●香高堂音楽文化記=星の流れに君恋し、されど嫉妬
ルイ・アームストロングの名曲“On The Sunny Side Of The Street”、NHK朝ドラから<ジャズ>が消えた。〈ひなたの道〉とは何であるのか、3代目ヒロインと時代劇が何を表しているのか全く見えない。
昭和36年、低音歌手フランク永井は、時雨音羽版「君恋し」をカバーした。「宵闇」と言う都会の夕方を表す風情溢れる表現、声高に「愛や恋」を語らない寡黙な昭和初期に生きた男の切なさがある。裏町を彷徨うその男の姿が浮かぶ。
♬「宵闇せまれば 悩みは果てなし みだるる心に うつるは誰が影 君恋し 唇あせねど涙はあふれて 今宵も更け行く」♬
歌われなくなった三番の歌詞があると言う。作詞に行き詰まった時雨音羽が橋のたもとですれ違った芸者の帯を直す仕種をみて閃いたのが「燕脂の紅帯 緩むも哀しや」、男の歌のように思えたが、どうやら奥床しい表現の奥にあるのは女心のようだ。
時代は過ぎて、昭和56年に井上陽水作詞作曲で「ジェラシー」が発表された。妖しくセクシーな歌声が切なく、寂しくも悲しいメロディー。嫉妬心は相手の気持ちが他のものへ向かうのを疎ましく感じる感情だが、愛は時に憎しみになる。陽水本人は妻への嫉妬心を歌ったものであることを告白している。この時の妻は歌手の石川セリ、2019年頃別居と報道されている。
「♪君によせる愛は ジェラシー 春風吹き 秋風吹き 悲しみに暮れながら 君によせる愛は ジェラシー 君によせる愛は ジェラシー♪」
そして昭和59年、阿久悠作詞で森進一が歌ったのは「北の蛍」。凄まじき情念の世界、擬人化された自然に色重ねが見えてくる。
「♪山が泣く 風が泣く 少し遅れて 雪が泣く 女 いつ泣く 灯影が揺れて 白い躰がとける頃 もしも 私が死んだなら 胸の乳房をつき破り 紅い螢が翔ぶでしょう♪」
「♪雪が舞う 鳥が舞う 一つはぐれて 夢が舞う 女 いつ舞う 思いをとげて 赤いいのちがつきる時 たとえ 遠くはなれても 肌の匂いを追いながら 恋の螢が翔ぶでしょう♪」
日本帰国後2年近くが過ぎたが、音楽が心に響かない日々が続く。サラエボやマルセイユで毎日のように響いていた音楽が、パソコンに接続された我が小さなスピーカーから遠ざかっている。音楽文化が生きる時代ではなくなっているのかもしれない。
人間は辛い時や悲しい時、嬉しい時に歌い、音楽を聴く。今どんな音楽が、人々の心を打つのであろうか、時代が違っても<歌われる言葉>は変わらない。だが、その言葉は時代背景を背負い、奥深い所にあるものは異なる。今の時代に生きる若者が訴える言葉は我々が生きていた頃と変わらない。
だが、普遍性を持たない故か、心に響くものは少ない。現代の若者の音楽はメロディでなくリズムで聴かせ、音域の狭い、メロディの無い音楽ばかりだ。日本帰国後にどんなに広く聴き耳を立てても、我が歳には実感、理解できないものがほとんどだ。コンピューターで打ち込む音楽が作り出すからであろう。
昭和22年に発売された歌謡曲<星の流れに>を菊池章子が戦争の犠牲になった女の無限の哀しみを切々とした感覚で歌い上げた。本来のタイトルは<こんな女に誰がした>であったが、GHQは「日本人の反米感情を煽るおそれがある」とクレームを付けた。
「♬星の流れに 身をうらなって どこをねぐらの 今日の宿 荒む心で いるのじゃないが 泣けて涙も かれ果てた こんな女に誰がした♬」
ならば、政府の<件の禍>の無策を見るにつけ<こんな社会に誰がした>
「♪政治の流れに 身を占って 何処を彷徨救急車 荒む心で いるのじゃないが 泣けて涙も かれ果てた♪」
「♪五輪見ながら 息吐き出して 呼吸器探して夜の流離い 人は見返る 我が身は高熱 町の灯影の 侘びしさよ♪」
愛したり、別れたり、働いたり、食べたり、笑ったり、泣いたり、人はその気持ちを伝えようとする。書く・話す・吐露する・駄べる、人は言葉で表現しようとする。だが、くるくる変わる「今の言葉の空気」についつい踊ってしまう人々もいる。たいしたことがないと思っていると足元をすくわれる。生きづらい世の中に<そこはかとない孤独>が浮かび上がる。