ここでは軍慰安所と慰安婦のことが色々と書かれてある。早尾乕雄は軍医であったので慰安婦との関わりは多かったのではないかと思う。そのことをあらわすかのように、この稿については他よりも若干多めに書かれている。
「今次(ママ)変ニ於テ目立ツタ軍部ノ副業ノ一ツニ慰安所ナルモノガアツタ。其ノ数ハ実ニ夥シキモノデ津々浦々迄行キ届イタモノデアル。如此将兵ノ性欲ノ吐ケ場所ヲ何人ガ考ヘ出シタカト其ノ経営者ニ問フタトコロ現文相荒木大将閣下ナリト答エタ。大将ガ即チ立案者デアリ亦元締デアルトイフ。故ニ売笑婦ト雖モ是レ軍婦ナリトイフ。軍ガ汽車船舶自動車ノ世話ヲナシ戦地ヘ着ケハ出迎ヘヲ受ケ其ノ保護ノモトニ動キ軍ヨリ与ヘラレタ家ニ生活ヲシテル。ソシテ御客ハ将兵ト限ラレテアル。」(71頁)
軍慰安所を考え出した人物を「現文相荒木大将閣下ナリ」、「大将ガ即チ立案者デアリ亦元締デアルトイフ。」ということに関しては、それを更に裏付ける史料がないためによくは分からないが、軍が中心であることは間違いない。「故ニ売笑婦ト雖モ是レ軍婦ナリトイフ。軍ガ汽車船舶自動車ノ世話ヲナシ戦地ヘ着ケハ出迎ヘヲ受ケ其ノ保護ノモトニ動キ軍ヨリ与ヘラレタ家ニ生活ヲシテル。」とは、業者が勝手に行っていたのではなく軍が行っていたことをよくあらわしている。
この軍慰安所のことや慰安婦の状況として
「将校慰安所ト下士官以下ノ慰安所ト画然ト区別セラレテ設ケラレテアル。其ノ設置ニ当ル者ハ本科ノ将校デ少尉カラ少佐級位ノ人ガ是ニアタリ女ヲ選ブ商売ニ適不適ヲ決定スル者ハ軍医デアル。慰安所ニヨリテハ楼主ニアタリ或ハ牛太郎ノ様ナ者モ付イテ居リ其等ガ相当ニ手広ク縄張リヲ持ツテ居ル(例之上海)従ツテ其ノ収入モ一時ハ巨額ニ上リ一ヶ月一万円ノ純益ヲ見テルカ如キモアルト言ハレタ。女ハ約一ヶ年モ辛棒スレバ凡千円ノ金ヲ懐ニシテ自由ノ身トナリテ国ヘカヘリ得ル様ニナツテイルトノ話ヲ聞イタコトガアル。其ノ代リ客ヲ取ル数モ多イノハ一日ニ四五十人ニ達スルノモアルトイフ。実際将兵ノ数ニ比較スレバ売笑婦ノ数ハ微々タルモノデアツテ到底兵ノ要求通リニハ応ジ兼ネル。売笑婦ハ日本、支那、朝鮮ノ三種ニナツテ居ル。如此女ノ数ハ確実ノ所ハ不明デアルガ中支ダケデ五六千人位ト思ハレル。」(71-72頁)
慰安所の設置や慰安婦としての適不適も軍が行っていることが分かる。また慰安婦は、約一年でおよそ千円を稼ぐことも可能だとしているが、その代わり「一日ニ四五十人ニ達スルノモアルトイフ」というもので、その過酷な状態が分かる。
慰安婦の数は「確実ノ所ハ不明デアルガ中支ダケデ五六千人位ト思ハレル。」とある。在上海総領事館警察・武官室・憲兵隊による「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」(1937年12月21日)において、慰安婦とする女性を三千名集めてくるように業者に指示・依頼していたが、日本人のみならず、中国人や朝鮮人もあわせるとかなりの数がいたことが推測される。
