








今年は25年ぶりの大雪とか珍しく寒くて例年散ってる桜も僕の学生時代は当たり前だった4月の入学式の頃に満開になっている。改めて地球が温暖化しているんだなぁ~と実感する。
今年は昨年から体調が悪く、この冬、寒かったとはいえ、全く散歩に出られなかった。やっと体調が少しづつ回復してきて散歩もできる様になって来た。
今年は夜桜ではなく、明るい桜を撮りたくて、近くの公園周辺や自宅周辺の桜を午後3時頃快晴だったので撮った。しかし桜の木がほんとに切られていて桜の花がほとんどない木もあった。どうして毎年毎年桜の木を切っているんだろう。病気なら仕方がないが枝の切り口を見ても枯れてるような切り口は見られない。だからどんどん桜の花が少なくなって見に来てる人たちの「綺麗だねぇ」という声も全く聞けなかった。みんなもおそらく同じことを考えているんだと思う。
一番下の電柱のある桜は自宅の裏の、ほとんど誰も見られていない桜で、僕がここへ来たときは他の桜と違ってほとんど花も咲かず、すぐ葉っぱを出して桜の木かどうかもわからない木だった。おそらく誰も自分を見ていないので、「桜を咲かせても仕方ない」と思っていたらしく、すぐ葉っぱの木になって花はほとんど咲かせていなかった。そこで僕は毎年この桜の木に、「俺が見ているんだから俺のためだけでいいから桜の花を咲かせてくれ、と木に語り掛けることを毎年続けている。そしてなんと今年は一番下の電柱と写っている写真なのだが、その上の普通の桜の木と同じぐらい花を咲かせるようになってきた。やはり桜の木は生きていて、僕たち人間の思いが伝わっているんだと確信した。
僕がこのことに気付いたのは、毎年のように、写真を撮って「今年の桜」の記事を書いているうちに、桜の木によって「早く花が散る木」と、「いつまでも花が散らない木」があることに気が付いた。そして「いつまでも花が散らない木は必ず人通りの多いところにある桜の木」なのだ。そしていつ花が咲いたか分からない内にすぐに葉っぱだらけの木のなってしまうほとんど誰の目にも気づかれない僕の裏の桜の木。この違いがあまりにも際立っているので、『どうやら桜の木は人の目線や「綺麗だねぇ」という言葉が分かるらしい』ということに気が付いた。要するに、【桜の木には人の心が分かる心や感情がある】ということに気がついた。それで7年ぐらい前から、ほとんど花を咲かせない僕の裏の桜の木に『俺のために花を咲かせてくれ、来年はもっと花を咲かせてくれ』と語り続けた。そしたら今年、一番下の電柱のある写真だが、普通の木と変わらず咲くようになった。しかし近くで見ると、桜の花と枯れたような茶色の葉っぱが混ざっている。だから「もっと葉っぱを少なくしてくれ」と、今年は木に頼んだところだ。
【桜の木は生きている。心があり、人の声も聞こえている。自分を愛でる声も聞こえている。】