
≪写真は椅子に座っている創価学初代会牧口常三郎と、眼鏡をかけて立っている創価学会第2代会長戸田城聖≫
2016年8月25日、『創価学会とは何か1』完成、2~に続く。
私は20年ぐらい前、池田大作を批判して創価学会を脱退した。従って僕が創価学会に対して一般の元創価学会員のようにぼろくそに創価学会のことを批判する気があると思っている人がいると思いますが、それは違います。むしろ逆なんです。創価学会は日蓮大聖人の思想と行動を正確に現代に体現できる唯一の組織です。
しかし池田大作が生きているうちは日蓮大聖人の組織ではありません。今は公明党を動かすカルト宗教と考えてる人も多いですが、創価学会は釈迦(釈尊)の説いた最高の教え法華経(妙法蓮華経の略)を毎日勤行でよみ、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経を唱え、日蓮大聖人が書き残した折伏(しゃくぶく)を行う唯一の日蓮大聖人の精神を受け継ぐ釈尊の教えから続く歴史のある宗教団体なのです。それが池田大作の作った公明党によってカルト宗教政党とイメージされてしまいました。
私が創価学会を脱会した原因も池田大作を批判した為です。私は、池田大作が死ねば、今のように政治にのめり込むのをやめて、本来の宗教団体に戻るのではないかと考えています。理由は、池田のようなカリスマがいなくなれば、自然と原点である日蓮大聖人のの教えに帰らざるを得なくなるので、公明党の支援はするでしょうが、今のように公明党に偏った宗教団体から自然と政治から引いていくと思っています。それに創価学会員は自民党と組むことに嫌悪感を持っている人が多く、池田大作が保守党自民党が好きなので仕方なく池田の指示に従って自民党を押している学会員が多いからです。だから池田大作が死ねば、嫌だった自民党を押す人が少なるなるので自然と公明党の議席は減ると思われます。従って池田大作が死ねば議席を維持するため、公明党は結成当初のように反自民に戻るしかないと考えています。
理由は池田の締めとけがなくなっても自民党と一緒にいると、創価学会員は公明党に投票しなくなるからです。それに本来、創価学会の誕生の歴史を知れば自民党と組むことはありえないのです。
長くなりますが、創価学会の誕生の話をしましょう。
創価学会は、小学校の校長である牧口常三郎が戦前の1928年に日蓮正宗に入信。そのとき弟子であった戸田城外も一緒に入信、その後牧口常三郎とその人柄と教育方針(利・美・善)に魅かれた約30歳年下の戸田城外(のちに城聖)の2人が創価教育学会というのを作ったのがきっかけです(創価教育学会は1930年11月18日、牧口常三郎、戸田城聖らにより創立される。)
日蓮仏法と教育の融合でよりよい教育思想ができないかを研究するのが目的で日蓮正宗に入信し、創価教育学会を設立したのだと思います。だから始めはほとんど会員は教育者でした。牧口常三郎は初代の創価教育学会の会長になり、弟子の戸田は理事長になりました。しかしこの2人は日蓮正宗に入る前は、【大日本皇道立教会(だいにほんこうどうりっきょうかい)は、南朝を正統とし、その皇道に沿った教育を行う趣旨の元で、1911年に創立された。】に所属しており、日蓮正宗に入信するまでバリバリの皇国主義者であったのは面白いところです。
戦争がはじまると教育勅語【日本の教育の基本方針を示した明治天皇の勅語。1890年(明治23)10月30日発布。忠君愛国を国民道徳として強調した。第一回帝国議会の開会直前に発布,学校教育を通じて国民に強制され,天皇制の精神的・道徳的支柱となった。】が、【紀元節(2月11日)、天長節(天皇誕生日)、明治節(11月3日)および1月1日(元日、四方節)の四大節と呼ばれた祝祭日には、学校で儀式が行われ、全校生徒に向けて校長が教育勅語を厳粛に読み上げ、その写しは御真影(天皇・皇后の写真)とともに奉安殿に納められて、丁重に扱われた。】という事態になる。
小学校の校長であった牧口常三郎はこの教育勅語を【最低の教育勅語だ】と批判。異常なまでの全国で礼賛されていた教育勅語を批判したということで、創価教育学会に会合に特高(特別高等警察)が監視、出席するようになる。牧口常三郎は戦争体制に日本が変わるにつれ、日蓮正宗の信仰に重きを置くようになり、それと同時に、創価教育学会の会合には一般の庶民も参加するようになり、徐々に教育の要素は薄くなっていく。
