父が病気になった。病名は筋萎縮性側索硬化症

父が病気になった。病名は筋萎縮性側索硬化症

難病をわずらってしまった父。闘病、その周りのことをつづります。

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数日ぶりに父の付き添い。
昨日からの予定だったけれど、台風の中、山道を車で出掛けるのは危険なので1日遅らせた。

父は前回に会った時よりも調子が良さそうで、トイレにも歩いて行くようになった。足取りは以前よりもおぼつかないが、気力が出て来たのはとても良いことで、私も嬉しく思った。
食事は胃ろうだけれど、飲み物を飲める許可が出た。病院でもおやつとして、ジュースが出るようになった。口から飲むのだけれど、飲み切れない分は、胃ろうする。
今日はマンゴージュースだ。マンゴージュースなんて、そんな一般的とは思えないのだが、栄養価が高いとかか。私の時は、オレンジ・ぶどう・りんご、と定番ものだったのに。

加えて、自分で飲みたい物を買って来て飲んでも良いらしい。昨日まで、牛乳・飲むヨーグルト・スキムミルク・アイスクリームを少しずつ口にしていた。ここに、私が豆乳を追加した。父の好物の1つなのだ。
何を口にしても、美味い、美味いと言っているが、とりわけアイスクリームが気に入っている。夕方に一度食べたのに、夕食直前にまた食べると言い出した。飲むヨーグルトも一緒に。お腹が空いていたのだろうが、直ぐ食事が始まる為、食べ過ぎで吐かないように数口のみにさせた。
きっと、一度は食べ過ぎて吐くことはあるだろう。

口から物を入れた後、やたらゲップをしている。胃ろうしている食事も液体なのだけれど、口からだと空気を飲み込みやすいのか。それにしても多い気がするが。一回に50cc程度しか飲ませてないのに。上手く嚥下出来ないとこうなってしまうのだろうか。
二時間経った今も、ゴフゴフ言っている。


お尻が痛いとよく言うようになった。
床擦れが心配だ。
横になっているときは、時々体の向きを帰るようにしているが、良くなっている感じはしない。床擦れ、避けられない物なのだろうか…

父の風貌が随分と変わってしまっていた。


私が帰国した時、父は入院中だったため、空港から直行した。大きな荷物を背負って。

ベッドに横になっていた父の病衣から出ている部分、首やすねが顕著に細くなっていた。私に挨拶をするために挙げた腕も頼りない。物を持てないんじゃないかと思わせるような手首。そこから肘までは殆ど太さが変わらない。膝から足首の間にふくらはぎと呼べるような部分も見当たらない。

筋張っていると言うよりも骨の周りに一層肉を巻いただけのようで、メリハリがない。痩せているのとは、違う。筋肉が無くなって行くとこう言う感じになるのか。


腕や足が細くなって関節が目立つ。膝は丸く残り、手足もやたらと大きく見える。その手足も締りがなく見える。動かした時に見える筋も認められない。それも筋肉と一緒に消えてしまうのだろうか。


肩、背中、あばらも骨が浮き出ている。お腹は女の子がうらやましがる状態以上にぺちゃんこだ。

頭は、顎の骨がのラインがそのままフェイスラインとなり、顎と首の間は上向きにえぐれてさえする。昔より丸顔になってしまった。長方形のイメージだったのに。 後ろからは、どこまでが頭蓋骨で、どこに頚椎が繋がっているのか伺える。縦方向に短くなった分、横から見ると後頭部のある、結構かっこいい頭の形に見えたりする。

顔はややこけている位の印象で、まだ以前の面影を残している。これは骨格が変わらないから当然か。



現在入っている病院に入院した時に体重を測定した。

着衣の上、車椅子に乗ってなので大よそであるが、40kgであった。ベッドの上で移動させたりするときに重かったので、もっとあると思っていたので驚きだ。もっとも、40㎏を軽々持ち上げられるかと言うと否なのだが。

