元陸軍特務機関員が語る「南京大虐殺」
・「虐殺のなかった戦争などありえません」。第二次世界大戦当時、陸軍の特務機関員
だった男性が、南京での虐殺の様子を初めて語りました。
「今のうちに話しておかないと、私の知っている人たちも何もしゃべらないで死んで
しまった」
中谷孝さん、85歳。今の政治状況が70年前の戦争当時と変わらないと強い危機感を
覚え、自らの戦争体験を語ることを決意したということです。
その中谷さんは、様々な議論のある『南京大虐殺』はあったと主張します。
「非常に興奮した(日本軍の)兵隊たちは、怪しいと思う住民を全部引っ張った。やった人が
言っていたが、『怪しいやつは、皆殺せ』ということで、殺してしまった。これが事実です」(中谷孝さん)
南京大虐殺については、すでに何度も話してきたが、日中戦争の最中、1937年12月から1月にかけて、当時の中国の首都南京とその周辺で数十万人単位の人々が旧日本軍により虐殺された事件だ。虐殺された人々の中には、投降した兵士、女性、子供などの一般市民も含まれる。中には、便衣兵(平服を着替えたゲリラ兵)と間違えられ殺された市民もいた。
殺戮とともに日本兵による性暴力も頻繁に行われ、中には性病で死んだ女性もいた程だ。この事件を巡っては、「つくる会の教科書」はもとより、様々な書籍や雑誌で「まぼろし説」が流布されているが、それは事実誤認と憶測によって創りあげられたものであることは以前の記事で説明した。ほとんどは非専門家による情報源を明示せず、都合のいい部分だけを強調したイデオロギーと歴史認識を混同した結論ありきの代物である。
記事を書くと決まって気付いたことは、繰り返しのように「まぼろし説」を唱える人がいる一方、なぜ、こんな大虐殺が起きたのかという質問をする人々も意外に多い。理由は大きく2つある。1つは、大部隊を短期間に出兵させたため、物資などの補給が追いつかず、兵士自らが占領地で略奪をしてまでも食料などを調達しなければならなくなり市民に被害を与える結果になったことと、もう1つは、激戦と軍隊内での厳しい階級制度から主に下級兵士達が人間性を失い弱い市民を自らの欲求不満のはけ口にせざる得なくなる状況に陥ったことだ。南京に限らず、現代の戦場でも起こっている現象である。
証言集会の案内は、埼玉新聞と毎日新聞の地方版で取り上げられたため、多くの人々が集まっていた。まず、南京大虐殺に至るまでの歴史的背景と、最近発見された旧日本軍陸軍第百一師団所属の元兵士・故今村守之氏が残した日中戦争の生々しい記録写真を主催者である「ノーモア南京」の会の人が説明。日本刀で中国人が殺される直前の姿など含まれており、写真は戦場の生々しい光景を物語っていた。
周辺地域の被害について
その後、中国から新聞記者の載袁支さんが講演。南京大虐殺に関しては、南京市内でのことはかなり研究されてきたものの、周辺地域の被害についての研究は十分でないことから、最近ようやく周辺地域の住民からの聞き取り調査により、実態が、まざまざと分かってきたことなどを報告した。
載さんが調査した湖山村というところでは、61人の村民が虐殺され、その中には三歳の子供も含まれていたと語った。また、日本兵は村民の衣服に糞や尿をかけるなどの嫌がらせをして苦しめたということが分かった。このことは、イラクにおいて米兵がしている行為に非常に似通っており、古今東西、戦場における蛮行のパターンというものが変わらないことを知らしめた。
二人の生存者が問いかけるもの
次に、中国の南京から来られた2人の生存者による証言が始まった。最初に話をしたのは、陳広順(85歳)という方で、目の前で自分の村人が虐殺されるのを目撃したことを事細かに涙ながらに語った。日本軍が自分の家に押し入り、食料を奪った上、奪った食料を自分に運ばせたこと、23人もの村民が校庭に集めさせられ機関銃で撃ち殺されたかと思うと、その後に、銃剣で倒れた人々を息の根を絶つため刺していったこと。