牧口常三郎は自身の死が近づくほど天皇批判は強くなり、治安維持法(昭和16年(1941年)3月10日法律第54号)は、国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律。)により創価教育学会員は取り調べられ、ついに、
1943年(昭和18年)5月2日 第6回総会が戦前最後の総会となる。直後に神社神道を批判したことで機関誌『新教』が廃刊させられる。
1943年(昭和18年)5月2日 第6回総会が戦前最後の総会となる。直後に神社神道を批判したことで機関誌『新教』が廃刊させられる。
昭和18年6月 牧口、戸田らは大石寺を訪ねた。そこで、宗門から神札を受けるように申し渡されたが、これを拒否する。7月6日 伊勢神宮の神札、「神宮大麻」を祭ることを拒否し、焼却したために、「治安維持法」違反並びに「不敬罪」の容疑で牧口、戸田の他、21名の幹部が逮捕される。
【1944年(昭和19年) 11月18日 牧口が東京拘置所内の病監で栄養失調と老衰のため死去。】ということで、今でも天皇への批判は、「恐れ多いからできない」とか「右翼が怖い」とか「炎上が怖いからやりたくない」等でできない人が多いですが、当時はヒロヒト天皇は「神」であり、『今以上に恐れ多いどころではなく、批判など考えることすら許されない』状況を考えると、創価学会初代会長牧口常三郎はとてつもなく勇気のある人だったということがわかる。
日蓮正宗妙観講機関紙『慧妙』に当時の戸田城外理事長による『通諜』なるものが出ていますが、池田大作を折伏して『牧口、戸田両会長を良く知っている小平芳平氏は【そもそも、いまコピーで出回っている『通諜』なるものは、字が間違っています。正しくは『通牒』ですよね。こんなひどい間違いを、戦時中、厳格な教育者であった牧口先生や戸田先生が」云々】というように牧口、戸田の教育者2人がいて、これは30枚刷ってあったとありますが、このような重大事に教育者が2人いて題名の漢字を間違えるはずがありません。それに対し『非常時下、慌(あわ)てふためいて作った文書(それも、ガリ版の原紙を書くのは、牧口・戸田両氏が直接ではなく、担当者がいたことだろう)であれば、字の間違いがあっても何ら不思議ではない。』と、『通諜』を信じる者は書いていますが、①慌てふためいて字を間違えるような臆病者ならば、そもそも特高に逮捕されるような「神」である天皇批判ができるはずがない。②『牧口・戸田両氏が直接ではなく、担当者がいたことだろう』というのが本当なら「牧口常三郎と戸田城外がこのようなことを書いたという証拠にはならない、」ということになり、この『通諜』なるものは誰かが書いた偽物である、ということになる。
またこの『『通諜』には
ー学会の精神たる天皇中心主義の原理を会得し、誤りなき指導をなすこと。【学会の精神の中心主義は日蓮大聖人の南無妙法蓮華経であり、天皇中心主義、というのは断じて1000兆%絶対にありえない。もしそうなら創価学会は神道ということになる。このようなことを言うのは宇宙が無くなろうとも絶対にあり得ない】
一 感情及利害を伴へる折伏はなさざること。【牧口常三郎は地方への折伏の途中で特高に逮捕されたので「折伏はするな」と言ったのはありえない】
一 創価教育学会の指導は生活法学の指導たることを忘る可からざること。
ー学会の精神たる天皇中心主義の原理を会得し、誤りなき指導をなすこと。【学会の精神の中心主義は日蓮大聖人の南無妙法蓮華経であり、天皇中心主義、というのは断じて1000兆%絶対にありえない。もしそうなら創価学会は神道ということになる。このようなことを言うのは宇宙が無くなろうとも絶対にあり得ない】
一 感情及利害を伴へる折伏はなさざること。【牧口常三郎は地方への折伏の途中で特高に逮捕されたので「折伏はするな」と言ったのはありえない】
一 創価教育学会の指導は生活法学の指導たることを忘る可からざること。
一 皇大神宮の御札は粗末に取り扱はざる様敬崇祖の念とこれを混同して、不敬の取り扱ひなき様充分注意すること。 【牧口、戸田は上↑の書いたように日蓮正宗に入る前は「大日本皇道立教会」属していたため、日蓮正宗に入信したからと言っていきなり天皇批判はしていない。むしろ、
【創価教育学会第五回総会は、昭和十七年十一月二十二日東京市神田区一ツ橋教育会館に於て開催】では、
【牧口常三郎】は【全員座談会 戸田理事長座長となって司会し、次ぎの議題について研究する。】
一、退転防止の現状並に対策
二、国家観念の問題
一、退転防止の現状並に対策
二、国家観念の問題
(中略)この時、牧口先生も関係者の一人として神社問題について次ぎの通り説明される。
