最近、クリニックの初診希望の電話で、「自分は発達障害ではないかと思うので診察を受けたい」という電話が増えてきた。どうしてそう思うのかと聞くと「妻にそう言われた。」「職場でそう言われた。」「本で読んでそうではないかと思った。」などという答えが返ってくる。何らかの不適応が起こっていてつらい状況になっての受診希望のようだ。確かに外れではない診察結果になることが多い。周りの見る目が発達障害の知識の普及とともに選別の目が肥えてきたともいえるかもしれない。発達障害の知識が広くいきわたっていて、融通が利かなかったり、ミスを何回もしてしまったりなど目立ってくると、精神科へ行って診てもらえということにもなる。
このような適応障害になるのは発達障害だけではない。いわゆる過重労働や燃え尽き症候群の様な時もなるのだろうと思う。
実は、私はこれまで3回ほど抱え込みすぎたり、視野が狭くなり自分のペース以上の動きをしていたり、エネルギーの補充がうまくできなかったりという理由で燃え尽きたことがある。幸い、仕事は継続することができたが転職したりしながらしのいできた。
我々が活動するときに、自分の持っている力を最大限に発揮するという考え方が大切であると思う。背伸びして無理するとかえって自分の力が発揮できなくなってしまう。自分の力を発揮しやすい環境づくりやモチベーションを維持すること必要だと思っている。優れている人がいるとして、だけどもその人の能力の50パーセントしか発揮できないとすれば、自分がもっている能力の70パーセントを発揮できれば十分勝負できる。私はよくこの発想を使い患者さんが自分をだめだと責めてしまっている時など話すことがある。もっと力が発揮できる工夫ができるのではないかという話をする。
発達障害の本を読むと発達には凸凹がある。優れている点と不得意な点がだれにでもある。優れている点をなるだけ発揮して、不得意なことを工夫を凝らしてカバーすることが大切だと書いてある。じつは誰でも発達の凸凹はあり、そこをどうバランスをとって生活するかが大切ではなかろうか。
個人的には、私は十分ADHDの要素があり、小さいころからの育った経緯を振り返るとあてはまることが多い。例えば、勉強が一時間しか集中できなかったこと。思い付きで行動してしまう。期限守れず先延ばしにする。ストレス体制が低い。自己評価が低い。などなど。振り返ってこれらのことが発達障害故のことと考えると、納得するし自分を受け入れやすかった。
還暦になって、やっと冷静に自分のことを振り返り、認めて受け入れられる自分がいる。
このような適応障害になるのは発達障害だけではない。いわゆる過重労働や燃え尽き症候群の様な時もなるのだろうと思う。
実は、私はこれまで3回ほど抱え込みすぎたり、視野が狭くなり自分のペース以上の動きをしていたり、エネルギーの補充がうまくできなかったりという理由で燃え尽きたことがある。幸い、仕事は継続することができたが転職したりしながらしのいできた。
我々が活動するときに、自分の持っている力を最大限に発揮するという考え方が大切であると思う。背伸びして無理するとかえって自分の力が発揮できなくなってしまう。自分の力を発揮しやすい環境づくりやモチベーションを維持すること必要だと思っている。優れている人がいるとして、だけどもその人の能力の50パーセントしか発揮できないとすれば、自分がもっている能力の70パーセントを発揮できれば十分勝負できる。私はよくこの発想を使い患者さんが自分をだめだと責めてしまっている時など話すことがある。もっと力が発揮できる工夫ができるのではないかという話をする。
発達障害の本を読むと発達には凸凹がある。優れている点と不得意な点がだれにでもある。優れている点をなるだけ発揮して、不得意なことを工夫を凝らしてカバーすることが大切だと書いてある。じつは誰でも発達の凸凹はあり、そこをどうバランスをとって生活するかが大切ではなかろうか。
個人的には、私は十分ADHDの要素があり、小さいころからの育った経緯を振り返るとあてはまることが多い。例えば、勉強が一時間しか集中できなかったこと。思い付きで行動してしまう。期限守れず先延ばしにする。ストレス体制が低い。自己評価が低い。などなど。振り返ってこれらのことが発達障害故のことと考えると、納得するし自分を受け入れやすかった。
還暦になって、やっと冷静に自分のことを振り返り、認めて受け入れられる自分がいる。