思い出の味。

きっと皆さんも、たくさん、たくさん、あると思いますが。

 

わたくしの思い出料理のひとつ。

久しぶりに、

留学中、友人から教えてもらった「南蛮漬け」が食べたくなって、作ってみました。

 

「南蛮漬け」と言ったら普通は、鶏肉だったり、唐揚げた鯵や鮭だったりを漬けたりを想像しませんか?

ですが。こちらは。おなすとパプリカでございます。

 

もう、バケツ一杯でも食べられる!っと思うほどに(嘘です。)

とにかく、わたくし好みのお味なので、たまに食べたくなって作りますが、今回は珍しく呑んべいさんもよく食べました!(初めてこれを食べた時の呑んべいさん、一つ食べて、「無理です!」っと言っていたけれど、今ではす〜っかり酸っぱいものも大好きになっちゃって。

今回恐らく数年ぶりに?食べて

「美味しいです!」なんて言っちゃってます。

 

『え?これ、昔食べられなかったのにね〜。』

「ま、今はこれ買っちゃってますから!」

っと差し出したびんは、レモン汁の瓶。

『え?!レモンあるじゃん。』っと言ったら、

「ビールにたくさん入れたいので(絞るのが面倒だから)これ買っちゃいました。」っと。

 

 

ナスの南蛮漬け。。

あれは、まだドイツに暮らし始めて間もない頃っ。

誰かのお誕生日パーティーだったのか?

日本人留学生のM子さんが、パーティーに持って来ていたもの。

 

初めて食べたその「南蛮酢け」は

その鮮やかな色合いから、てっきり「外国洋風(もしやドイツ)のお料理」だと思い込み。

『あのおナス、M子さんのお料理って、聞きました。ドイツのお料理なんですか?ずごく美味しいですね〜。』

あまりの美味しさに、同じ建物に住んでいたとは言え。まだ全く面識のなかったMさんに、グイグイとお尋ねをっ。

「南蛮漬けよ。レシピをみて作ってみたら美味しくて、ドイツでも作ってるのよ〜」(南蛮酢けって?あの南蛮??まさか、日本のご飯だったとは!!)

 

言われてみれば、確かに甘酢っぱいし「南蛮」と言えなくもないけれど。

ちょっと自分の知っている南蛮と遠く離れていて、いい意味で、衝撃でした。

 

当時、わたくしの住み始めたその建物は、市の持ち物(市営)。

本来は「盲目の方々の特別施設」だったそうで。

建物が古くなり、新たに施設を作ったので。残っていたその建物を、取り壊すまでの間(市民?に)『破格の安価で!』貸していたもの。

 

お家賃は忘れてしまったけれど、

日本の東京都とは、比べ物にならない破格のお値段で。(むしろ共益費に近かったような。笑)

運よく?わたくしの高校時代の恩師からの紹介!と言ういわゆる「人づて」で入居をしましたっ。

その当時、留学から帰って来たばかりの恩師が「留学時代」に住んだと言う、その「古い建物」の話しを、彼の「留学の思い出話し」を、交えながら聞いたわたくしっ。

縁あって、ドイツの同じ町に住むことになったので。

『そんな「安価」な所があるんですか?!! ぜひ、ぜひ!そこに住みたいです!!』

 

が。恩師が

「君には紹介できないな〜。女の子には絶対に進められないよ!!」と。

そう言われれば、なおさらに。。。。(絶対住むっ!笑っ。)

 

で。。。

実際に行ってみると、建物全体が、とても薄暗く(もともと盲目の方々の施設だからと聞いたけれど、あとあとドイツに暮らしてみると。ドイツのお家、基本どこも薄暗い!) 日本のように蛍光灯が煌々と明るい住まいは、全然見かけない気がします。

 

コンクリートで、造りはかなりしっかりしているけれど、やはり「施設」だったんだな。とわかる、角っとした乾いた印象の外観で。

お庭というか、建物の周りは手入れもあまりされていないので、

鬱蒼と茂った雑草に、一瞬で心萎えそうになり。

 

「えっ?いくら安くても、こんな建物に。人が住んで良いの??」無理かも。。と思ったほど。

 

が。。。

今思えば、地震のないお国ドイツですから。 

そのくらいの「古い建物」は、意外にも普通に結構あって。

むしろ、もっと古い建物がいくらでもある。

外の雑草の感じさえなければ、ちょっとした「寮生活」のような感じで。笑っ。

『まっ。「みんな!」住んでいるなら?!わたくしもっ。大丈夫なんでしょっ!』と。

とりあえずどこか、別のお家が見つかるまで、試しに頑張って住んでみる事に。

 

建物は。

確か1階は、以前は「受付事務所」だったのか?くらいの小ぶりの「ひと部屋」と、あとは大きな広間があったかな。(多分、入居者さんとそのご家族が団欒できるように作られた大部屋なのかな?)