【牧口先生】 この問題は将来も起ることと思ふから、此際明確にして置きたい。吾々は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。しかし解釈が異るのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖国神社へ参拝するのは「よくぞ国家の為に働いて下さった、有難うございます」といふお礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与え下さいといふ祈願ではない。もし、「あゝして下さい、こうして下さい」と靖国神社へ祈願する人があれば、それは恩を受けた人に金を借りに行くやうなもので、こんな間違った話はない。天照大神に対し奉っても同様で、心から感謝し奉るのである。獨り天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝し奉ってゐるのである。萬世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち、天照大神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる今上陛下に凝集されてゐるのである。されば吾々は神聖にして犯すべからずとある「天皇」を最上と思念し奉るものであって、昭和の時代には、天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。「義は君臣、情は父子」と仰せられてゐるやうに、吾々国民は常に天皇の御稜威の中にあるのである。恐れ多いことであるが、十善の徳をお積み遊ばされて、天皇の御位におつき遊ばされると、陛下も憲法に従い遊ばすのである。即ち人法一致によって現人神とならせられるのであって、吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが、純忠だと信ずる。天照大神のお札をお祭りするとかの問題は萬世一系の天皇を二元的に考え奉る結果であって、吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。またこれが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である云々。
これにて座談会を閉ぢ、岩崎氏の緊急動議で出征中の牧口洋三氏のため「生活革新同盟の歌」を合唱、次いで吉田春蔵氏の軍歌独唱があって閉会の辞に移る。】
>>と言っており、ほんとに牧口常三郎は日蓮正宗を信仰しているかと疑いたくなる。また、このような考えならどうして逮捕されたのかと疑問に思うぐらいの天皇礼賛である。
「本日米国及英国ニ対シ畏クモ宣戦ノ大詔煥発アラセラレ洵ニ恐懼感激ニ堪エズ(中略)本宗宗徒タルモノ須ク聖慮ヲ奉体シ仏祖ノ遺訓ニ基キ平素鍛練ノ信行ヲ奮ヒ堅忍持久百難ヲ排シ各自其ノ分ヲ竭シ以テ前古未曾有ノ大戦ニ必勝ヲ期セムコトヲ
右訓諭ス」
右訓諭ス」
昭和十六年十二月、宗門はそれまでの軍事献金の労を早くも認められ、海軍大臣から次の「感謝状」を送られている 。 「感謝状 今次大東亜戦争に際し国防充実の趣旨に依り献金を辱うし感謝に堪へず茲に深厚なる謝意を表す 昭和十六年十二月海軍大臣 嶋田繁太郎 日蓮正宗殿」
そして、昭和17年11月19日には、日蓮正宗に報国団が結成された。結成式は大客殿大広間において行われ、宮城遥拝、詔書奉読がされている。宮城遥拝は、宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)と現人神であるとした天皇に対する拝礼である。
また、『特高月報 昭和十七年十月分』を見てみると、鈴木日恭法主や阿部日開元法主が「神本仏迹論」の邪義を唱える小笠原慈聞と交わした往復書簡が載っている。その第四信(昭和十六年八月二十一日付)で日恭法主は「宗祖を本地と云ひ、天照太神を垂迹などと云へば不敬に渡る事故、言ふべからざる事と存候」と驚くべき見解を述べている。
この日付の前日である八月二十日に、先にも紹介したように、鈴木日恭法主をはじめ元法主や長老たちが集まって開かれた「上老会議」で「神札の受容」「御遺文の削除」「御書の発禁」「観念文の改変」「本地垂迹説の使用禁止」等が決定されている。この事実を考え合わせれば、当時の宗門が治安当局からの弾圧を恐れ、“仏本神迹説は不敬となるから今後は言わない”と明言し、宗祖の国主諫暁(かんぎょう)の御精神を無残にも捨て去り、保身に走ったことは明らかである。