では、この軍慰安所はどのような理由で設立されたのか。
「何ノタメニ軍監督ノ下ニ売笑婦軍ガ渡支シ来ツタカ。恐ラク戦線ニ立ツ将兵ガ一度休戦状態ニナツタ時ニ爆発スル性欲ノ発散場所ヲ与ヘタノデアロウ。然ラザレバ将兵ノ気ハ益々荒クナリ支那婦人ヲ姦スルコトモ起ルデアロウシ酒ノ上ノ傷害沙汰モ起ルダロウ。将兵ノ気持ヲ和ゲルニハ女ヲ用フルガ最上策ト考ヘタノニアルト思フ。」(72頁)
つまり、強姦の防止と将兵への慰安が目的であると書いている。
しかしこの軍慰安所の問題点としては花柳病の流行があった。
「此ノ慰安所設置ハ将兵ノ精神緩和ニハ少カラズ役ニ立ツタガ花柳病ハ是ガ為メニ増加シタ。休戦状態間ニ尤モ目立ツタ産物ハ犯罪行為ト花柳病患者デアツタ。犯罪行為中性欲ニ関係アルモノハ強姦若クハ変態性欲的行為デアル。慰安所ノ女ハ決シテ完全ナ身体デハナク其ノ既ニ有スル性病ノ重キヲ除キ或ハ休業サセルダケデ無病トイフノハ殆ドナク亦在ツテモ忽チ多クノ客ヲトル間ニ感染ヲシテイル。将校ヘ供給スル女ハ比較的病軽ク兵ヘ供給スル女ハ相当ニ疾病ノ顕著ナル者モ止ムナク勤メサセルトイフ取扱ヒ方デアル。女ノ数ガ兵ノ需要ニ応ジ兼ヌルト共ニ幾人カハ病ノ為メニ使用ニ堪ヘヌ様ニナリ益々兵ヲ満足セシムル上ニ困難ナ状態デアル。」(73-74頁)
最初から慰安婦の人数は兵数に比べて圧倒的に少ない。そのうえ花柳病による休業により益々少なくなっていく。そうなると、性的に満足できない将兵は中国人売春婦を利用するか強姦を行うのである。
「慰安所ニテ足ラザル故ニ自ラ兵ハ支那婦人ニ向ヒ安価ニ目的ヲ達スル道ヲ選ブ。是ガ殆ンド性病ヲ持ツテ居ル。生活ニ困ツタ下層級ノ支那婦人ハ自ラ街頭ニ出テ身ヲ売ル様ニナリ十銭二十銭デ兵隊ヲ対手ニスル様ニナツタ。小サキ包ヲ背ニ負ヒ何処ノ空家デモ利用スル。遠慮ナク宿舎ヘトヤツテ来ル。慰安所ハ兵ハ一円乃至二円(三十分間)将校五円位ノ定リデアツタ。兵ノ俸給ニ対シテ二円ハ高過ギルト言ヒツヽ支那婦人ヘト変ル傾向ガアラハレタ。是バカリデナク遂ニハ脅迫シテ只デ支那婦人ヲ冒ス者モアラハレテ来タ。例之農家ニ侵入シ亭主ヲ監視シ其ノ妻ヲ姦スルトイフヤリ方デアル。支那婦人ニ向フ様ニナツタノハ一ツハ日本人朝鮮人ノ売笑婦ヨリ性病ヲ受クルコトヲ恐レルノト亦一種ノ好奇心カラ強キ興奮ヲ味ハントスルヲ目的トスルモノト考ヘラレル。女気ノナカツタ時ニハタトヘ片輪者デモ如何ナル醜婦デモ老婆デモ左程トモ考ヘナカツタ状態デアツタガ次第ニ支那人ガ帰リ来リ其ノ中ニ若キ女ノ居ルノヲ見タ時ハ非常ナ誘惑ニナツタト考ヘルノガ当然デアル。是ガタメニ思ヒモ寄ラヌ犯罪ニ陥ル者モ出来タ。惜ムベキコトデアル。」(74-75頁)
