可能性について考える。

だいたい夜中です。
オリンピックを仕事の合間にみながら、今日あったことを振り返りながら、本をひらひらしながら

可能性について考える。

夏休みの子どもたちは大いに夏を感じている。
まず真っ黒。プール大好き。水着の跡を自慢する。

昼間に気持ち良く疲れる。
そして太陽の下で遊ぶ。
汗をかく。
中にはインドア派の子供もいる。ブロック、工作、絵、そんな世界に熱中する。

宿題だってある。
うえーっていいながらやる。友達と話しながら、一人でもくもくと、様々な方法で勉強というものに取り組む。

たまに夏だから、ダンスに励む。演劇とかに挑戦する。

私は幸運なことにそういう子どもたちのそばで夏を体感している。

可能性のかたまり。頭の先から足の先まで可能性であふれている。

私は大人。彼らは子ども。

そんな当たり前のことを痛感する。でも、子どものほうが楽しそうだから、時々その聖域にお邪魔する。
かき混ぜてみたりする。見事に反応する。無視する。おもろい!!


私が可能性の渦の中にいると実感できるのは、子どもとの時間と演劇との時間。そして踊っている時間。

ぐるぐると渦巻くその荒波、漣、景色の中で、私は何ができるだろうか。

私の周りの素敵な大人たちはいつも考えてる。
何ができるだろうか。


可能性を感じる。
可能性を考える。


力不足を感じる。
時間の速さを感じる。


今日、久々に夜の風に吹かれながら歩いてみたら、

自分の追い求めるものが、結局は可能性なんだって気が付いた。

無限の可能性の塊にぶつかり、そこから生まれるものを愛する。


そういえば、子どものころは夏が好きだった。必ず思い出ができてしまうこの1か月が不思議で好きだった。

可能性はすぐそばにあふれている。
果てしなく続く己の内側に、潜んでいる。