かつての那珂川河口付近の突き出た岬に鎮座する筑前住吉神社は、
三社の中で一番起源が古いとする理由として、
『古事記』『日本書紀』で、
黄泉の国から帰った伊奘諾尊/伊邪那岐命(イザナギノミコト)が、
筑紫日向の橘の小門(オド)の阿波岐原(アハキハラ)で穢れを祓った時に、
綿津見三神(ワダツミサンシン)、底津綿津見神(ソコツワタツミ)、
中津綿津見神(ナカツワタツミ)、上津綿津見神(ウワツワタツミ)とともに、
住吉三神が誕生したと云う説を取っているからです。
神功皇后が新羅征伐の後、宣託を受けるよりも早いちゅう訳ですね。
筑紫日向の橘の小門(オド)の阿波岐原(アハキハラ)、ここが何処かちゅうことが、
この縁起の味噌で、
一番有力な説は日向灘の宮崎海岸(宮崎市阿波岐原町(江田神社)今回未訪問)です
(国生み高千穂説ですね)。
それに対して、今回登場の筑前住吉神社説があり、神社縁起もこれを採用しています。
何処ぞの独自研究では阿波が入っとるから、徳島です、なんてネット記事もありましたが……?これは、流石に違う気がする。
博多は古代より大陸との窓口であった為に、
大和王権の重要施設(鴻臚館等)が置かれていたことは確かで、
「住吉大社神代記」とか「延喜式」神名帳に記載されている住吉神社は、
摂津国・播磨国・長門国・筑前国・壱岐国・対馬国だそうです。(壱岐は未訪問)
そんな中で国家プロジェクトとして
同時期に複数の住吉神社が造られたと考えると、納得がいくのですが・
あれ、何処が古いかと云う答えになってませんね。
そう思いつつ、博多の住吉さんも回ってみたのですが
現在の社殿は黒田長政による寄進であまり参考にはならんか。
つづく