しかし、病気のため解雇された慰安婦や部隊の移動のため閉鎖された慰安所にいた慰安婦などはどうなったのであろうか。早尾によれば部隊の移動とともに慰安婦たちも移動するというのである。
「然ラバ女軍ハ何処ヘ行クダロウカ。彼等(ママ)ハ次第ニ前進ヲシテ行ク。揚子江ヲ船デ上ツテ行ク。ソシテ前線ニアル将兵ノ需要ニ応ズルノデアル。或ル女衒ノ談話ノ中ニアツタ。部隊ノ行進スルト共ニ女軍モ「トラツク」デ進ム。是ガ兵ノ慰安トナリ鼓舞トモナリ女ノ中ニハ恋人ヲ慕ヒ行ク心持ノ者モアルト。而モ花柳病患者ハ前線ヨリ送ラルヽ中ニ多キヲ見ルトハ皮肉ナ現象ト言ハネバナラヌ。」(75-76頁)
「部隊ノ行進スルト共ニ女軍モ「トラツク」デ進ム」とあるように、部隊と共に行動していることが分かる。
中には中国人女性を個人で抱え込む人もあったようだ。
「北支某地ニテハ更ニ進ンダ方法ガ講ゼラレタ。支那女学生ト契約シテ将校ニ限リ其ノ「アパート」ニ通ハシメ御互ニ利益交換ノ道ヲ開キシト。即学資ノ道絶エ生活ノ資ヲ失ツタ女学生ノ救済法トナリ将校ハ語学勉強ノ傍ラ安全ナル生理的要求ノ満足ヲ得タワケデアル。中支ニハ何処ニ行クトモ如此女性ハ得難イノデ悉ク売笑婦デアル。」(73頁)
軍慰安所の負の側面である花柳病の流行であるが、何故将兵たちはコンドームを装着しないのか。早尾はこの点が疑問であるとして兵に質問している。
「余ハ兵ニツイテ問フタ。何故ニ防具ヲ使用セヌカト。彼等ノ答ハ悉ク「持ツテハ行クガ酒ニ酔フウチニソンナコトハ忘レテ了ツタリ平気ダトイフ心持ニナル」ト。中ニハ女ノ方ガ病気モナイノニ防具ヲ使用スル必要ハナイト忌避スル場合モアリ或ハ自然ノ感覚ヲ疎外スルカラトノ理由モアル。大多数ハ酒ノ勢デ感染ヲ怖レヌトイフニアルト考ヘラレル。亦一度罹リタル者ガ再々クリ返ストイフ例ガ多イガ是ハ無頓着ニナル結果デアロウガ余ガ検シタ例ニハ感染入院シ治ルト共ニ二度ト売笑婦ニハ触レマイト固ク決心シ却ツテ路傍ノ支那婦人ニ誘惑ヲ感シ是ヲ姦シタ兵ガアツタ。是モ飲酒ノ上ノ暴行デアル。或ハ慰安所ノ女ニ通フ時ガナイタメ用弁外出ノ時ニ支那民家ヘ侵入シテ脅迫ノモトニ若キ女ヲ輪姦シタ例モアツタ。」(76頁)
つまり、花柳病の流行と飲酒とは深く関連しているということである。
軍慰安所を設置しても強姦はおさまらず、また、軍慰安所を通して花柳病が拡大していく様子を見て「実際ニ於テハ其ノ目的ハ貫徹サレナカツタコトハ遺憾デアル。」(78頁)と早尾は結論づけている。
早尾が「変態性欲的行為」と呼んでいるものがある。それは一体どのようなものか。
「変態性欲的行為トシテハ勿論其例ハ多クハナイ。其ノ例トシテハ死人ノ陰部ニ悪戯セルモノ(男女)捕虜ノ陰部ニ特ニ悪戯スル者(即チ陰茎ニ油ヲ注ギ是ニ点火セルコト)或ハ他兵若クハ支那人(殊ニ夫ノ前)ニ見ラレツヽ性交セル者、或ハ性交ニテ足ラズ虐待シ或ハ是ヲ銃殺セル者等ヲ挙ゲル事ガ出来ル。亦支那婦人中ニハ金ヲ貰ヒテ陰部ヲ見セル悪風ガアル。兵モ是ニ興味ヲ感ジ脅迫ノ上見ルコトニ止マラズ遂ニ強姦ニ及ンダ例モアツタ。上海事変ノ時ニハ女ノ乳首ヲ切リ取リ紙ニ包ミテ持チ歩キタル兵ガアツタト聞イタ。今度ノ事変ニハ女ガ逃ゲテ居ラナカツタカラコンナ例ハナカツタト思フ。」(78頁)
