ほぼ街道をゆく10 坐摩神社と高津宮界隈 | Tetsu龍 罷り通る

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(熊野街道篇)

 

 街道を早よ行けよ!と思いつつ、
 寄り道大好きなTetsu龍でございます。

 

 熊野詣の九十九王子、
 栄えあるその第一社に比定されている窪津王子跡地、

現在の場所は坐摩神社行宮。

 秀吉の大坂城築城にともない本宮は移転させられた訳で、
 じゃあ移転させられた本宮はどこにあるねん、
 と云うことでやってきました坐摩神社。

 地下鉄御堂筋線本町駅で降りると、
 本願寺大阪別院がどんとあります。

 北御堂、南御堂と呼ばれるドデカイ建物で
 貸会議室なんかもあったりしてそりゃあ立派です。
 でも今回は関係ないのでパス。

 

 さて、坐摩神社ですが、その南御堂の一本西側にあります。

いかすり神社と云うのが正しい読みのようですが、
すいません読めません。

一般的には「ざま神社」とか「ざまさん」とか、呼ばれています。

 大阪では庶民の神様として親しまれているとか。
 前述のとおり窪津王子の守り神で、
 神功皇后の創建によると云われ、
 住吉大社と並ぶ摂津国一宮と由緒ある神社だそうです。

 来てみると、それなりに境内は広いし社殿は立派ですけど、
  あまり参拝者は居ませんでした。

 

 坐摩神社も見たので、本来の熊野街道に復帰。

 前回は谷町筋の方に進んだところまででしたが……ここにも、
  少しややこしいし史跡が有るのです。

 高津宮、なにがややこしいねんと云うと、
  秀吉の大坂城築城に伴って元の場所から移転されているうえに
  色々な物が重なって、
  境内に行くと何が何やら判らないことになっております。

 

 まず難波高津宮、仁徳天皇が築いた都で、
  難波宮跡説など、記述はあるが
  現在も何処にあったのかはっきりしたことが判っていないのです。

 その高津宮(タカツノミヤ)を、
 貞観8年(866年)に清和天皇の勅命により探索したことから
 始まります。

 清和源氏の親玉清和天皇ですね、なんと古い。

そして、高津高校(コウヅコウコウ、今はコウヅと読むのだよ。)

  の辺りに、仁徳天皇を祭る高津神社を建立しました。

 これが、秀吉の大坂城築城により現在の場所に遷座させられます。

 でもって、遷座させられた場所が比馬古曽神社の境内で、
  ここが郡戸王子(コウヅ)の比定地だとか。

  

 更に、移転させられる前の高津高校の辺り、

  現在の天王寺区餌差町は、石山本願寺の外堀周辺で、
  少し南西に信長が拠点とした天王寺砦もあることから、
  本願寺51城の記述に見える高津城なんかがあったのか等と
  勝手に想像しています。

 

現在の高津神社に行ってみると、上町大地の端っぽなので、

  坂を利用して建てられていて、
  下手な城跡よりよっぽど砦みたいな感じです。

 でも、ここは秀吉の時代に移転してきて、
  太平洋戦争でも社殿の殆どを焼失しているので、
  雰囲気だけなんですけど。

 

                                                  つづく