
高校の頃、テニス部のマネージャーをしていた。
それまで文化部だったので、勝手がわからずに、
とにかくストップウォッチの数字とコートのラインを掃くことと
ラケットの先っちょで拾うテニスボールしか見ないであっという間に
時が過ぎていった。とにかく、それが1年生の仕事だったのだ。
夏休みには、地獄の合宿があり、今思うとそのことは本当に意味があるのか?
と問いただしたくなるような練習内容であった。
夜中の3時か4時までほぼ休憩を取らずにボレーやサーブや乱打の練習を
続けたのだった。
人間とは不思議なもので、こんなに激しく動いているのに
本当に眠い時は何をしてても眠い、寝たい、寝るのだ、寝ろ! みたいに
脳に指令がいくということだ。
マネージャーとして、ネットのこっち側で先生にボールを渡し、
さんざんボレーのえじきになってもヒザががっくん!となるほどだった。
そんなことが1週間続く合宿。
2日目の昼間に、同級生のIがおもむろに近づいてきた。
「ねぇ、けしごむ。この歌、知ってる? ♪やーさしい名前をつけた子はぁぁ~…」
なんだ、なんだ?
あまりの暑さにおかしくなったか?
しかし彼女は歌い続ける。
「ゆうこ あいこ りょうこ けいこ まちこ かずみ ひろこ まゆっみー」
このへんてこな歌を、彼女は休憩の間中、取り憑かれたように歌うのだった。
しかし、なんか妙に耳に残るので、合宿中ずっと聴き続けたおかげで
1年生の半分がこれを歌えるようになってしまった。
昼間だけでも辛いのに、夜はまた別な迷惑が待っている。
会ったこともない何代も前のOGがこの日を待ったかのようにやってくるからだ。
そこにもいくつかのバカげた作法があって、
決まり通りにメロンが切れなければ、現役の先輩が呼び出されて説教される。
だから1年生は震える手でフルーツをカットしていた。
けしごむはその頃、内緒でレストランのバイトをしていたので
フルーツパフェを死ぬほど作っていた。
だからメロンを切るのは怖くなかった。
すると「けしごむはOG用のメロンを異様なまでに上手に切る」という噂が
部内に広まり、今まで冷たかった2年生はその時だけ優しく
「けしごむぅ、メロン切って」と頼みにきたのを憶えている。
ほかにも良くも悪くもいろんな思い出があるが、この合宿では
とにかく1年生が死ぬほど働いた。
料理をし終えた鍋やフライパン、ボウルにまな板、
山のような食器を前にして眠気と闘いながら洗うのだ。
洗っても洗っても終わらない食器。
泡のたまったシンクの底には切れものなんかもあって、気を付けてないと
あぶない。でも、眠くて集中力が続かないのだ。
そんなとき、またIがやってきては眠気覚ましにあの歌を歌うのだった。
♪ゆうこ あいこ りょうこ けいこ まちこ かずみ ひろこ まゆっみー
これを何十回、何百回と歌って、合宿を乗り切ったのだった。
炎天下でクラクラした時
さっさとボールを持ってきな! と怒鳴られた時
スポーツドリンクが切れてるよ!!! と言われパシる時
信じられない数のボールをひとつずつ数える夕暮れ時
不条理なもの言いで先輩に泣かされた帰り道
など、この歌で乗り切った。
結局、この歌が中島みゆきの『あの娘(こ)』という曲だと知ったのは
2学期が終わる頃だった。それ以来、当時のテニス部の1年は皆、
心から中島みゆきを尊敬している。
【本日の消しゴム】
あそこで体験したことって、今、何か役に立ってんのかな…