さらに、何と日恭法主が自ら音頭を取って、「聖上陛下には昨冬(昭和十七年・筆者注)十二月十二日伊勢神宮に御親拝と拝承し奉る、是れ赤子たる我等国民の斉しく恐懼感激する所なり」と、天皇の伊勢神宮参拝を讃嘆する暴挙に出ている。
他方、創価教育学会の牧口会長と戸田理事長(当時)は、断固神社不参・神札拒否の姿勢を堅持し続けておられたが、宗門側は官憲の弾圧がおよぶのを恐れ、昭和十八年六月、総本山に牧口会長らを呼び、日恭法主ら二上人の立ち会いの下、渡辺慈海庶務部長が神札を受けるよう強要したのである。
しかし、牧口会長らは神札を受けることを敢然(かんぜん)と拒否された。そして、孤立無援の状況の中でついに逮捕、入獄され、大聖人に連なる殉教の道を堂々と歩まれた。これに対し、宗門は自門の信徒たる学会を登山停止処分にして無関係を装い、同年十一月一日には、宮城遥拝(きゅうじょうようはい)・神社参拝を奨励する院達すら出している。
>>このように日蓮正宗は創価学会に対し【宮城遥拝、(宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)と現人神であるとした天皇に対する拝礼である。)】を強要しているが、牧口常三郎は断固拒否して、それがために逮捕され獄死している。ではなぜ、上↑にあるように、【創価教育学会第五回総会は、昭和十七年十一月二十二日東京市神田区一ツ橋教育会館に於て開催】の時に天皇礼賛をしたのだろうか。おそらく、総会なので全国の信者が参加していたので特高が監視のため出席していたのは間違いなく、その総会上で、現人神否定を言うと、創価教育学会の会員および一般信徒に逮捕が及ぶのを防ぐため、信者を守るために、現人神礼賛、神道礼賛をしたと思われる。
また牧口常三郎自身、まだこの時は神道に対する畏敬、尊敬の念も完全に捨てきれなかったということも考えられる。その証拠に、牧口常三郎は逮捕されるまでの天皇批判より、逮捕された後の獄中での『訊問調書』のときの天皇批判のほうが、逮捕前より過激になっているからである。普通は逮捕前は威勢よく天皇批判しても、逮捕された途端、神道批判を取り下げ、天皇礼賛に変わるのが普通である。事実、牧口、戸田とともに逮捕された幹部たちは厳しい取り調べで日蓮仏法を捨て退転し、天皇を礼賛し釈放されている。【しかし、驚いたことに73歳という高齢で獄死した牧口常三郎は、逮捕された前より逮捕された獄中の方が過激に天皇・神道批判をしているのである。】
それは『訊問調書』に残されている牧口常三郎の言葉でそれがわかる。
【「取払ひ撤去して焼却破棄等して居るものは、国家が隣組其他夫々の機関或は機会に於て国民全体に奉斎せよと勧めて居ります処の伊勢大廟からだされる天照皇太神(大麻)を始め明治神宮、靖国神社、香取鹿島神宮等其他各地の神宮・神社の神札、守札やそれ等を祭る神棚及び日蓮正宗の御本尊以外のものを祭つた仏壇や屋敷内に祭つてある例へば荒神様とか稲荷様、不動様と謂ふ祠等一切のものを取払ひ、焼却破棄さして居ます。(中略) 勿論之等の神宮神社仏寺等へ祈願の為参拝する事も謗法でありますから、参拝しない様に、謗法の罰は重いから、それを犯さない様に指導して居るのであります」(「訊問調書」)】
そしてまた「訊問調書」では明確に、【立正安国論」を示されながら当時の「聖戦」を「謗法國である処から起きて居る」と断じておられる。「現在の日支事変や大東亜戦争等にしても其の原因は矢張り謗法國である処から起きて居ると思ひます。】と、はっきりと、きっぱりと【戦争の原因は人である天皇を現人神として崇めるという、謗法国である処から起きて居ると思ひます。】言い切った言葉が残されている。だからこそ創価学会初代会長牧口常三郎は73歳という高齢の身でありながら獄中で特高により殺されたのである。
牧口常三郎が逮捕されたとき、弟子、戸田城外理事長も、ともに逮捕されて獄中にいた。そしてその獄中の中で、戸田城外は不思議な体験をする。これについては、戦後、戸田の弟子として職場も、布教活動も常に共にいて教えを受けていた池田大作はこの時の戸田が体験した不思議な出来事をしばしば聞かされていて、池田大作の書いた『人間革命』の中でも戸田の不思議な体験のことを書いている。
