ライティング講座の問いを


考えれば考えるほど


もぅ


逃げるわけにはいかない


そんな気持ちがわいてね





自由だ


己だ


元気だ


肯定だ


パワフルな言葉、表現を


ドカンと出す一方


猛烈に苦しくなることがあった





アメブロに


描くことなのだろうか


これを出すことで


一気に


画面の前から


みんな居なくなっちゃう


そんな気もして





愛ちゃん、、、、


そうだったの、、、




軽蔑されそうなそんな気もする





だけど私は


今回このライティングで


堂々と書こう‼️‼️


その言葉が妙に引っ掛かってた





そして


自分の存在への無価値感





このお話を出すことに


ものすごく抵抗があります




生涯墓場まで


持ち込めばいい話だと


ずっと蓋をしてました


でも


本当に蓋をしたままで


いいのだろうか




かといって


世界配信されてるこの場で


出す話なのかと


今も分からず思うがままに


描いてます




でも、出します





どんな反応あろうが


出すと決めたので書きます







ずーっと遡るとね


ずーっっっと


私は


お母さんになる資格はない


お母さんになることが


怖くて仕方なかった






命って


生まれる命だけではありません


流れる命もあって


もっと言えば


生まれることすら出来なかった


命があるのです





私はね、罪人です





そう


私は


私のお腹に宿った命を


産まない選択をした人間です





性の話って


どこかタブーなとこあって


しかも


産まない選択をする話なんて


みかけないよね




真面目な


優等生な私は


最もやっちゃいけないこと


そう思い込んでたし


そんなことする人を


ながば軽蔑してた人間です





にも関わらず


私はそれを選択した




そして


いざ結婚、妊娠したらば


すぐに流産だと分かり


誰にも本音は言えず





ずーーーっと


ずーーーっと




私のせいだ


私のせいだ


あのときのせいだ


自分を責め続けました






そんな本音とは裏腹に


悲しい😭って泣いて


自分のやったこと棚にあげて


嘘をついてる


その自分も苦しかった





唯一


産婦人科の先生にだけは


産まない選択をする時


流産した時


心から話が出来た唯一の存在でした





そして


私はお母さんとなった





また責めた





どうして


あの時はダメだったのに


今度はいいの?





あれから時間は



経ってはいるものの



消えるわけはないし



いまだに分からない





色々な本を読んでは


正当化する私もいた





ただ


過去はもう過去だということ





だからといって


あの時の気持ちを


あの時の選択を


なかったことにするのも


やっぱり違うなと思う





ごめんなさい

ごめんなさい

ごめんなさい



何かを隠しながら


わたしを生きる


それがもう出来ない






言葉に出すこと


この話に共感は求めてない





ガッカリさせたり


軽蔑する人も


出てくるだろう





それもこみこみで





ホントの意味で



私は


正々堂々と生きていく


  


そして


私は


私を1番許せていない





描くことで


言葉に綴ることで





私が


私を許していきたい






お母さんであることにも


後ろめたさ感じず


正々堂々と


お母さんである私も


許していきたい





これが
わたしです