起点に立つことができた。(大学時代の友へ感謝)
―コロナ禍真っ只中の手記と後日談―
新型コロナの影響で、昔のことを思い出すことが多くなった。楽しいことも多いが苦しい思い出のほうが多い。時間が止まったり、ゆっくりと流れている感じがする。
その中で自分がいつも気になっていたことがもつれた糸がほぐれるようにみえてきた。
それは自分自身のことである。
何故こんなにも自信がないのか。
どうして思うような結果がでないのか。
どうして1時間しか勉強できないのか。
皆に見られてる感じがする。こんなダメな自分は皆に迷惑ばかりかける存在?
自分はどうして生きているんだろう。
もう恥をかきたくない。苦しい。消えてしまいたい。
自分の青春はこのような内的世界だった。もちろん今だってその延長線上にいる。
正直、発達の子と付き合うと、その内的な苦悩が良く伝わってくる。自分は波乗りが上手でなかった。
いろいろ試みた。
エネルギーをためて一気に片付ける。そのため余暇がなくなった。
やらなければいけないことを片付けなければ次にいけない。なのにできない。気が散る。
自分が甘えているからこうなったと思うようにしていた。甘えを断ち切らなければいけない。
自分はいろいろ感じすぎる。すべてわかろうとする。そこに自分はいない。自動録画状態になる。その処理がうまくできない。時間が足りなくなる。そのくせ欲張りで、周りの人もすべて満足させたい。
自分の幼少時代の思い出ほとんどない。それがどういう意味なのかよくわかっていない。ただ強気な子と遊ぶのが嫌だったこと、どうしていいかわからないことが多かったこと、困りそうな状況になることが怖かったこと。いつもおばあちゃんと一緒に寝ていたこと。口の悪いおばあちゃんの毒舌をいつも聞いていたこと。自分の状況を説明したくなかったこと。人に陥れられて濡れ衣を着せられたこと。自尊心が損なわれたこと。自分が不登校をしたこと。それは実感が伴わなかった。それがテレビドラマの様に流れていった。
高校1年で転校した。自分は変わりたかった。言葉と文化が変わった。不安だったが新鮮だった。友達ができた。その存在が自分にとってはかけがえのない人、自分を救ってくれた友人だった。思い切ったことができなかった。一浪した。自分にとっては猶予期間だった。何をしたいかわからなかった。面白い個性の隣人と出会った。福祉大を選んだ。自分を見つけるための最短距離だと思った。遠くの地に一人、自分の立て直しの作業が始まった。
名古屋の福祉大学は、日本全国から様々な思いを持った人たちが集まっていた。自分にとっての大学時代は羽を伸ばすというより、石橋をたたいて渡る的に確かめながら一歩先に進むような感じであった。友達に出会えた。1年のクラスは楽しい集まりだった。
女の子からの積極的なアプローチがあった。正直ビビった。好きでも嫌いでもないと思った。目立ちたくもないしそこにエネルギーを使いたくなかった。自信がないままだった。自分は受け身だった。
そのうち、高校時代はミュージシャンの追っかけをしていた色白でぽっちゃりしていてクリスチャンになったという女の子に自分の生い立ちや、もやもやを聞いてもらうようになった。この子も自分にとってはありがたい存在だった。またクリスチャンでも全くイメージが違う友達ができた。絶対裏切られないという絶対的な安心感がある人だった。同じ年なのにどうしてこうも違うのか。すげえと思った。それが兄貴分のT。この人とのことで強烈な印象を残した場面があった。ある日突然部屋を訪ねてきて、男の本懐を遂げてきたという。茨城に勤めている同郷の看護婦にプロポーズしたらしい。なんてスケールのでかい奴なんだと思った。今も我が道を行っている。
自分と異質な友達といえばKだった。自分を持った人間。関西人。多彩な能力。たじたじだった。自分の扉をこじ開けられた感があった。嫌じゃなかった。
北海道のKも面白い人だった。ものすごい包容力一緒に夜行電車で能登半島一周をした。
バイトに誘ってくれた長野県出身のK。
2年の頃であったB。いつも夜になるとたまり場だった部屋に上がり込んでテレビを見た。
