ほぼ街道をゆく1 道頓堀 | Tetsu龍 罷り通る

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 以前から城巡りをしておりますが、色々な処に行くうちに、

その道中も楽しければいいのにと思うようになりました。

 

 そうだ!街道を歩こう。

 

 東海道、中山道、迷うところです……

家のすぐ横を街道が走っていました。

紀州街道ここから始めることに。

 

紀州街道は大坂と和歌山を結んでいた道で、

僕の住む堺では、今でも普通に紀州街道と呼ばれています。

 

起点は大阪高麗橋、あるいは日本橋となっています。
ここは南の日本橋を起点に。

 

日本橋? 

ん!どの橋のことや?

電気屋街のある一帯の町名が日本橋なので、

どの橋のことを日本橋と呼ぶのか実は知りませんでした。

堺筋の道頓堀に掛かっている橋が現在の日本橋だそうです。

(大阪市中央区日本橋1丁目)

江戸幕府が街道を整備した時に架橋したのが始まりやとか。

 

紀州街道は、ここから堺筋沿いに南下していきます。

今宮村、天下茶屋、住吉村、安立町と通過していくのですが、

寄り道せんと面白くないので、兎に角寄り道したおします。

 

橋の袂に来てみると、でかい石碑が……

「安井道頓顕彰碑」(日本橋北詰)

道頓堀造った人や!

そう云えば、見慣れている光景なのにあまり意識したことなかったなぁ。

この辺り、夜は酔客で溢れかえっているのに、平日の早朝は静かなもの。

出勤のサラリーマンが、パシャパシャと石碑を撮る僕を、

怪訝そうに見ながら足早に通り過ぎていきました。

 

道頓堀は、その名のとおり安井道頓が開削した運河です。

安井道頓(15331615)は、
戦国時代から江戸時代初期にかけての大阪商人で、
大坂城外堀開削の功労として、秀吉から城南を拝領します。
拝領地を開発する為、道頓は秀吉の許可を得て、
私財を投じ水路の建設を始める訳なのですが、
完成間近の慶長
17年(1615年)、
大坂夏の陣で豊臣方として城内で討死してしまいました。

その後摂津大坂藩が成立し、
藩の許可を得た道頓の従兄弟
安井道卜(やすいどうぼく)等の手によって
同年
11月水路は完成します。
この時、この水路を道頓の功績を称えて
道頓堀にせよと云ったのが、
摂津大坂藩主松平忠明であると云われています。

 

はい、長い寄り道ですね。起点から一歩も動いていません。(笑)
(^O^)/

                         つづく