父にはまだ、立ち上がれる位の筋肉はあるが、病気が進んでいけば、その内にお姫様抱っこが出来るくらいに軽くなってしまうのだろうか。

父に私が昼間に出かけることを伝えると、帰りに何味でもいいのでグミを買って来いと言う。

昨日のリハビリで味わったのがよっぽど美味しかったのだろう。


昨日にも梅味のグミを買ってきてくれと言われたのだが、病院の売店にも近所のコンビニにも売っていなかった。

梅味のグミなんて私は食べたこともなく、存在も知らない

リハビリで使われたものが、わざわざそれ様に作られたた物とは思えず、市販されているとだろうとネットで調べてみた。十種類以上も発売されている。

しかし、寄ったスーパーでは梅味は売られていなかった。仕方なく、他の味のものを買って帰った。

やはり、マイナーなフレーバーなのではないか。


母と付き添いを交代することになったので、家に帰る途中のスーパーを見てみたら、梅味のグミが数種類もおかれていた。内、一つを買った。今度、病院に行くときに持っていこう。

そして、私も味見をしてみよう。その辺で見つからなかった理由が分かるかも知れない。

















言語療法士による嚥下の訓練。
私が居合わせるのは初めて。

飲み物ならば口に出来るとのことで、療法士に何が欲しいかと聞かれた父は、色々ある、たくさんある、と答えていた。
オレンジジュースを与えてみることになったけれど、手術跡の具合を医者に診てもらってからと言うことで、残念ながら今日はお預けとなってしまった。
今回は麦茶をスプレーで、梅味のグミをガーゼに包んで用いられた。麦茶をもっとくれと催促し、グミはガーゼが破れるほど噛んでいた。美味い、美味いと言いながら。
声は出ていないけど。
中1日をおいて病院に戻ってきた。
母と付き添いの交代だ。
しかし、こんなずっと家族を付き添わせている患者もそういないだろう。

昨日に自暴自棄になりかけていた父は落ち着いているようだ。手術直後で、疲れや痛みのせいで、辛かったのだろう。
一昨日とはうって変わって、随分と顔色も良くなっている。締まりのない顔つきも、以前の様に戻っている。入院日前後には殆んど書かなくなっていた日記も再び書き始め、ベッドを起こした状態から手助け無しで上体を起こせる様になっていた。
ただ、人工呼吸機はつけたままだ。昼間には外していたようだが、息苦しいと言って私が到着する午後四時辺りに最装着した。母は、気持ちの問題だと言っていたが、本当にそうであって欲しい。

術後の傷は、未だ唾を飲んだ時には痛むらしい。それでも、痛み止めは手術した日に使っただけだそうだ。
外側の傷の出血も止まり、腫れも大きくないので順調に治って来ているのだろう。痰に混ざっていた血も今日にはなくなっている。

驚いたのが、痰が殆んどでないこと。手術前は肺炎だったこともあるが頻繁に吸引していたのが数時間も平気である。早くも手術の効果か。
その代わり(?)か、鼻水が出た。しかも、普通ではないようなジェル状の。薬か何かの副作用か。看護士に言うのを忘れてしまったので、明日に聞かなければ。

痰が気にならないお陰か、就寝時間の後もおとなしくしている。
ゆっくり寝られるといいなぁ。

昨日の手術は無事に終了した。

10時に手術室に向かい、病室に戻ってきたのは2時頃だった。

事前の執刀医の話では3時間程度と言っていたので、13時半になっても何の音沙汰もなかった時は、嫌な想像をし始めてしまった。命にかかわる様な危険な手術ではないと分かっていても、知識がないだけに色んなことを考えてしまう。


2時近くになって、手術終了の知らせが入り、10~15分でスタップ数人に囲まれながらベッドに寝かされた状態で戻ってきた。執刀医も一緒だ。


人口呼吸器のセッティングもあり、あまり広くない病室に多くの看護士たちが右往左往し、少し物々しい雰囲気となった。廊下を車椅子でうろうろしている入院患者も何事だろうと足を止めていた。

