終戦の日に思う
かの日米戦争の敗戦より本日で75年目を迎えます。
遡れば今年の正月にはいつも通りの大晦日から元旦を迎え全国の社寺仏閣で沢山の人々が各々がもつ願いを神仏にお祈りました。その時にだれがこのコロナ世界難を想像していたのでしょう。
改めて人の世とは不安定な歴史の上に存在していると感じずにはいられないと思いなおします。
75年前の今日という日はその時代に生き抜いた人々にどのように心に響いたのかは我々には想像を超えるものであったと思います。
しかしながら今を生きる我々は今般、初めて経験する疫病というこの世界難を目の当たりに体感する事であらためて世界は不安全なのだと感じているはずです。
この体験で理解しなければならないことはこの疫病という災難だけではなく自然災害を含み、この世界は常に平和で安全はないと言う事なのです。
今も世界は武力と経済力という武器を使いお互いの国益を追求し形は違えども争いを行なっています。祖国日本もその例外ではありません。近日には中国は尖閣に漁船団を大挙侵入させると予告までしています。極東アジアだけでも北朝鮮の動向や沖縄から東シナ海また南沙諸島への中国の経済支配による領土拡張への実質的な行動はかの時代と変わりない覇道主義なのではないのでしょうか。
いままさに国家とはなんなのかを国民が真剣に考える機会なのではと考えます。
先にも述べましたが世界は全く平和で安全ではなくまた不安定な均衡の上に成り立っています。この日本だけが例外なはずはありません。まさにその事実を受け止めて、変えるものと変えてはいけないものを打ち立て、国家と世界の調和に貢献していくべきなのです。そのためには日本の國體をもう一度見直して、経済、教育、文化、そして政治に真剣に向き合っていく日本国民としての共同体をつくる時がまさに今なのです。
それは政治や行政に任せるだけでは何も変わりません。国民自らが自分の手でなにを出来るのかを考えましょう。
75年前に國體は解体され米国の占領下の中で国家基本法である憲法は制定され、今まで日本は時代の変化の激流の中でも米国の擁護の元に虚な安定と平和を享受し続けて憲法の改正を先延ばしにしてきました。時代は大きく変わりました。国家基本法である最高法規の憲法はこのままでいいのでしょうか。コロナ危機がもたらした非常事態に海外各国は独自憲法の下に危機管理を行いました。日本の感染防止対策はある意味では世界に類を見る素晴らしい対策であったと思いますが、まだこの後に来る経済危機の波は大きな国難になるはずです。乗り越えなければならない壁は大きい。
しかしながらそのような間にも諸外国による火事場泥棒のような外的脅威は実行されているのです。
日本の現行憲法がこの先にあるコロナ後の新しい世界のパワーバランスの状況下で日本国民を守る事ができるのか、あらゆる危機を想定しなければならないでしょう。
この終戦の日にいつも思う。
かの時代に大義に生きて友愛に散華した御霊に祈りを捧げる事を忘れないように今を生きる我々も別の形ではあるものの国家の礎となり、子子孫孫の未来へ世界人類が本当の平和を迎える事が出来るように自分自身が行動していくものと改めて誓う日とします。
令和二年八月十五日
今村佳広






