2階、3階部分は、それぞれに4〜6部屋ずつと。屋根裏には大きな2部屋だったような? そうでなかったような。。。(遠い記憶を呼び起こす細目っ。)

 

なぜにそこに「住んでみようか?!」と、あっさり思えたか?と、いうと。

実は。。。

 

面白い事に。

住んでいたのは、そのほとんどが、日本人留学生とあとは中南米出身の人たち。

どちらも恐らく、お国(言葉)つながりの、「口コミ」だったようで。

あとで聞いたところによると「日本人」に関してはっ。やたらと顔が広く、鬱陶しいくらいに社交的だったわたくしの恩師が、調子に乗って? ”次々”と、声をかけたからだったのだとか。笑っ。管理者みたいな?(だから、全員が恩師の知り合い。笑っ)

 

ちなみに学生寮ではなかったけれど2人を除いて、すべて学生でした。

確かトイレと、お風呂は共同だった気がするけれど。

ただ、どんなに安価でもさすがは市営っ?! ちゃんとお掃除の人がいたようで、清潔は、かなり行き届いておりましたね。だから住めた。笑っ。

 

そして、各部屋に「手を洗える流し台」はあったけれど。キッチンは確か無しで。 

みんなどうしていたのか? というと。

そこに住む日本人の全員「自室」に調理プレート。と、お湯沸かしのポット。わたくしは「象印の炊飯器」を、日本から持っていくように!っと、恩師に指導を受け。笑っ。あとは、現地で調達っ。

 

初日こそ『こんな所に住めるのか?』と心配したけれど。

数日すると、す〜っかりと慣れて。笑っ。

まっ。わたくしの座右の銘は「住めば都っ&郷に入りては郷に従えっ。」でございますので、不便は慣れるものですね〜。笑っ。

(その割に呑んべいさんには、未だ「あなたは、ほんと不便が嫌ですよね。」なんて言われますけれどっ。笑っ。)

 

ちょっぴり潔癖症なので、不潔は無理ですが(ちなみに、呑んべいさんも、結構潔癖症っ。だから、いつも綺麗に掃除&除菌もしてくれて、助かりますっ。笑っ。)

部屋の手狭さ(日本のワンルームよりは広々)などは、全然苦にならず。お部屋に入ってしまえば、プライバシーもしっかりと。

今思うと、なかなかに快適でございましたかね。笑っ。

 

さて。そんなわけでスタートした、わたくしの留学生活。

所で、どれほどに日本人が居たか?と言いますとっ。なんと8人もっ!住んでおりましたよん。(ドイツの小さな田舎町なのにっ。笑)

 

そのうちの「5人」は、まるで、家族か兄弟?のように、ものすごい仲良しさんたちだったようで。

いつも一緒にご飯を食べ、車を持っている人が一人いて、みんなで、その車でよくお出かけしたりしていたそうな。(車は5人乗りなので、そこに誘われることはなしっ。笑っ)

そして、わたくしを含めて、残りの3人は。。。

それぞれが一匹オオカミっ。(若干一名、子豚っのわたくしっ。そこは「子ヤギ」か、「子羊」ではないか?!)

わたくし以外の2人は、ちょっと歳が離れていたのと。

もうすでに卒業を控え、また仕事も決まり、あまり家には帰ってこなかった感じ。

だから、パーティーでMさんにあった時に「あっ。この人も、ここに住んでたんだ〜。」なんて思ったほど。

 

Mさんは、当時、ヨーロッパ、そしてアメリカで仕事をし始めたばかり。(今は世界で活躍していらっしゃるっ。)卒業間近で最後の2〜3ヶ月くらいだったんじゃないかな?

