すでに踏み荒らされた環境や関係に


帰ってゆくことは


わたしにとって、激しくエネルギーを削られる


辛く苦しい作業になるから、


だから、


汚染されていない、


安心して息がつける場所や人と繋いであげよう、


そう思って、これまで


動いてきてくださったんだなと、


しみじみ感じている今朝です。


(今朝繋がったので)






気をつかってもらっている。


その気遣いは、愛がベース。


無理にわたしを変えようとしない。


どっちでもオッケーの思いが軸になっている。


けれど…


汚染されていない場所や関係のほうが少ない。


安心して息ができる場所は制限される。


そんな不自由に、


わたしはもう、耐えられないだろうと思うのです。


心砕いていただくことに、


このまま甘えていてもいいのだろうか。


その疑問が、拭えなくなってきています。


その思考は、強制的にストップしています。






苦手な人っているじゃん。


どこにだっているじゃん。


誰だってそういう経験してるじゃん。


たしかにそう。


そういうとき、どうするか、尋ねたら、


みなさんこう言うと思うの。


「自分から縁を繋こうとしない」


「どうしても避けられないときは、


それは自分にとってなにかを学ぶチャンスなんだと思うことにする」


わたしもそう思うから、


距離を置くし、自分から関わろうとはしないし、


できる限り「どうしても避けられない」という


追い込まれた状況にならないようにする。






それでも、無理やり繋がってくるときは?


諦めないのは、性格じゃなく、


変えようのないものが、


そうさせているとしたら?





わたしは、チャレンジャーにはなれない。


これまで頑張れたのは、


罪悪感があったから。


ある意味、そのおかげで頑張れていた。


自分が悪いから、直さなきゃと思っていたから動けた。


でも…


そういう動きかたは、


もうできなくなった。


望んでいた形かはわからないけれど、


自分ばかりが悪いのではない、という状況に


ようやく至ったから。


押しつけられた罪の意識に、


きっぱり「ノー」と言ってよくなった。


「そうは思えないだろうけれど好転している」


と、


そう言われたとおりに。








人が見ていないものに、視線が向くわたし。


だから、


過敏になって騒いでいるように、


はたにはそう見えてしまうけれど、


宇宙規模で生命の循環がなされているという理論の上では、


わたしは、地球上の循環の外からやって来たかもしれないんですって。


そういう考え方もあるのなら、


この過敏さの言い訳にしようかとも思うけれど、


それも、人が考えたことであって、


宇宙はなんと答えるかわからない。


そういう眼差しで物事を見るから、


わたしは、地球での生命活動を


うまく楽しめないんだろう。


地球で楽しく生きようとするなら自分軸。


それが、


息苦しいって、


面倒くさいなぁ。






「争いごとは嫌いですね?」


「なにがなんでも嫌いですね?」


首もげるくらい頷いた。


だけど…


「自由に思い、自由に動き、自由に言葉にしていい」


「そこから動き出すものがある」


そうメッセージがおりてくるのだそう。


わたしの潜在意識を覗いた人が、


口を揃えてそうおっしゃる。


同じメッセージがおりてくる。






どうしてだろう。


どういうことなんだろう。


いまは、泥の中を探るような状態。


底、舐めてる?


ちゃんと舐められてる?


ははは。


へんな表現だな。(笑)






長い目で。


壮絶な、ショッキングな出来事のはじまりから、


まだ3ヶ月。


これまでの苦しみが覆されて、


まっさらになって、


ほんとうに向き合うべきものが明らかになって、


新たな苦悩を背負うことになってから


まだ、


たった3ヶ月。


体の細胞がようやく入れ替わったくらい。


生まれて3ヶ月でようやく首が座るくらい。


歩き出せとか言われたって、無理だ。


軽く言われたら、


そんな軽いものかよ、って、


怒ってもいいんだよ。







わかってくれないから、


言わなかった。


わかってくれる人なら、


とっくに話してる。


大切だから、心配をかけたくない、


だから言いたくない、


そういうご縁だってあるけど、


これは違う。


伝わらないからよ。


突然転調して、全然違う曲になろうと、


突然展開が正反対になって、ブツ切れになるドラマでも、


違和感感じない、なんとも思わない、


そういう魂の波動は、


わたしには合わない。


それだけ。





どんなに素晴らしいと言われているものだろうと、


その息がかかっていると思うだけで、


どうでもいいものに思えるくらい。


わたしは、それが嫌い。






嫌いなもの、あった。


これも、自分軸に加えていいもの、なのかな。


なんだろうな。


争いごとは嫌いだけれど。


いま聞かれても、


首もげるくらい、頷くけど。