遊びに誘ってくれたY。
この人たちに会って承認されて自分は救われた。起点=0に立つことができた。後は足していけばいい。もがきながらの前進が始まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先日、母の100歳の誕生日を祝う会があり、帰省した折昔ばなしの花が咲き、義理の姉が私の幼少期母が、私に対して保護的過ぎてびっくりしたというエピソードを話していた。小さい時から体が弱く守られた自分、全て母が代わりにしたり、風邪をひかないように過度に厚着をさせたりして気になったという。その話を聞いて自分の感じていた自信のなさや経験不足の理由が裏付けられたと感じた。母から離れないといけない。遠くに行きたいと思った理由がここにあったと頷けた。
一連の自分の成育歴から、自分は過保護ゆえに発達の節目に発達課題を体験し学習しない状態、あるいは先延ばしの状態にあった可能性があると思った。
思うに自分の感じている問題点の理由がわからないと前に進めないのだと思う。どうしてそうなったかという一定の納得できる理由が見つかって初めてその問題をどうするか取り組める。少し冷静にその対策を講じることができるのだと思う。例えば集中力が続かないことを例にとると、集中力がない自分が根性が無いかからだ決めつけても問題解決は進まない。大事なことはどうすればほかに気が散らないで一つのことを集中できるか自分のことを対象化すること。気が散る刺激を排除するとか誰かと一緒にやるとか手はあるのだと思う。自分ももっと誰かと対話し早く気づけたら、よかったのだと思う。自分の内的世界が狭くなりさらに抜け出せなくなっていったのだろう。
理由の見つけ方も、単に親の問題とかでなく親とのどんな関係性か、どんな生活の中で育ったか、親や兄弟との愛着の問題はどうだったかということから自分の不全感の源を探り当てることが必要かもしれないと感じた。体験を概念化し対策して試して解消していくためには、自分の問題をきちんと対象化しないといけないのだと改めて思った(追加)
―コロナ禍真っ只中の手記と後日談―
新型コロナの影響で、昔のことを思い出すことが多くなった。楽しいことも多いが苦しい思い出のほうが多い。時間が止まったり、ゆっくりと流れている感じがする。
その中で自分がいつも気になっていたことがもつれた糸がほぐれるようにみえてきた。
それは自分自身のことである。
何故こんなにも自信がないのか。
どうして思うような結果がでないのか。
どうして1時間しか勉強できないのか。
皆に見られてる感じがする。こんなダメな自分は皆に迷惑ばかりかける存在?
自分はどうして生きているんだろう。
もう恥をかきたくない。苦しい。消えてしまいたい。
自分の青春はこのような内的世界だった。もちろん今だってその延長線上にいる。
正直、発達の子と付き合うと、その内的な苦悩が良く伝わってくる。自分は波乗りが上手でなかった。
いろいろ試みた。
エネルギーをためて一気に片付ける。そのため余暇がなくなった。
やらなければいけないことを片付けなければ次にいけない。なのにできない。気が散る。
自分が甘えているからこうなったと思うようにしていた。甘えを断ち切らなければいけない。
自分はいろいろ感じすぎる。すべてわかろうとする。そこに自分はいない。自動録画状態になる。その処理がうまくできない。時間が足りなくなる。そのくせ欲張りで、周りの人もすべて満足させたい。
自分の幼少時代の思い出ほとんどない。それがどういう意味なのかよくわかっていない。ただ強気な子と遊ぶのが嫌だったこと、どうしていいかわからないことが多かったこと、困りそうな状況になることが怖かったこと。いつもおばあちゃんと一緒に寝ていたこと。口の悪いおばあちゃんの毒舌をいつも聞いていたこと。自分の状況を説明したくなかったこと。人に陥れられて濡れ衣を着せられたこと。自尊心が損なわれたこと。自分が不登校をしたこと。それは実感が伴わなかった。それがテレビドラマの様に流れていった。