あまりに不思議なので体験した戸田城聖以外、わからないことだが、弟子たちに語った体験を要約すると、【戸田は獄中でいつものように日蓮大聖人が全人類に書き残した大御本尊が安置されている富士山にある日蓮正宗に向かって正座して題目(南無妙法蓮華経)を唱えていた。すると突然自分の周りがまばゆい光に覆われ、多くの菩薩や仏の中に自分も同じような姿で座っていた。やがて覆っていたまばゆい光は消え、獄中で題目を唱えている自分に戻った】というのである。信じられない話だが、その体験をした瞬間、戸田は、『自分がこの世に生まれてきたのは地涌の菩薩(じゆうのぼさつ、またじゆのぼさつ。)のリーダーとして日蓮大聖人の仏法をこの世に広めるために生まれてきたのだ)という自分の使命を悟り、創価教育学会を、全ての人間を救うということで『創価学会』に改名。自身も戸田城外から戸田城聖に改名する。
戦争が終わり釈放された戸田城聖は、師匠の牧口常三郎が73歳で獄死したことを知らされる。そのとき戸田は『私が獄中で不思議な体験をしたのも師匠が私を獄中に連れて行ってくれたおかげである』と涙を流して感謝した。創価教育学会のメンバーは多くの幹部が逮捕され、厳しい取り調べで信仰を捨てる幹部が多く、逮捕されなった教育者たちも恐れて学会を離れた。戦後残ったのは最後まで信念を曲げなかった戸田城聖と一部の幹部逮捕直前の学会に入信した数人の一般市民だけであった。
宗教者として布教を始めた戸田城聖は、戦後2年後の1947年、当時肺病を患い、長兄をビルマ(現ミャンマー)で失い、読書や詩が大好きな、どちらかというと静かでまじめで内向的な19歳の池田大作と出会う。(池田太作として生まれたが、結婚して長男が生まれたとき改名、池田大作になる)、人生について悩んでいた文学青年池田大作は、誘われた創価学会の座談会において第2代戸田城聖会長に3つの質問をする。その質問について明確な答えを返した戸田城聖に感嘆し、日蓮正宗創価学会に入信、以来、仕事から布教に至るまで戸田城聖のもとで一対一の教えを受ける。戸田城聖は獄中の厳しい取り調べの後遺症などで、58歳で亡くなる。池田大作は32歳で第3代創価学会の会長になる。
戸田城聖は『創価学会を75万所帯まで広げる』と目標を掲げ、池田大作は男子部の班長として11111所帯の入信を実現するなど戸田の目標に大きく貢献する。戸田城聖は酒が大好きなで性格は豪放磊落、対して池田大作は肺病を患う、酒が飲めない静かな文学青年。戸田は池田が自分の後継ぎとして考えており、内向的な性格を変えようと宴会の席で池田にみんなの前で踊りするよう命じたり、会合の席で司会をさせたり、皆の前で話をさせたりし指導者として育てていく。池田大作も指導者として多くの信徒の前で話をする機会が増えると隠れていた指導者としての資質が表れてくる。戸田城聖は亡くなるまでに弟子池田の奮闘もあって目標の75万所帯を実現、そして今の創価学会の組織の基礎になる男子部、女子部、婦人部、壮年部などの基礎組織を作る。
そのとき後の公明党につながる創価学会員の政治家を出すために政界に立候補させる。宗教団体がなぜ政界に入っていったのか。
池田大作の『人間革命』に政界に入っていく過程が書いてあるが、要約すると、①神道中心の戦争が敗戦で終わり、戦後、創価学会を含めた多種多様の宗教団体が誕生する。あまりにも多くの宗教団体の誕生に神道中心だった政治は対応できず、宗教の布教に色々と法整備がないため支障をきたすことが多く、自由に布教するためにはどうしても法整備の必要に迫られていたということ。②戦後創価学会は『貧乏と病人の集まり』と言われるほど社会の底辺の人達が多く入信していた。その人たちの生活を改善するためには題目を唱えていただけでは無理で、福祉政策が必要だということに自然と向かっていく。当時は天皇中心でそういう社会の底辺の人を考える思想はなかった。従って福祉政策を作っていく必要に迫られ、政界に創価学会員を送ることを戸田城聖は決定する。
そのとき戸田城聖は弟子池田大作に、宗教が政治にかかわることについて相当悩んでいたことを話している。それは宗教が政治に関わる危険性について話したことで、『人間革命』にも書かれている。
戸田城聖は創価学会員を政界に送り出すに至って、こう言っている。【我々は純粋に福祉政策を充実させ、社会の底辺の人たちを救おうと政界に乗り出した。しかし、世間はそうは見ないだろう。社会の中には、政治権力を使って無理やり日蓮仏法を信仰されるつもりなのだろうと考える人が出て来るだろう。天皇を現人神と無理やり崇めさせ、半ば強制的に戦争に駆り出された一般市民は宗教に対して不信と嫌悪感を抱いている。我々もきっと戦時中の神道のように、一般市民から、「創価学会も強制的に日蓮仏法を強要するだろう」と思われ警戒されるだろう。ダイ、お前もきっと宗教と政治の問題で悩むこと時が来る。しかし、いくら学会の政治家が増えようとも、絶対に創価学会は政治団体ではない。永遠に日蓮大聖人の仏法を信仰し、布教するために作られた宗教団体であることを絶体忘れてはいけないぞ。】と池田大作に語っている。(戸田は弟子池田のことをダイ、ダイ、と呼んでいた。池田が太作から大作に変えたのは太作のころから戸田にダイ、ダイと呼ばれていたので、それに池田が合わせたのではないかと俺は思っている)
