生きているうちに

間に合うって

ほんとうに

ほんとうに

うれしいものです。


言葉にあらわせない喜びです。


ワッと一時的に盛り上がる喜びとは違い

なんというか…

かかった時間と同じ分だけの

ゆるやかさで

じわりじわりと湧きおこり

持続するといいますか…

湧水みたいな感じ。


これまで色々あったけれど

色々あったまま、ではなく

時間の流れに助けられ

気づける

変わってゆける。


そのことを実感できることが

ほんとうに

ほんとうに

うれしいです。




ずっと変わらず

いつも目の前に

あったものだけれど

いまだから気がつける

いまだからわかる

そういうことってありますよね。


いま

それを実感する状況が起こっていて

それも

お互いにそうだと感じ取っている。


人との関係は、どんなものも

相手があること。

だから

ひとりでどんなに頑張っていても

成り立たない。

ひとりでどんなに願っても

確実に叶う保証はありません。


だから、これは

すごいことなんだと思います。





予定調和どおりにゆかないと

イライラしていたひと。

想定を外れると

裏切られたとばかりに

「こんなことになったのは…!」と

騒いだひと。


お義母さんです。


口が立つのと

言葉が悪いのと

行動がはやいのとで

ずいぶんと困らされました。


こちらとしては

冷静でいたいから

相手の言葉や行動の内側を

深く掘り下げて見つめたくても

次々と思いついては

突飛な言動、行動に走るので

「対処」と身構えることに必死で

やっつけるだけになっていた関係。


いまならわかります。


不安だったんですよね。

心配だったんですよね。


大切だから

辛い思いをして欲しくない

困りごととは無縁でいてほしい

つねに幸せでいてほしい。


けれど…


自分のチカラでは

どうあっても変えられない

他人の人生。

それがたとえ

家族であったとしても。


自分以外の人生は

他人のもの。


守り続けてあげたくても

外野席で

大声あげるくらいのことしか

できません。


「それでもわたしがなんとかしなきゃ!」


その思いが強すぎて

見境をなくす

ゆきすぎる。




面倒な親って、じつは

面倒じゃない親と同じくらい

思いやりがあるのですよね。

というか

じつは、どっちも同じで差がない。

どっちも愛情豊かな親なのです。


明らかな違いは

面倒な親は

思いを向けるポイントを

間違えているということ。

そして

もっとも厄介なところは

そのことに気がつけないこと。


気づけないから

変われない。

負のスパイラルパターンを

繰り返してしまう。

そのことにも気づかない。


たったそれだけの差。


それも

その人自身が悪いのかというと

じつはそうではなくて

環境がそうさせていたり。


たとえて言うなら

ゴジラみたいなもの。

核実験という環境汚染によって

あんなに巨大化、凶暴化して

脅威になったわけで

もしも、汚染されることなく

自然に暮らせていたなら

あんな怪物にならずに

済んだわけですから。


面倒な親も、じつは

抗えないものに汚染されるうちに

おかしくなっちゃったのかも

しれないんですよね。


知らんけど。





母の日の前日

お義母さんと電話でやりとりしました。


夫がひとりで帰省したんです。

ゴールデンウィークの混雑を避けたら

たまたま母の日の時期と重なって。


夫にはわたしからのプレゼントも

持って行ってもらいました。


電話はきっと

すぐにお礼が言いたかったのと

息子(夫)から聞いた

孫(娘)たちの近況のことが

お義母さんの予定調和を

激しくぶち壊す内容だったためでしょう。

(どこの家にでもある、たいしたことない内容なんですけどね。)


もともと深く考えずに

言動、行動する人。

想定外に出くわして

動揺したことを

(わたしに)聞いて欲しかったのです。


夫が実家を出てすぐ

こちらに戻らないうちに

息子に聞かれず話せるうちにと

慌てて電話をかけてきたこと

なんとなく察しがつきます。


息子に知られたら

「また勢いでそんなことをして」

「大丈夫って言ったのに」

と、呆れられてしまうから。


見え透いてて面白い。爆笑




さてさて、今回も

孫のことでは

思い通りにならなかった

お義母さんの予定調和。


ですが…


悪い予測が逆向きに外れた

ということもありました。


お義母さんからしてみれば

これまでも

散々期待を裏切られてきたことでしょうが

今回のような裏切られかたもあるのです。


お義母さん、嬉しそうでした。

「なにそれもう爆笑 裏切られたわ〜爆笑ルンルン

…てなもんです。(笑)


面白いものです。

いい結果が出たときって

裏切られても

嬉しいんですよね。


たいそうご機嫌でした。


大丈夫だったでしょ?

そして

いまもその大丈夫は続いているんですよ。

心の中でそう唱えました。

お義母さんに向けて。

そして

自分にも向けて。




うれしいのは

「いまはよくても、どうせまたうまくゆかない」

というお義母さんの口癖が

今回は出なかったこと。


お義母さんは

新たな不安設定を作ろうとはしなかった。

ちゃんとわかってくれている。

そう感じました。


だって、考えてもみましょうよ。

これまで散々

思い通りにならなかったのに

なんだかんだで

私たちが義母娘になってから

もう数十年

みなそれぞれ

色んな出来事を乗り越えて

今日までやってきたんですよ。


血のつながりがないからどうだの

息子とられるだの

嫁(自分以外の女)に任せて

うまくいきっこないだの


不安まみれのネガティブ「設定(決めつけ)」


それって…


ほんとうにそうなりました?




答えはハッキリしてる。




お義母さんにとって

過去に想定していたより

ずっといい形の

「いま」だと感じることも

あるんじゃないかなって

そんなふうにも思ったりして。





「なにくそで(結果を出すために)頑張れ」

そう私を鞭打った人は

もうどこにもいませんでした。


「元気でいたら、それだけでいい」


孫のことに至っては

「ぶっちゃけ、なにをしていてもいい」

とまで


すごいキラキラびっくりキラキラ


お義母さんの体を思い

選んだ贈り物も

喜んでくれました。


受話器の向こうの声が

キラキラしていました。


お義母さん。

わたしも言いますね。


わたしだって

あなたがウキウキと

幸せそうにしていると

ただそれだけで

うれしいんですよ。


あなたがどちらのおマダムだろうと

どこぞのおばちゃんだろうと

なにを持っていようと

なにを持っていまいと

なにを考えて

なにをして生きていようと

そんなこと

どうだっていいんです。


ただあなたが毎日のなかに

楽しみを持って

喜びを感じていてくれたら


わたしは、それだけで

とっても、とっても

嬉しいんですよ。



変われるってすごい。


いまではもう

自分の母より

母かもしれない。


失ったら

大泣きするかも。


それはまだ

先のことにしてください。


まだまだできること

やり直せること

あると思うから。


期待しすぎず

けれど

諦めずに。


お義母さん

素敵な記念日をありがとう。