豊臣政権の大名 その四 青山 宗勝 | Tetsu龍 罷り通る

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 お察しの良い方々はもうお気付きと思いますが、
あ行の武将から始めています。

ただし、調べた結果関連城址がストックになく、
遠いお方は調べるだけに留めています。

まあ、回ったらその時にアップすると云うことで。

 

マイナー武将シリーズ、
今回は青山 宗勝(あおやま むねかつ)さんです。

 

永禄4年(1561年)の生まれです。

丹羽長秀に仕え、妻は長秀の娘でした。
長秀が死去すると秀吉の直臣になります。

黄母衣衆の一人で、九州征伐や伏見城普請で功績を上げました。

慶長3年(1598年)越前太閤検地を経て、
丸岡村を含む
24521石があてがわれます。

(豊臣秀吉朱印状 青山修理大夫宛)

小早川領越前国内蔵入地の代官も同時に任され、
丸岡城の城主に。

その後程なく死去したと思われますが没年は不詳です。

息子青山忠元は、関ヶ原の戦いで西軍に着いたため、
改易されます。

その時の石高が『廃絶録』によると、46, 000石あり
小早川氏の筑前転封の頃に加増されたのではないかと思われます。

子孫は再び丹羽氏に仕えたそうです。

                     つづく