こんにちは、Gingerです。

 

家事って本当は何でもないこと。

ただの動作。

 

でも、これがとっても苦痛だったり、大好きだったり、不安だったり、イライラしたりしてしまう。

家事をしていると涙が出てくる。

っていう友人も少なくありません。

 

でもこれ、ただ単に「家事」に対しての反応としてはおかしくないですか?

 

だって、「食器を洗う」のも、「靴を履く」のも、同じで単なる「動作」でしかない。

 

毎回靴を履くのに、「あーーー辛すぎわろたー。」「涙出てくる」って人はあまりいないはず。



 

っていうことは、その単なる「動作」の裏に投影されている「何か」が、貴女のココロを揺さぶっているのです。

 

それは、多くの場合「あなたの母親」が投影されています。(潜在意識で)

 

そして、その親子関係によってあなたの「家事」に対する姿勢が決まってくるのです。

 

「え?たかが家事で、母親像?親子関係?ほんまかいなー。」

 

ってお感じの方もいらっしゃるかもしれません。実際私も、そんなこと全く意識せずに44年生きてきちゃいましたから。

 

でもね、これ、本当なんです。ばばー嘘つかない。

 

私の友人で、母親を大学生の時に亡くした女性は、結婚しても家事を一切放棄していました。

 

まあ、もともと彼女は「鬼嫁」的なキャラなので、周りも旦那さんもそれを笑って許していましたが、掃除・料理、一切やらないのは、どうしてだろうと、ちょっと理解を越えていました。

 

彼女も新婚のころはやろうとしたんだそうです。

でも、台所に立つと発狂しそうになって、「わーもうできない!」って叫んだんだそうです。

 

きっと、彼女の「無意識」で「家事」=「母親」の公式が成り立って、若くして癌で亡くなった母親と自分が重なり、パニックに陥ったんだと思います。

 

もちろん、彼女はそんなこと微塵も思わず、ただ単に「家事が嫌い」なんだと思っていると思いますが。

 

私の場合は、家族が大好きすぎて、子供のころ絶対ずっとみんな一緒にいるって勝手に誓った誓いを、結婚して私が破ってしまったという勝手極まりない「罪悪感」で母親のことを見ていたので、母に対する「ごめんなさい」の気持ちと、今一人暮らしをさせてしまって「ごめんなさい」の気持ち、そしてそれが全部将来の自分と重なってしまい「家事」が出来なくなっていました。

 

でも、それがわかっただけで、私は

「そっかー、私、怖かったんだね。また、自分が親から離れたように、子供たちが離れていって、将来一人になるのが怖かったんだね。だから、せっかく今しかできない「母親」と「妻」の役割、わざと放棄してたんだねー。馬鹿だなー。よしよし。」

ってなることが出来たんです。

 

まさに「過去」と「未来」におびえ、「今」を手放すという、ゲスの極み選択。

 

勝手に現在の母を「孤独で可哀そう」と決めつけ、将来の自分と重ねる悪の所業。

 

夫に「ばあば、めっちゃ人生楽しんでるよ。人の人生、こちらが判断するのはおこがましいよ。」と言われ、冷静に見てみると、英会話習って、麻雀とヨガ習って・・・あれ?くっそ楽しんでんな?

 



結局は私の「罪悪感」が勝手に私を苦しめていたというアホなお話なんですが、まさか「家事」を通じて、母親との関係を突き付けられるとは思ってもいないことでした。

 

皆さんも、毎日向き合う「家事」

たかが「家事」、されど「家事」

 

実はそこは命を生み出すエネルギーの場所で、まさに命を生み出してくれた「母親」と向き合える「修行」の場なのかもしれません。