四 アーカイブ2019 鳥取城 | Tetsu龍 罷り通る

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Tetsu龍でございます。

 

鳥取城は言わずと知れた、

秀吉の兵糧攻めの舞台となった処。

その位の知識しかなく、行ったら、いや広い広い。

 

中世の山城から鳥取藩32万石の近世城郭まで、

結構色々詰まってる。

大体、僕の城攻めはフィーリングで行ってるので、

1回目は下調べなしが多い。

良かったら、もう1回来よう位の感覚なので。

バスを降りて最初に目に飛び込んできたのは、西洋風の建物。

「ルネッサンス!」

こちらは1907年完成の明治建築「仁風閣」やそうです。

海軍元帥 東郷平八郎の命名(命名した時は引退してるけど)、

本人直筆の額があります。

お城も好きやけど、こんなんも大好物やねんな。

中に入ると、豪華。

窓ガラス越しに見上げる鳥取城もまた一興かな。

博物館として使われていた時期もあるみたいで、

ゆったり回れます。

その後は麓の近世城郭から。

関ヶ原の論功で、池田長吉が6万石で入り、

近世城郭改造に着手。

池田長吉は、池田恒興の三男で池田輝政はお兄ちゃん。

その後転封で、池田光政、池田光仲と藩主が変わるのだが、

池田光政は、輝政長男利隆の子、

光仲は三男忠雄の子と微妙に系統が違ってややこしい。

徳川家と縁戚なので、鳥取藩は32万石と大大名なのです。

そんなことを思いながら回ると、各郭が無茶立派。

天球丸と云う、日本でここだけの丸い石垣は、

石垣が崩れるのを防ぐために、修理の時に

あんな形に積んだらしい。

もっと他に意味があるのかと思った。

その後、中世の山城の方に行ってんけど、

中々登りがきつい。

行ったのは5月やったのに汗だくになった。

登ってくるおっちゃんとすれ違ってんけど、

ぶうぶう言うてた。(笑)

上からの見晴らしは良かったので、

もう一回行ってみたいけどね~。