 

後から(恩師から)聞いた話によると。当時は『苦学生』で。留学中。経済的にとても厳しく。とにかく「お金をきりつめる」ために、ずっとそこに住んでいて。(またかなりの美人さんだったので、恩師が、あんな綺麗な人がこんなとこに住んでいいのか!って思っちゃってたよ〜!なんて。それ、わたくし以外に言っちゃダメですよ!笑っ)

Mさんご本人は、とても真面目で、日本人と全く関わりを持たず(もともと英語もペラペラだったそうで、しがらみもない、外国の人の方がラクだったのかな?笑っ。)そして、人の30倍くらいの、ものすごい努力家。(ご本人曰く「血」は吐かなかったけれど、よくストレスでお腹を壊したそう。)

 

日本人の留学生で、あまり経済的に大変な人は、当時恐らく其の方だけ? 

ご実家のお家が大変だったのか?っというと、そうではなくその逆で。

これが。かなりの資産家のお嬢様。

 

昔ながらの、かなり厳しいおうちで、

日本で大学を卒業したら「お見合いをして、結婚をするように!」っとの父親のお達しを跳ね除け留学を決意っ。すると、お父様が娘さんをなんと「勘当した!」っと。

 

わたくしの留学中に、知り合った人は、皆さんそれごれ活躍をしているけれど、その中でも群を抜いて、成功しているMさん。

(成功した後もお父様の勘当は続き。。。)

それはきっとお父様から受け継いだ石のような強固な「意思の強さ?」と、ご本人の血の滲む日々の努力との賜物なのだな〜。

っと、ボ〜と暮らしているわたくしは、Mさんの姿をテレビで見るたびに思います。

そして心の中で『南蛮漬け、作ってますから〜』っと。笑っ。

(南蛮漬けではなく、「努力」の教えを請うべきだったのでは!苦笑)

 

 

Mさん曰く。作り方は、とても簡単で、

お野菜を「素揚げ」して、南蛮液につけておく!(ざっくり。笑)

昔は、わたくしもちゃんとお野菜を素揚げしていたけれど、

最近は「油」の消化が悪いお年頃?!(その割に、吸収はすごく良いっ。困っ。)

 

おナスに、さっと塩をして、水分をしっかり絞り。

 

パプリカも適当に切って、両方を炒めて〜。

image
 
面倒なので、同じプライパンで、南蛮タレを作り、
image
 
絡めて〜。
image
 
袋でそのまま漬けたら、もう完成〜。
image
 
色とりどりが食欲をそそいます〜!
image

作り置きの副菜として重宝です。

 

 

こちらもいつもの人参の千切りっ。

 

先日買ったスパイスを、試してみることに。

 

ハーブミックスと、オレンジの胡椒。(いつもとはちょっと違うサラダになりました)

 

この人参が、すんごい美味しくなってしまいまったのでっ。

 

こちらのパンを使ってサンドイッチを。

このパンは(呑んべいさんと先日運命の出会いをした日にALDIというスーパーで買ったものです。 初めて買いましたが、思ったより「もちっ」として。こんなパン屋さんみたいなパンが売ってるんだ〜っと、ちょっと感動しました。また買ってみようかな〜ん。笑っ)

 

チーズをのせて〜。

 

きゅうりっ。

 

トマトっ。

 

セロリ(全部見てわかりますが。笑)

 

そして、レタスに人参っ。

 

オーブンペーパーで、ギュギュっ。っと包んで〜。

 

こちらは、呑んべいさんが最近すごいハマっている穀物ぎっしりパン。

(わたくしはハマってませんっ。)

 

おんなじように〜

 

小さなパンなので、3枚でっ。

 

これは。キャベツのスープだったかな?

image

 

 

かぼちゃのサラダの残り物と、

 

市販のキャベツのサラダと。

 

こんな感じでわんぱくに〜。

(2人ともそれぞれパンが1つしか食べられず、各々が、お弁当に。)

 

もりもりですよ〜。

 

 

わたくしのプレートっ。

 

 

かわりまして。こちらは翌日のわたくしのご飯。

 

パンは、1枚でも、もりもり〜。

そして、この日の呑んべいさんは、前夜に続き。

朝(ブランチ)から、『ヂャジャンご飯』(前回のブログより)

 

ごめんね〜。。。わたくし毎日同じもの食べられないの〜。

っというわけで、ヂャジャンソースを作った本人は、

その存在をす〜っかりと忘れ。ご機嫌メニューでございます。

スープはコーンスープ(日本のっ。)