しかし、この戸田城聖の懸念は残念ながら現在当たってしまったと言わざるを得ない。今の創価学会は宗教団体としてより、宗教政治団体と世間では思われている。
1964年に公明党が結成される。この頃は庶民の福祉向上のために権力政党自民党と戦う純粋な政党だった。当時自民党は「伏魔殿」と言われ国民に知らないところで何をしているかわからない政党で、公明党は自民党の闇の部分を暴いていく民衆の立場に立った反自民の野党政党でした。
初代、2代が築いた創価学会、公明党が変わった最初のきっかけは1970年の起きた『言論出版妨害事』だと思います。創価学会と公明党に対する批判本に対して、創価学会員、公明党議員らが出版・流通を妨害したとされる「言論出版妨害事件」に関し、野党議員が池田の証人喚問を要請[20]。 5月3日 創価学会第33回本部総会において、「言論妨害という意図はまったくなかったが、結果として、妨害と受けとられ、関係者に圧力を感じさせ、世間にもご迷惑をかけてしまったことは、まことに申し訳ないと残念に思っております」[21]と謝罪、公明党と創価学会の分離を約束。
このとき池田大作は今までの学会拡大路線の舵をきります。【今まではどれだけ折伏をして会員を増やしていくか、という方針で来たが、これからは量より質、拡大した組織を整備し、創価学会としてなのができるか、様々な可能性を追求して行く。】ということで、『政教分離とともに海外への布教、教育や世界平和実現のため対話重視の国際社会になるように行動する。』と事実上ここから徐々に日蓮仏法から教育、平和団体へと変わっていきます。
牧口常三郎が始めに創価教育学会として、教育に仏法の理念を取り入れる団体から戦争とともに教育団体から宗教団体へ変わって行ったのとは真逆の方向へ、即ち池田会長になってから宗教団体から平和・教育団体へと変わって行きました。そして、創価高校、創価大学を作り、ここから池田先生絶対信者の幹部が学会の中枢に入っていくことになります。
そして初代、2代が築いた創価学会が完全に変わったのが
1978年 創価学会員が拝んでいる【ご本尊】は【日蓮がたましひ(魂。信者に合わせて魂を漢字ではなく、ひらがなで書いている)をすみ(墨)にそめ(染め)ながして(流して)かきて候ぞ、信じさせ給え】と御書(ごしょ。聖書に当たる1619ページの御金言の書物)で書いてある紙に書かれた南無妙法蓮華経のことであり、このご本尊は御法主上人(ごほっすしょうにん)だけが受け継ぐ、【血脈相承(けちみゃくそうじょう)】と言って、日蓮➡日興➡日目➡~~と、頭に『日』と付く僧侶を一人だけ指名して、その一人だけが日蓮大聖人のご本尊を書くことが許され、その御本尊に入仏開眼法要して信者に渡される。これは日蓮大聖人から連綿と続いている、万世一系の天皇制のようなもので700年間、こうしてご本尊が引き継がれてきたのである。
昭和52年路線[編集]
【1977年(昭和52年)1月の教学部大会において、池田は「創価学会は在家・出家の両方に通じる役割を果たしているから供養を受ける資格がある」、「創価学会の会館や研修所は現代の寺院である」、「信心の血脈は創価学会に受け継がれている」などの発言をする。これに対し、宗門である日蓮正宗側は池田の主張は教義からの逸脱であると批判。翌1978年には、学会が法主日達の許可を得ずに赤沢朝陽に本尊を謹刻させ、入仏開眼法要をしていたという事実】でしょう。
池田大作はあろうことかこのご本尊を自分で作り、勝手に入仏開眼法要
までしたのである。いわゆる、池田大作は『ニセ御本尊を作ったのである』
このような大謗法の罪の報いであろうか、池田大作の3人の男子のうち、一番父親の池田大作に似ている力を持っていた次男の城久氏が29歳で亡くなるという驚くべき事態が起きました。一般の人ならよくあることです。しかし、『池田先生は絶対だ』と創価学会で毎日のように聞かされたその子供が29歳で死ぬのはありえないことでした。しかも3人のうち一番力のあった城久氏が亡くなったのは日蓮大聖人の仏罰を受けたとしか考えられません。
