先島戦国史もようやく佳境にはいってきました。
さて、八重山と宮古の対立と云うのが基本的にあるのですが、
早くに統一勢力の出来た
宮古と、まだ各地に群雄の割拠する石垣では
いささか事情が違います。
石垣では琉球・宮古に従おうとする勢力と、
八重山の独立を勝ち取ろうとする勢力の間で
前哨戦が展開されます。
まず石垣村の長田大主(ナータフシュ)。
大浜村の遠弥計赤蜂と隣接することもあって、
両者の関係は当初から緊張したものだったようです。
琉球・宮古からの入貢要請に長田大主は従おうとして
遠弥計赤蜂と対立します。
長田大主は遠弥計赤蜂を説得する為、
弟二人(息子説もあり)を差し向けますが、
逆に弟を殺害され、身の危険を感じて
西表島東部の古見地方に逃れます。
少し前、琉球に従う姿勢を見せていた
西表島の慶来慶田城 用緒(ケライケダグスクヨウチョ)は、
遠弥計赤蜂に味方しようとしていた
平久保加那按司(ヒラクボカナ)を討ちます。
遠弥計赤蜂は石垣島の勢力を味方につけようと、
まず川平村豪傑で按司の仲間満慶山(ナカマミツケイマ)に
協力を要請しますが、
琉球・宮古に従うべきだと主張する仲間満慶山と
会談は物別れに終わります。
川平村への帰途、
仲間満慶山は遠弥計赤蜂の配下、
黒石(コルセ)と嵩茶(タケチャ)の待ち伏せに遭い
名蔵のケーラ崎で命を落とします。
次に遠弥計赤蜂は、
波照間島の明宇底獅子嘉殿(ミウスクシシカドン)にも
協力を要請しますがやはり断られ、
小浜島に呼び出し、
黒石(コルセ)と嵩茶(タケチャ)を使って
同じく殺害してしまいました。
これにより八重山の勢力は、
琉球・宮古に反対する石垣島大浜村の遠弥計赤蜂と、
西表島古見に逃れた長田大主、
琉球・宮古に従う西表島祖納の慶来慶田城用緒と云う
構図になりました。
つづく
