三歳児神話を考える | 現役男性保育士の保育園では言えないこと

現役男性保育士の保育園では言えないこと

都内で保育士をしています。
普段感じていることを書いていきたいと思ってます。

「三歳児神話」というものがある。
子どもが3歳になるまでは、母親は育児に専念すべきで、そうしないと、発達に悪影響を及ぼすという考え方である。

1998年の「厚生白書」で、「合理的な根拠は認められない」とされたことで、最近は封印されたイメージがあるが、かつては、多くの人が信じていた考え方である。
今日、三歳児神話が否定されつつあるのは、学術的な部分というよりは、男女共同参画社会や女性の就労の増加、保護者自身の生き方の尊重などの社会の変化によるものだと思う。
実際に、共働きは増えたし、保育園に入る子も増えている。

もともとは、ボウルビィの「愛着理論」からきている。
乳幼児期は、養育者との愛着(アタッチメント)関係が重要であり、それを安全基地にして、外界への働きかけをしていくという考え方である。
三歳児神話を否定する人たちも、この考え方は概ね受け入れている。
要は、その養育者は、母親に限定されないということである。

私の個人的考えとしては、アタッチメントの形成は、当然大切だが、その対象は、確かに母親に限らないと思う。
母親が働いて、父親が専業主夫でも、全然かまわないと思う。
ただ、その受け皿を保育士が担うということには、疑問を呈する。

前回も書いたが、保育園では、子どもと保育士が1対1の関係ではない。
もちろん、5歳児クラスに、その必要はないし、それは逆に弊害だと思うが、例えば、1歳児クラスであれば、それに近い環境でもいいと思う。
「児童福祉施設最低基準」では、1歳児クラスは、子ども6人に対し、保育士1名である。
普通に遊んでいる時は、6人に1人の保育士でもいいかもしれない。
ただ、例えば、子どもが排便して、1人の保育士がその子の排便処理についた場合、保育士1人に対し、子どもは11人になってしまう。
保育士の配置数については、また、別に書きたいと思うが、1対11の関係では、アタッチメントの形成には不十分だと思う。

また、保育園にいる時間は、乳幼児にとっては長すぎる。
小学1年生だって、学校に、最初は4時間くらいしかいないのに、その倍から、長い子だと3倍に近い時間、保育園にいるのである。

その事実を踏まえると、もちろん、虐待や育児能力の低いケースは別だが、年少(3歳児クラス)になるくらいまでは、家庭で過ごした方がいいと思う。
もちろん、母親ないし父親が、他の子どもや親、専門機関等と関わりを持てる場を充実し、母(または父)親を社会的に支える必要はあるが。
これが、私の見解である。

そのためには、保育所の整備ではなく、育児休業の充実をしていくべきだと思っている。
しかし実際には、キャリアが途切れるとか、収入が減るという理由や、会社の就業規則の関係もあるが、3年間、育児休業を取る人は多くない。

ただ、一番下の子が、小学生になった今、親として思うことは、大変だったかもしれないけれど、あの頃はよかったなということである。
いくら望んでも、今はもう、あの体験はできない。
そう思うと、子どもと一緒にいられる時間を捨ててしまうなんて、なんてもったいないことをしているんだと思う。