間もなく、廊下で待っていた私と母のところに執刀医が手術の経緯を説明しにやってきた。


手術は問題なく進み、呼吸の補助も終盤に必要としたくらいだったそう。

以前にした気管切開の為に開けられた穴と今回の手術箇所の声帯との距離があったため、以前の穴は閉じて声帯側に移動させたのだそうだ。

人工呼吸器は取りあえずは明日の朝までつけてことになった。


無事に終了して何よりだったが、咽の傷口からは出血していて、なんとも痛々しい。縫合用の糸が黒いのがそれを助長している。

父は少し顔色が悪く、顔の筋肉に締りがなくなっている。局部麻酔だったが、その影響か。表情は作れているが。

手術が大変だったかと聞くと、「まあまあ」と答える。割りとしんどかったのだろう。少しの苦痛なら、他人がいる手前、大丈夫だったと言ったはずだ。



夕方、麻酔が切れてきたようで、咽の痛み訴えてきた。

つばを飲むたびに痛いそうだ。なん針かは縫っているのだし、それは痛いだろう。


私も子供の時分に扁桃腺を切除して縫合した。手術をした夜はつばを飲度に物凄く痛み、血が混じったつばをタオルに吐きながら、あまり寝られずに過ごした。勝手に涙が出るくらい辛かった。どの位の期間、痛んいたかは記憶にないが、翌日か翌々日には流動食を出されていたので、その時は痛くなくなっていたのだろう。オレンジジュースは染みて飲めなかったけれど。


父には痛み止めを投与してくれているようなので、あまり痛みを感じずに過ごせるだろう。

来週には流動食が始まるはずだ。




昨日に母と付き添いを交代するはずだったが、情けないかな朝に病院で気分が悪くなってしまった私は自宅に帰ることにした。

今朝、母から電話があった。
病院へ来てくれないかと言うのだ。付き添いの交代予定は明日だった。

父が夜の間にも呼吸器を取りたがり、動けなくなってしまうことに絶望を感じているよう。今後も呼吸器は着けないと言い出している父を私に説得してもらおうと思っているのだろう。

しかし、私としては、生と死の選択は父の意志を尊重したい。

体を動かせないのに意識だけはしっかりとある状態。全く動く部分が残らなければ、苦痛を訴えることもできない。闇の中で辛い時間を過ごすこととなるだろう。
おまけに父は耳がかなり遠くなってしまった。話し掛ける時は、ゆっくり話さないと聞き取れない。ただ、小さく聞こえているだけではないようだ。
聴力だけでどの程度楽しむことができるのか。

一方、人工呼吸機を着けない選択をした場合も苦痛を感じない訳ではないだろ。時間ははるかに短いとは言え。

ただ、家族としては父の存在が重要なのだ。
それは、伝えるつもりだが、泣かないで言える自信はゼロだ。



ついさっきに父は手術室に入って行った。

本日に声門閉鎖の手術なのだ。
私は先ほど病院に到着し、間もなく執刀医も病室に姿を見せた。
今朝の採血の結果、手術の際の変更点を知らせに来たのだ。少し神妙な顔つきである。

採血の結果、血中の二酸化炭素の値が高くなっているそう。呼吸が苦しくなることはないだろうが、頭がクラクラしたり、ボーっとすることがあるかもしれないので、術中後に人工呼吸機をつけることになるそうだ。
病院から主治医に連絡を取ったところ、ここでの入院中も夜に人工呼吸機を装着するなり、場合によっては前の病院に転院の可能性もある。
家庭用の機械をこちらでも使用するようで、家に帰れないこともないだろうが、その辺は、主治医次第なのだが、やけに入院させたがっているから、転院はさせたくない。
私も、前回に主治医の発言 を聞いてから、ややトラウマ気味なのだ。思い出すと動悸がする。さっきも人工呼吸機云々を聞いたた時に、その辺思い出して具合が悪くなってしまった。
多分、貧血と寝不足のせいだと思うけど。





