川崎の簡易宿泊所「吉田屋」他一棟が全焼した事件では、5人のかたが命を落とされた。
どのニュースでも、「視聴者提供」という一般のかたが火事の一部始終を記録した映像を使って報道していた。
「こんなところで死にたくねえよ!」
という男性の助けを求める叫び声が続くが、画面は少しもブレない。
胸が捩れるような悲痛な声に、
目の前でひとが逃げ場を失くしている状況に、撮影者は、思わず駆け寄ったり、何かせずにはいられない、という思いに一瞬も駈られなかったのだろうか。
心が冷えた。
最近、身近で事故や事件が起こっても、手を貸したり、助けたり、110通報したりする人は少なく、
そのまま立ち去ったり、スマートフォン等を取りだして写真や動画を撮る人が多いという。
どういう心理状況なのだろう。
何かあっても、ひとは助けてくれない。
そう痛感したことがある。
ある日地下鉄に乗り込むと、
同じ車輌の中で、初老の男性が恐らく奥さんと思われる女性を物凄い剣幕で怒鳴り付けていた。
その内、状況はエスカレートしてきた。
男性は女性に向かって手を振りかざし、殴ろうとし始めた。
近くには恰幅のいいビジネスマンが何人も座っていたが、視線を下に落として、無言を貫く。
とても異様な光景だった。
誰もが口をつぐみ、シーンとした車輌の中には男性の怒号だけが響き渡る。
女性は手を振りかざされる度に身をかわしていたが、遂に男性が、女性の肩をガシッと掴んで顔面を殴り付けようとした。
その時点で我慢しきれなくなり、
立ち上がって非常ボタンを押した。
非常ベルの真下に座っていた男性は身をすくめていた。
席に戻るために振り返ると、
ひとりの女性が、殴られた女性の腕に手をかけて穏やかに話しかけていた。
そうすることで男性の暴力を牽制していたのだ。
立派だと思った。
私には出来なかった。
電車は次の駅に緊急停車した。
駅員さんが駆けつけて来たが、その前に男性は女性の腕を掴み、電車の外へ素早く逃げ去った。
駅員さんに事情を説明してくれたのは、女性を助けようとしたひとだけで、人々はただ沈黙していた。
ひとの事は言えない。
私だって暴力をふるっているひとを止める勇気はなかった。
でも、ただ見ているだけが圧倒的多数の社会は、余りにも悲しい。
友人が話してくれたエピソードに今でも忘れられないものがある。
夜、電車で近くの席に座っていた女性が酔った男性にずっと絡まれていたという。
しかし、友人は、絡まれている女性が席を立ったり、電車から下りたりする行動に出なかったことを理由に、その女性についてこうコメントしていた。
「結局、悪い気はしていなかったんだよ」
「案外いい気分だったんじゃない?」
返答に詰まった。
「怖くて身動きが取れなかった」とは思えなかったのだろうか。
電車で同じ車輌のひとを助けようとしないということは、会社でパワハラを受けている同僚や、苛めを受けている同じクラスの子に声をかけてあげられないのと同じことだと思う。
気付かない。見ないふりをする。放置する。
被害を受けているひとが、もし自分の兄弟や子供でも、果たして同じような態度を取り続けられるか。
判断のポイントはそこにあると思う。