香高堂世迷言記=別腹と別枠、そして無かったことにする

 

お菓子やケーキは<スイーツ>などと言葉を変え、甘いものを食べる時は<別腹>と皆言う。この2年の自粛生活、ダイエットに成功して見違えるような姿になったのだろうか。それとも外出出来ぬほどのお腹を抱えているのだろうか。

<別腹>とは、これ以上は食べられない満腹状態でも甘いものなら食べられることを言う。大脳がオレキシンというホルモンを分泌、中枢神経に働きかけ、新たな食欲を生み出す。大脳から指令を受けた胃は何とか食べ物の一部を小腸へ送り出し、新たなスペースを作る。

 

一方、別枠とは<特別に優遇><特別待遇にする><特別に便宜を与える>など、他と比べて有利になるよう扱うことを言う。何か都合が悪くなると<別枠>だと横においてしまうのが日本人で、それは忘却の彼方に消えてしまう。東京2020で起きたこと、大会経費など総括が為されていないことなど忘れて、北京五輪に出場する選手にエールを送るなど言っている。さらには札幌冬季五輪の招致や大阪万博やカジノ誘致の話も別枠になっている。

 

 

毒饅頭でも食べさせたいと思うほど見事なほどの官邸の情報統制力だが、別腹にして省庁、いや小腸が壊れないのか心配してしまう。「医療が圧迫されるから飲食店を時短する」というのが今回の<まん延帽子ロジック>らしい。サラエボの霧深い夜の写真を見て2013年3月に「なかったことにする技術と姿勢」と言うタイトルで、ブログに書いたものを思い出した。~~~~~

 

◆数年前から、近所の家の壁に「なかったことにする技術」と言うポスターが貼られている。メディア事件や事故を一時的に過剰に取り扱うが、暫くしたら何も報道しない。「あるところ」はメディア操作をしながら、実態の感じられない景気回復を伝え、原発や震災などまるで「なかったかのよう」に振る舞っている。

「なかったこと」にすることによって、日本人は時代に適応してきたのかもしれない。クレイジーキャッツの植木等も「そのうち何とかなるだろう」と言いながら死んでいった。一方、欧州は歴史を水に流さないと言われ、ナチスの問題などいまだに確執を続ける。それは今もリアルな問題で、多くの人が「なかったこと」にできない考え続けるべき問題と捉えている。

差し迫った状況にあるにもかかわらず、これを政局に利用しようとする政治家、官僚、企業がいる。現実を「なかったこと」にするのではなく、受容したうえで再構築するのが肝要であるのは確かである。すべてはその時の判断と恣意性によって起こると思われるが、この選挙だけはなかったことにしてよいと思う。~~~~~

※追記:2013年の参院選は自民が大勝し、衆参「ねじれ」解消、民主は大敗。失われた10年はまだ続くのか。