昨晩の父は痰が多く出たので、良く眠れなかったようだ。
いつも朝食の時間、6時頃には起きたようだが、その後もウトウトとしていた。

今しがた、嚥下の検査に行って来た。
内視鏡とエックス線によるもの。
私も検査室に入り、一部始終を見させてもらった。被爆防止のために鉛のエプロンを着用させられ、エックス線を使う時は防護壁の後ろから観察していた。
放射線技士は鉛のエプロンのみだったが、父の担当医と助手は首にもエプロンとお揃いの鉛のヨダレかけをしている。
甲状腺保護のためか。

内視鏡で喉の状態を見、エックス線で嚥下の具合を観察した。

嚥下の検査には、水分、流動物、固形物が用いられ、飲み込まれて行く様子をモニターで見ることが出来た。
固形物は一度めで飲み込めできず、少し願うような気持ちになったが、数回の後に飲み下すことができた。
この固形物は、ゼリーと呼ばれていたけれど、 とても食べ物の色とは思えない不透明で鮮やかな空色をしている。まあ、食べ物ではないんだけれど。
流動物では問題なく、手術後の食事も大丈夫そう。先生らは問題があるようなことは言っていなかったから。
ただ、内臓も弱ってくるので、吐いたりすることもあるそう。その時に、喉に開けられた穴(人口鼻と呼ばれるらしい)から吐瀉物が入ってしまわないように気を付けねばならない。


今回の手術、母の話では主治医はあまり、賛成してなかったそう。恐らく提案もなく、リハビリ科の先生に聞かされたんだと思う。
ある面ではALSにも有用と思われるのだが、なぜ賛成ではなかったのか?時期を見て提案することもあったのか?それとも、元々治療法のない病気には必要がないことなのか…?
入院。

具合が悪くなったからではなく、ある手術のため。

それは声門を閉じる手術で、その後は(今現在もだが)声を出すことはできなくなるが、 口と気管を完全に分断してしまうので 誤嚥がなくなる。
よって、幾度か繰り返している誤嚥性肺炎を回避できるようになる。
私は知らなかったが、肺炎はかなりの体力を消耗してしまうのだ。体力があれば、動くことが出来るので筋肉の維持にもつながる。

実は昨夜に発熱があり、数時間で大分熱が下がったものの、本日の検査の結果、案の定、肺炎であった。本人には自覚症状はまったくないのだけれど。
本当なら、発熱があった時点で病院に連れて行くべきだったが、本人もそれを望まなかった。ここで肺炎で入院をとなり、今回の手術が延期になるのを避けたかったのだと思う。私も、きっと母も同じ気持であった。楽観視したくはなかったが、できれば騙し騙し今日に持って来たかった。
今回の入院先は前回とは違う病院で、肺炎となると主治医のいる前回の入院先に行かねばならず、一週は入院となり、今回の手術はそれ以上の延期となっただろう。

こうもこの手術を受けたいのには、別の理由がある。
食事だ。
気管切開以来、口から摂取したのはゼリーやプリンを日に一度。それも8月半ばの誤嚥性肺炎で中止となってしまった。唯一の楽しみだったのに。
それが、この手術後は誤嚥することなく食事ができるようになる。父は、あまり口にはしないが、また物を噛んで味わうことをしたかったようだ。

退院は約一ヶ月後を見込んでいる。
しかし、主治医は10月には入院させて夜だけでも人工呼吸機をつける予定でいる。主治医に言わせると、そろそろそういう時期だそうだ。万が一の時に手遅れにならないようになのだけれど、入院したら完全に人工呼吸機をつけるまで退院はない。

出来れば、家で好きな物を食べさせてあげたいし、それが、父の願いだ。本日もここでの担当の医師に退院後に前の所に入院の予定か、どうするのかと聞かれ、病院ではなく家に帰りたいと即答していた。

もう一人では上手く歩けないけれど、声もだせないけれど、この状態でも維持することはできないのか。