発電所から20キロ圏内をかろうじて外れていますが、もう移住の出来ない見捨てられた土地です。

もう何もありません、ただの荒野です。

 

かつては海と自然に囲まれた、のどかな生活がありました。

 

家族が居て、帰る場所がありました。

 

震災の津波はそれ等を全て奪い、地獄絵図に変えて去って行きました。

 

震災に伴う福島第一原発事故は、故郷に帰る事を決して許しませんでした。

 

もう誰も帰って来ない被災地で、一人、お線香を手向けました。

かろうじて残る献花台、それも忘れ去られ、荒れていました。

 

斜め向かいの家は、献花台が雑草の中に消えていました。

かつて僕がさした花立てが、ポツンと空虚に感じました。

 

実家のあった場所には、消火栓が残されています。

もう誰もいない荒れ地に不釣り合いな消火栓、これこそ実家の目印です。

 

残念な事に、至る所にゴミが不法投棄されていました。

死者を尊ぶ被災地に、心無い事をする者もいたものです。

 

僕が被災者として、なにか自分の手の届く範囲だけでも、小さな復興支援活動が出来ないかと思い、たった一人で震災復興を兼ねた映画制作を始めて、9年が経ちました。

 

映画制作に掛ける思いは今も変わりありません、震災で心を痛めた方々に楽しんで頂く為に、そして福島第一原発事故が原因で人離れの進む東北に、今一度、人々を呼び戻し活気を取り戻させる為に……

 

僕は歴史的観光地や、文化財に指定されている温泉宿等をロケ地に利用して映画を作っており、僕の映画を見た方が「ロケ地(東北)に行ってみたい!」と思って頂く事が目的です。

 

僕の信念はどんなに活動が大きくなっても変わりません、僕は初心を忘れません、何故なら僕は被災者だから、この悲しみは永遠です。

 

僕達被災者に取って、東日本大震災はもう12年、まだ12年です。

 

津波の映像を見ると涙が出ます、福島第一原発事故の映像を見ると、決死隊を作ってまで日本を救って下さった方々に感極まって涙が出ます。

 

僕は震災当時、福島第一原発が爆発するのを見て「ああ、死ぬんだ」と思いました。

 

それは、絶望の底に手をついた瞬間でした。

 

なにもかも終わったと思いました。

 

福島第一原発事故は、僕達、仙南に生きる人間に取っては、決して他人事ではなかったのです。

 

僕は絶望の底に手をついて、震災自殺をしようと決心しました。

 

しかし僕は、故郷の思い出に心を救われ、戻って来ました。

 

僕はそれからずっと、死ぬ日を探して、人生を走り続けています。

 

僕は福島第一原発事故の後、震災による食糧難を経験して、放射能を浴びた食材を食べた事で、内部被爆をしています。

 

あの日からもう、死ぬ覚悟は出来ています。

 

それでも、若くして震災関連死をした実母に「お母さんの分だけでも、もう少しだけ長く生きたい」と言っています。

 

僕は「趣味も10年続けば仕事」と聞きます。

 

僕は震災復興を兼ねた映画制作を「仕事です」と胸を張って言えるようになるまで、あと1年頑張ります。

 

本日、テレビでは朝から多くの局が、東日本大震災の特番を組んでいますが、中には震災とは関係無いドラマやバラエティー番組もあります。

 

もうこうして、震災に触れない娯楽番組が放送出来る程、東日本大震災や福島第一原発事故は過去の事になっており、被災者ではない人々の記憶から薄れているのです。

 

なにも無理に震災を見詰めなくても良いと思います。

 

悲しい事から目を背けて生きて行く事は、一つの手段です。

 

ただ、福島第一原発事故から日本を救ってくれた方々の存在だけは、忘れないで欲しいです。

 

僕は今を見詰めます。

 

まだ12年、もう12年。

 

津波や原発に怯えた日々を、昨日の事のように垣間見ます。

 

忘れません。

 

この悲しみと感謝は、僕が死ぬまで続くでしょう。

 

僕はこれからも、残り短い人生を全うします。

 

今年は震災から12年目に思う事を綴らせて頂きましたが、何年経っても僕の思いは変わらない為、過去のブログと重複している点があります。

 

衝撃的な写真や文面がありますが、過去のブログもご覧頂けると幸いです。

 

【閲覧注意】東日本大震災から9年の節目

 

【閲覧注意】東日本大震災から10年~あの日々を顧みる~

 

東日本大震災から10年の荒野を歩く

 

東日本大震災から11年目を生きる

 

最後まで読んで下さり、ありがとう御座いました。

 

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