もうひとつの観音寺城 | Tetsu龍 罷り通る

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100名城の旅は一休みで、


さて、全国には有名無名の城が、


わんさかとある訳で、一説には


数万とか……。


そうなってくると、誰もが知ってる


メジャーな城と同じ名前の城も当然ある。


そんな城の一つがこの観音寺城。


ここの町名が観音寺なんでこの名前がついたと思われます。


大阪の和泉市に石碑だけが残っている城です。


以下は石碑裏面の文です。



延元三年五月二十二日、鎮守府将軍陸奥守北畠顕家観音寺城を発進す

石津川畔に陣を設ける足利方武将和泉の國守護職細川顕氏の軍を敗り

阿倍野まで進出し髙師直の軍と一戦を交ふ 激戦の末大敗を喫し顕家は

無惨戦死す時に齢二十一才 麾下の兵は敗走して一旦はこの城に集結し

最挙を計りたるも勝に乗じて攻め寄する敵に抗すべくもなくあへなく

敗れて城溜まり城兵南方の山づたいに逃走せり爾来六百有余年特

に近年時勢の変遷にて山容一変し旧態を留めず城跡亦荒廃して昔を偲ぶ術なし

村人史蹟の壊滅を惜しみてこの碑を建つ