数ヶ月経って、村人の埋葬をしようとしたが、腐乱してぼろぼろに崩れてしまい、その上、村が焼き尽くされたため、棺桶を作ることさえままならなかったこと。自分は運良く助かったものの、その記憶が決して脳裏から離れず、これまでつらい思いをしてきたこと。まるで、それが68年もの昔とは思えないほどに刻銘に語り続けた。
次に話したのは、陳秀華さん(77歳)という女性で、母親が目の前で殺され、自らも被弾したことなどを語った。日本兵から身を隠すため便所の穴に潜ったこと。母が死んだことで兄弟で3日3晩泣き崩れたこと。大黒柱だった母を失ったため、苦しい生活を強いられ、13歳の時に労働力として嫁入りしたことなどを語り、語る中で、陳秀華さんは日本軍のことを「鬼」とか「奴ら」という風に呼んだ。陳秀華さんにとっては、「日本」という言葉だけでも、憎しみがこもるほどで、日本に来て証言をすることはとても辛く勇気のいることであったことを知らされた。
加害者側の元日本兵は次のような証言をしている。
* 悪いことし放題じゃった。十人おって九人まで強姦しとらん奴はおらん。自慢話にもなっとる。慰安婦、慰安婦いうて、三十人くらいの女をたいがいの部隊では連れ歩いておった。pp276
* (強姦した中国の女性は)十人じゃきかんわと、三十人くらいじゃろうか、ようは覚えとらん。それは勘弁してくれ・・・・・。第一線部隊はそんなもんじゃ。(『南京戦』松岡環編より)
南京城内の敗残兵が、「便衣兵作戦」というものを計画していたとか、城内で日本軍が私服による戦闘行為に遭遇したという記録はない。
「便衣兵」とは、日中戦争当時の用語では「便衣隊」という。
「便衣」とは平服という意味であり、「便衣隊」と呼ばれるものには
1.一般市民が武器を取って抵抗するもの
2.軍隊が一般市民に偽装して作戦を行うもの
の2種類がある。
当時の国際法では、敵軍が突然侵入してきた場合に一般市民が武装して抵抗することは許されている(ハーグ陸戦規約第2条)。軍人が市民の服を着てはいけないという国際法はないが、軍隊が一般市民を装って敵を安心させて攻撃することは禁じられている。(ハーグ陸戦規約 第23条ロ号)
南京城内の「便衣兵」とは、一般の兵士が逃げ場を失い、日本軍に捕獲されても殺されると考えて、軍服を脱いで、市民に紛れ込もうとしたものであった。ひとまずは命が助かりたいための処置であり、計画的に実行された形跡はない。また、実際に「便衣隊」としての交戦行為が行われた記録もない。
南京城内には「便衣の兵士」はいたが、「便衣隊の隊員である兵士」はいなかったと考えられる。
信夫淳平『戦時国際法講義2』
「便衣隊とは--、交戦者たるの資格をみとめざる常人にして自発的に、又は他の示唆を受け、敵兵殺害又は敵物破壊の任に当る者を近時多くは便衣隊と称する。」
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/a...
ハーグ陸戦規約
【第2条】(群民兵)
占領せられさる地方の人民にして、敵の接近するに当り、第一条に依りて編成を為すの遑なく、侵入軍隊に抗敵する為自ら兵器を操る者か公然兵器を携帯し、且戦争の法規慣例を遵守するときは、之を交戦者と認む。
【第23条】(禁止事項)
特別の条約を以て定めたる禁止の外、特に禁止するもの左の如し。
ロ 敵国又は敵軍に属する者を背信の行為を以て殺傷すること
http://www1.umn.edu/humanrts/japanese/J1907c.htm
奥宮正武『私の見た南京事件』p60
(戦史家、元海軍航空参謀、当時海軍大尉として南京攻略戦に参加)
私の知る限り、彼らのほとんどは、戦意を失って、ただ、生きるために、軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。したがって、彼らを通常いわれているゲリラと同一視することは適当とは思われない。
http://nagoya.cool.ne.jp/whitecray/doc_okumiya.htm...