保育は自由~保育観の話~ | 現役男性保育士の保育園では言えないこと

現役男性保育士の保育園では言えないこと

都内で保育士をしています。
普段感じていることを書いていきたいと思ってます。

前の前の園で、園内研修みたいなのをやった時に、保育観を書いてもらったことがあった。

その時に、「自由」と書いている保育士がいた。

その保育士は、すごく実行力があって、園庭に築山やツリーハウスやボルダリングを作ってしまうような人だった。

保育観=自由って、その人らしいと思った。

 

保育園っていろいろな人がいる。

すごく立派な保育観を持っているんだけど、自分の保育観が絶対と思っていて、他の考えを受け容れられない人。

表面的にはそうでないように振る舞っている(自分で気づいてないだけかも)から困ってしまうのだが。

大人の都合を押し付ける保育士。

今の園で多いのは、とにかく負担を減らそう減らそうとする保育士。

極端にひどい人はいないけれど、なんだかなーと思う人は多い。

 

なんて偉そうに書いているけれど、私自身そんなに立派な保育士ではない。

子どもの気持ちを大切にはしているけれど、現実的にできないことはしょうがないよねって思っている。

それでも、今の園の他の保育士の中では、子どもの好きなことをやらせてあげている方みたいではある。

 

自分が思っているのは、生きていく力をつけていって欲しいということ。

頑張ってあと80年生きてねって感じ。

それで、できることなら楽しく生きて欲しいと思っている。

だから、保育では、だいたい毎日ふざけていて、楽しく保育園に来てもらえればいいって思っているけれど、けっこう厳しいことも言っている。

自分自身生きてきて、楽しいこともあったけれど、嫌なことやきついことも多かったから。

だから、それに負けない力をつけて欲しいって思っている。

 

ということで、自分が考えた保育観は、

「子どもにとって害にならないものはすべて保育である」

ということである。

つまり何でもあり。

所謂子どものためになることばかりでなくてもいいという考え。

 

何だかなーって思う保育士も、そういう人に当たってしまうこともあるよって考えである。

面白いことだけじゃなくて、つまらないこともある(つまり失敗した保育)。

ちょっと嫌なこともある。

理不尽なこともある。

そういうのを乗り越えていって欲しい。

 

ということで、楽しいけれどこれでいいのかなって感じのいい加減な保育をしている。