●香高堂世迷言=天は高きに居って卑きに聴く

 

「天帝は高い所にいて下界の人の言葉を聴き、人間の善悪を厳しく判断する」と言う。今年は明治維新から数えると154年、<2022-1945=77 1945-1868=77>、あの太平洋戦争の敗戦年で「戦前」と「戦後」は同じ長さになる。明治維新以降、我らを良き生活に導く天帝はどこに存在しているのであろうか。

 

今の王様は「あらゆる選択肢を排除せず、さまざまな意見に耳を傾け、これからも検討したい」という答弁を多用している。これまでのより人柄良く口調も穏やかだが、「優柔不断、どっちつかず、やっているふり」とも言われている。メディアも聞かれたことに答えない王様の見て、同調しているのか「野党に隙与えず」と伝えている。

 

「ぬかにクギ、豆腐にかすがい、のれんに腕押し」、そんな諺があった。聞く力よりスルーする力で、聞き流していると思える。江戸の世や戦前ならまだしも、為政者は国民との信頼がが求められる。そこに必要なのは「聞く力と聴く力」、「話す力と語る力」であろう。

 

その「聞く」と「聴く」は同訓異字だが、相反するというよりも「聞く」の一部に「聴く」があるようだ。「聞く」は黙っていても耳に入ってくる状態、BGMとして音「音楽を聞く」になる。一方、「聞」は「門」と「耳」に分けられ、「門」は二人の直立した人間の側面を表した象形文字で、「耳」は<響いてくる神の声をきく>というのが元の意味だ。

我々の心に<神の声>が響いているだろうか、大きく耳を開いても<天の声の真実>は聞えて来ない。数年前のエッフェル塔のライトアップ、光は天まで届かない。

 

 

電動キックボードが感染拡大した昨年から人気になっている。「道路交通法上の原動機付き自転車」であるが、公道を走る際には原付き免許やヘルメットが必須で、ナンバーやミラーの取り付け、自賠責の加入義務もある。だが、無免許や信号無視などの違反が多く、乗っていた男性が頭の骨を折る重傷事故も起きている。高い所にいる公人が違反ばかりしているから、若者も「それで良し」とするものが増えている。