今日50歳になった。何も社会に貢献していない、苦労ばかりの人生だった。17歳の時に人工透析になる、と医者に言われたから、日蓮仏法を信仰していなかったら、腎不全で死んでいたか、人工透析になったとしても人工透析は長生きはできないから、俺はもう死んでいることになる。いずれにせよ、いま俺が生きているのは日蓮仏法のご本尊と題目の力であることは間違いない。ネフローゼは難病指定になっていて、現代医学では治せないからだ。しかし、俺は死んではいないが病気は治ってはいないのだ。死んでいる俺が日蓮仏法の功徳で生きている。しかし、病気は治っていない。じゃぁ、悪化してるかというと不思議なことに少しづつ血液検査は良くなっているのだ。年を取れば自然と内臓が弱ってくる。腎臓病の俺は年齢的に悪化するはずなのに、血液検査では少しづつ良くなっている。最初は難病ネフローゼ症候群だったけど、ネフローゼの特徴の総コレステロールが正常内になってきてるので、今は慢性腎炎に近いということになっている。だけど、病気は完治していない。腎不全にもならず、人工透析にもならず、ネフローゼから慢性腎炎に変わってきている。良くなってるのに完治はしないのだ。これはいったいどういうことなのかと不思議の思う。もう死ぬべき病状だったのに死なずに生きている。しかし完治してないので生活保護で社会に貢献していない、どころか迷惑をかけている。いったいどうして俺は生かされているのかと疑問に思うことがある。が、不安神経症になってから、少しは若い人のためになっているのかな?っと思うことが起きてきている。不安神経症になってこんなに若い人が苦しんで死にたがっているのかと初めて分かった。これからの人生、若い人が自殺しないように支えていきたい。できない人もいるけど、自分ができる限りのことはしていきたいと思っている。