高校1年で転校した。自分は変わりたかった。言葉と文化が変わった。不安だったが新鮮だった。友達ができた。その存在が自分にとってはかけがえのない人、自分を救ってくれた友人だった。思い切ったことができなかった。一浪した。自分にとっては猶予期間だった。何をしたいかわからなかった。面白い個性の隣人と出会った。福祉大を選んだ。自分を見つけるための最短距離だと思った。遠くの地に一人、自分の立て直しの作業が始まった。
名古屋の福祉大学は、日本全国から様々な思いを持った人たちが集まっていた。自分にとっての大学時代は羽を伸ばすというより、石橋をたたいて渡る的に確かめながら一歩先に進むような感じであった。友達に出会えた。1年のクラスは楽しい集まりだった。
女の子からの積極的なアプローチがあった。正直ビビった。好きでも嫌いでもないと思った。目立ちたくもないしそこにエネルギーを使いたくなかった。自信がないままだった。自分は受け身だった。
そのうち、高校時代はミュージシャンの追っかけをしていた色白でぽっちゃりしていてクリスチャンになったという女の子に自分の生い立ちや、もやもやを聞いてもらうようになった。この子も自分にとってはありがたい存在だった。またクリスチャンでも全くイメージが違う友達ができた。絶対裏切られないという絶対的な安心感がある人だった。同じ年なのにどうしてこうも違うのか。すげえと思った。それが兄貴分のT。この人とのことで強烈な印象を残した場面があった。ある日突然部屋を訪ねてきて、男の本懐を遂げてきたという。茨城に勤めている同郷の看護婦にプロポーズしたらしい。なんてスケールのでかい奴なんだと思った。今も我が道を行っている。
自分と異質な友達といえばKだった。自分を持った人間。関西人。多彩な能力。たじたじだった。自分の扉をこじ開けられた感があった。嫌じゃなかった。
北海道のKも面白い人だった。ものすごい包容力一緒に夜行電車で能登半島一周をした。
バイトに誘ってくれた長野県出身のK。
2年の頃であったB。いつも夜になるとたまり場だった部屋に上がり込んでテレビを見た。
遊びに誘ってくれたY。
この人たちに会って承認されて自分は救われた。起点=0に立つことができた。後は足していけばいい。もがきながらの前進が始まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先日、母の100歳の誕生日を祝う会があり、帰省した折昔ばなしの花が咲き、義理の姉が私の幼少期母が、私に対して保護的過ぎてびっくりしたというエピソードを話していた。小さい時から体が弱く守られた自分、全て母が代わりにしたり、風邪をひかないように過度に厚着をさせたりして気になったという。その話を聞いて自分の感じていた自信のなさや経験不足の理由が裏付けられたと感じた。母から離れないといけない。遠くに行きたいと思った理由がここにあったと頷けた。
一連の自分の成育歴から、自分は過保護ゆえに発達の節目に発達課題を体験し学習しない状態、あるいは先延ばしの状態にあった可能性があると思った。
思うに自分の感じている問題点の理由がわからないと前に進めないのだと思う。どうしてそうなったかという一定の納得できる理由が見つかって初めてその問題をどうするか取り組める。少し冷静にその対策を講じることができるのだと思う。例えば集中力が続かないことを例にとると、集中力がない自分が根性が無いかからだ決めつけても問題解決は進まない。大事なことはどうすればほかに気が散らないで一つのことを集中できるか自分のことを対象化すること。気が散る刺激を排除するとか誰かと一緒にやるとか手はあるのだと思う。自分ももっと誰かと対話し早く気づけたら、よかったのだと思う。自分の内的世界が狭くなりさらに抜け出せなくなっていったのだろう。
理由の見つけ方も、単に親の問題とかでなく親とのどんな関係性か、どんな生活の中で育ったか、親や兄弟との愛着の問題はどうだったかということから自分の不全感の源を探り当てることが必要かもしれないと感じた。体験を概念化し対策して試して解消していくためには、自分の問題をきちんと対象化しないといけないのだと改めて思った(追加)