これをきっかけに創価学会と宗門に亀裂が入り、それが今にまで至り、およそ宗教とは言えない誹謗中傷合戦へと拡大。日蓮正宗は創価学会を破門。ご本尊を失った学会は、今度は自分で作ることはせず、宗門で中興の祖と言われた江戸時代の日亨(にちこう)上人のご本尊を正確に写し、それを学会員に渡しています。僕は創価学会を脱会したので創価学会を破門した日顕(にっけん)のご本尊を拝んでいます。
池田大作は宗門から破門されてから、勤行の時の言葉も、『2代日興上人、3代日目上人他歴代の御法主上人に報恩感謝します』から『初代、2代、3代(池田)会長の御徳に報恩感謝します』に改変。また布教より公明党の拡大に力を入れるようになります。『公明党に入れる人を増やすのは布教と同じ功徳、』などど、政党などなかった鎌倉時代に生まれた日蓮大聖人の御書(ごしょ。聖書に当たる1619ページの御金言の書)の中に書いてあるはずがないことを言い出します。
そして反自民で誕生した公明党は、池田大作がいきなり『日本人は保守党が好きなんだ』と言い出し、田中角栄や自民党幹部とひそかに会っていようで、池田の中に『反保守、反自民』の考えが無くなります。いや、今から思うともともと権力大好き池田大作からすると、自民党に対しては、公明党結党から羨望のまなざしで、『いつか俺も自民党に代わって見せる』と思っていたとしてとおかしくありません。そして細川内閣の中枢として政権交代に参加しましたが、細川首相が投げ出すように辞任してから野党に見切りをつけ自民党と接触、野党から与党へと、鞍替えします。池田大作の説く「中道政策」です。野党でもなく与党でもない、ということです。
池田はある会合で『自分の計画では自民党に代わり、とっくに公明党が権力を握っているはずだった。』と言ったと聞きましたが真偽はわかりません。しかし、権力、権威が大好きな池田大作からすると自民党とくっついて権力側にいるのが心地いいのでしょう。しかし創価学会員は未だに戸惑っていると思います。
池田大作は政治権力に力を入れると同時に日蓮正宗への攻撃を増々過激に展開していきます。その姿はもはや宗教者の姿ではありません。破門されたので別々の道を行けばいいのに、なぜ池田大作は宗門への攻撃を強めていったのか。それは、正本堂を壊されたことで宗門への怒りが頂点に達したからではないかと僕は思っています。
正本堂は本門戒壇の大御本尊を安置するために建てられた。建築家横山公男の設計により創価学会第3代会長池田大作が願主・大石寺第66世法主日達の代に1967年に着工し1972年10月に完成し法要が行われた。建築規模は建築面積39,368m²、延床面積35,155m²、高さ66m。信徒席は5,400、僧侶席は600。
正本堂の建設費用は『僧侶・寺族および各信徒団体合わせて355億3600万4309円であった。』とあるが、実際はほとんどが創価学会員の寄付金で建てられた。池田大作が学会員に、『永久ともいえる程後世に残るであろう正本堂の建設に加わることがどれだけの福運を得ることになるかは計り知れない。だからできる限り寄付を出した方が功徳も大きい。だから多くの創価学会員は参加した方は良い。この機会を逃すと永久に悔いを残すだろう』という呼びかけに多くの創価学会員が喜んで資金寄付を出してできたのが正本堂である。それを壊されたのだ。しかも学会が宗門に寄付した50億円を使って。これでは池田大作の怒りが頂点に達したのもわからない訳ではない。
ではなぜ日蓮正宗は正本堂を壊したのであろうか。私なりに考えた理由はこうである。日蓮正宗の宗旨における『三大秘法』には『本門の戒壇』『本門の題目』『本門の本尊』であり、正本堂は『本門の戒壇』として池田大作は末代まで末永く残るように造った。しかし、①正本堂の中のレリーフに池田大作と似ている半裸の男性像があり、それを彫った製作者・小金丸幾久氏(彫刻家、東大元講師)は否定しているが、確かに池田大作の半裸の姿に大変似ていて、僧侶たちが正本堂で勤行、題目をあげるたびに、それを目にすることに耐えられなくなった。②正本堂の建物の前に、高いトーテンポールのような五角形?の塔婆の塔があり、それに『正本堂寄進者創価学会会長池田大作』というような名前が彫られており、正本堂で拝む限り、僧侶は永久に創価学会と池田大作に感謝し続けなければいけないことに耐えられなくなった為。③創価学会と宗門の関係が悪化した為、宗門を攻撃し続けている創価学会の建立した正本堂で勤行・唱題することに耐えられなくなった為。などが原因であると思われる。