つまり、死体や捕虜の陰部に悪戯する者、女性の体の一部を切り取り持ち歩く者、性交を他人に見られて行う者、などである。このように将兵は多くはいないが、稀に存在するのである。性交を他人に見られて行う者は、征服欲という心理がその行動へとかきたてているのだろうか。女性の体の一部を切り取り持ち歩く者は、戦利品としてのコレクションなのだろうか。非常に不可解ではあるが、このような将兵が存在しているのである。
強姦に象徴されるような将兵による性暴力の原因はどこにあるのだろうか。どうすれば阻止できるのであろうか。早尾は将校の態度と教育であるという。
「或ル要人ハ将校ハスベカラク酒ヲツヽシミ行ヲ正シクスベキダ。故ニ禁酒禁欲ヲ以テ範ヲ兵ニ示シテハ如何ト。此ノ言葉ハ今事変ノ裏面ニ向ツテハ至言デアル。日本軍ノ強イノハ兵ニ中心点ガアル。休戦間ハアリトアラユル不仕鱈ガアツテモイザ戦トナルト別人ノ如ク強イ。是ハ世界ニ例ガナイデアロウ。反之兵ノ模範トナルベキ将校ガ極メテ素行ガ悪イ。是ヲ改メテ兵ヲシテ常ニ規律アラシメタナラバ更ニ日本軍ノ声価ハ挙ルダロウト同要人ハ評サレタ。亦今事変ニ於テ教育ノ高キ者ハ将兵共ニ概シテ成績ガ宜シイ。依ツテ将来ハ更ニ教育ノ徹底ヲ必要トスルノ意見モ出タ。強クバカリアツテ如何ニ広ク敵地ヲ占拠シテモ将兵ガ良民ノ反感ヲ買ウ行為ガアツテハ宣撫ノ努力モ無効デアル。就中敵ノ婦女ヲ冒ス行為ハ最モ目立ツテ宜シクナイコトデアル。」(79-80頁)
将校がおこした性に関する問題として、早尾は自分の体験の中で二つを挙げている。
「余ガ所属ノ班ガ船舶輸送ニ際シ部隊ト共ニ数十名ノ慰安所ノ女ヲ乗セテ揚子江ヲ上ツタコトガアル。部隊長ハ輸送指揮官ノ権限ナリト言ヒテ此ノ女ヲ将兵ニ分配シテ毎夜酒宴ヲナシ且各自ニ其ノ女ヲ室ニ呼ンデ楽ンダコトガアル。対手ガドウモ売笑婦ダカラ一向構ハナイデハナイカト言フ人モアロウガ軍人ノ品格上将校カラ先ニ立ツテ如此事ハ謹ンデ欲シイ。亦慰安所ヘ行クコトハ時間外デモ差支ナク許可ヲスル。而モ公用書ヲ持ツテ行ケト命令ガ出テル。是ハ極ル可笑シナコトダト言フ者ガ多カツタ。人モ妙ナモノデコウ出ラレルト却ツテ行カナクナル。外出ヲ馬鹿ニ厳ニシテ置キナガラ慰安所行ニハ絶対ノ自由ヲ与ヘルコトハ心アル兵ハ馬鹿ニサレタ感ガ深ク当局ノ親切過ギタ手段ヲムシロ滑稽ニ眺メ俺達ハ決シテ性欲バカリデ生キテルモノデハナイト言フテ居ツタ。」(80頁)
このように、兵を指揮する将校の軍紀・風紀が非常に乱れており、兵もそれを見習う。また、兵が事件を起こしても将校は何も言えない状況になってしまい、部隊全体の軍紀・風紀が乱れてしまうのである。