駆け出し女優。


まだまだです。(笑)




「女優になりました」と先日のブログに書きました。


本来備わってはいるけれど、


眠っている、あるいは、


眠らせている部分を起こして、


前面に押し出し、使う。


今回の私にとって、その「眠らせている部分」とは、


「シビアさ」でした。





お仕事でも、プライベートでも、


愛と優しさは忘れないように努めてきました。


愛、優しさ、思いやり。


それらを他者に向けることができるということは、


とても素敵なことなのですが、


ときに、それらは、


生き物が生き残ってゆくために、


足枷になることがあります。


愛は多くを救うけれど、


その愛ゆえに、苦しみもまた生まれます。




わたし、知りました。


優しさが、ときに、仇(あだ)となってしまうということを。


悲しいけれど。


守らなければならない仕組みと、


他者からの要望とのあいだで、


自分が板挟みになってしまうことがあると。


そんなとき、


自分には、


どうすることもできないのだと。


それは、


無力だから、ではなく、


役割以上のことを負わされるから、なのだと。


その違いをわからずに、頑張ってしまうと


なにも生み出せないばかりか、


ひとつのことが、いつまでも


終わらない。


終わりが見えない。





「冷ややかさ」も、


「厳しさ」も、


それは、


意地悪ではなく、


必要なのです。


私たちは、つねに、なんらかの


「仕組み」のなかにいます。


その「仕組み」のおかげで、


自分と他者の、命の営みが維持されている。


だから、自分も、その「仕組み」の一部として、


「仕組み」を維持するべく、


機能しようとします。


個人的には、愛ある人でいたくても、


仕組みの維持のため、


機能維持のため、自分と他者を守るため、


ときには、


その思いを、脇に置かねばならないこともある。


優しさに依存させてはならないこともある。


甘やかしてはいけないこともある。


オカンヌ、頑張りました。


とっても胸が痛かったけど。




結果としては、


努力もむなしく…な結果に。(笑)


…ということで、


はじめの一文に戻ります。


駆け出し女優、


まだまだです。(笑)





結果としては、すんなりゆかなかったのですが、


まわりはとても優しくて、


迷惑をかけることになってしまったのに、


フォローに回ってくださっている。


反省しました。


「優しさ」が生み出すものは、


必ずしも、


いいことばかりじゃない。





春分を迎える流れ、という背景もあるのでしょうが、


クレクレ星人が増える時期なのだと思います。


これまでは、


どうすれば、互いに擦り減らず、


なおかつ、


「いい形で与えられるか」を考えてきました。


でも…


これからは、


「甘やかさない」


という選択肢も、取ってゆこうと思います。




うまくゆかないことから得られるもののほうが大きいと、


経験から感じることが多いこの頃。


「トライ&エラー」


すごくいい言葉だなぁって、


そう思います。





「甘やかさない」


気づいたところで、さっそく活用してみたいと思いますが…


うらやましい、って思われたり、


言われたりすることが辛かったのです。


「わたしがそうさせているのだ」と思うと、


辛くなってしまって。


でも…


こう思うことにします。


「この程度のことで、うやらましがっていていいの?」


って。


相手から見えるわたしは、


わたし自身の、ほんの一部。


そのことに、ひとつひとつ、


「うらやましい!」と反応があったとすると、


わたしのすべてをうらやむために、


その人は、どれほどのエネルギーを


無駄に消耗することになるでしょうか。


わたしも、そのことに、


「わたしのせいで…」と、


ひとつひとつ責任を感じていたら、


どれほどのエネルギーを、


無駄に消耗させることでしょうか。


お互いに、


エネルギーの無駄づかい。




だから…


「甘やかさない」という選択肢があるのです。


そう思ったら…





愛じゃないように見えているものも、


冷ややかに見えているものも、


愛と同様に、同等に、


価値あるものです。


自由に選べる柔軟さがあればいい。


それが…


女優道を極めてゆく、ということ。


そう思うのです。