正本堂を壊されたことで創価学会と日蓮正宗の関係悪化は決定的となり、お互いの誹謗中傷はもはや完全に宗教とは別の集団になったと言って良い。日蓮大聖人は御書の中で僧侶と檀家の関係についてこう書き残している。
【生死一大事血脈抄(しょうじいちだいじけちみゃくしょう】
『総じて日蓮が弟子旦那(でしだんな)等・自他彼此(じたひし)の心なく水魚の思いを成して異体同心(いたいどうしん)にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処(ところ)生死一大事の血脈とはいうなり然も(しかも)今日蓮が弘通(ぐつう)する所の所詮(しょせん)是なり(これなり)、若し然らば(もししからば)広宣流布の大願も叶うべき者か、剰え(あまっさえ)日蓮が弟子の中に異体異心の者之あれば例せば城者として城を破るが如し(ごとし)
『総じて日蓮の弟子(今でいうと日蓮正宗)旦那(今でいうと創価学会)やその他の信者の者、は僧侶、だとか檀家だとか、日蓮正宗、とか創価学会、とかの心をなくして水と魚のようになろうという思いで一つに溶け込むようにお互いに努力して僧侶と信者という立場は違っても心を一つにして南無妙法蓮華経と唱えお互いがお互いを尊敬の念を持つことを日蓮が生きているときでも死んだ後で私が【本門の大御本尊としてこの世に残ったいる今現在】でも、最も最重要なこととして後世に伝え続けることが【生死一大事の血脈】というのである。しかも今現在(鎌倉時代存在時)、日蓮が広めようとしていることの最終目的はこの異体同心のことである。もしこの異体同心が実現するならば、この世界中に南無妙法蓮華経を広めようという大願を叶えることのできる弟子たちになるはずだと思うからである。
しかし事もあろうに日蓮の弟子である僧侶や、僧侶と同等の檀家を指導する立場の指導者としての弟子の中に、『僧侶と檀家は同じではないので僧侶は僧侶、檀家は檀家の別の信仰がある』、というように別々の考えを持つ弟子が出てきたとしたら、それは例えば城を守るはずの城主が自ら城を破壊するようなもので、こうなれば血脈は切れるので広宣流布は叶わない。
という御書の『生死一大事の血脈抄』の内容を現代に当てはめるなら、日蓮正宗と池田大作は異体異心であり、従って、日蓮正宗、創価学会、共に日蓮大聖人の血脈は切れている状態であると思われる。何故切れたかという証拠は、①日蓮正宗は創価学会を破門したため、一気に寄付金が無くなり、キャバクラ通いをして創価学会に苦情が多発していた僧侶たちも遊ぶ金が無くなったばかりか生活にも困る事になっている為。
②一方、日蓮正宗からご本尊をもらえなくなった創価学会は、江戸時代の日亨上人の御本尊を移し刷って学会員や新しく入信した信者に渡しているが、ネットで調べたところ、創価学会が用意したご本尊に勤行、唱題している学会員の中に病気や不幸なことが起こる会員が増えているというのである。私は20年前に脱会したのでそこのところはネットで調べるしかないが、かえって不幸なことが多く出てきた、という会員の動画を見たので、そういう人ばかりではないと思うが、日蓮正宗と一体化していた時と比べるとかえって不幸になった人が多くなったと言うのはありえると思う。理由は学会脱会者や宗門の悪口ばかり言っている宗教団体の会員が幸福になるとは思えないからである。
さて、長くなったが、最後に池田大作である。彼は今、どうなっているのであろうか?生きているのか、死んでいるのか、生きていても痴ほう症で植物人間のような状態で生きているのか、それとも、聖教新聞には池田の文章などが掲載しているということから、痴ほう症が改善して聖教新聞に文章を載せる程の回復をしたというのだろうか?
なんといっても池田大作のことで衝撃を受けたのは
池田大作「創価学会」名誉会長 担当していた元看護師が語る「厳戒病室」本当の病状 『週刊文春』2011年10月27日号
「先生の病気は、脳梗塞です。梗塞は二ヵ所にあり、もともと糖尿病という持病をお持ちなので、合併症を誘発する恐れもあります。自力で歩くことはできず、移動は車椅子でした」
Aさんは婦長から五階の勤務を命じられ、最上階へ向かった。エレベーターを降りるとう制服に身を包んだ警備員の刺すような視線が容赦なく注がれた。フロア全体のピリピリとした空気を感じながら病室の扉を開けると、生花の香りが鼻の中に広がる。そして、大きなベッドに痩せた老人が横たわっていたのである。
以下、長くなって手記が入らない為、これ以下の手記は『創価学会とは何か2』に続きます。またコメントも、その2~を書いている途中なので不可に設定します。