●香高堂メディア文化記=岩波ホールから始まる繋がりが紡ぎ出すもの

日本の映画文化の多様性を支える存在だった<岩波ホール>が、新型コロナウイルス禍の打撃を受け、約50年の歴史の幕を閉じることになった。我が口うるさい友人のFBに、コメントしたら「翁にはまだテキスト化されてない日本エンタメ史上の侏儒を書き起こす使命があると思うよ」と返しがあった。

 

思い出を噛みしめるように「問わず語り」に書き記そうと思っていたら「語れよ」との指示だった。鎌倉時代の女性が綴った日記及び紀行文学「とはずがたり」は、誰に問われるでもなく自分の人生を語るという自伝形式で書かれている。人の繋がりの奥深さを改めて感じ、「永遠ず語り」になるかもしれないが。

 

 

岩波ホールは1968年、岩波雄二郎氏が建てたビルに義妹の<高野悦子>さんを総支配人として開設された。当初は多目的ホールだったが、1974年に映画館として再出発した。200席あまりと小規模で、大手映画会社が取り上げないような隠れた名作を1館だけで公開する上映方式をとった。高野悦子さんの亡き後は<岩波律子>さんが運営指揮をしていた。

 

高野悦子さんは東京国際女性映画祭GPとしても活躍、また小藤田千栄子さん、羽田澄子さん等がサポートしていた。それだけに女性映画人として、今回の東京2020の記録映画を監督する河瀨直美氏の動向が気になっている。一方、企画室長の<大竹洋子>さんはディレクターとして活躍、1995年退社後は女性映画と中南米映画などの紹介に力を注ぎ、キューバにも行っていた。さらに各地での女性映画祭をサポートしていた。

 

 

岩波ホールには映画好きの有能な人材が集っていたが、40年間ホールの企画や宣伝に携わってきたのが<原田健秀>さんである。「はらだたけひで」という名前で活動する絵本作家でもあり、色覚障害のため一旦はその活動を断念した。夢をあきらめきれず再び絵筆を握る。独得の淡い色合いが評価され、「フランチェスコ」は、日本人で初めてユニセフの国際絵本画家最優秀賞を受賞する。この絵本は我が家の宝物にもなっている。

 

年末には、大会議室を利用した忘年会が行われていたが、高野悦子さんの人柄が出て早々たる顔ぶれになる時もあった。著名映画監督や評論家、外務官僚、各国の大使館員などが集い、カラオケ大会になったが、カラオケの上手い下手もあり、実名は上げらない。私はカラオケが嫌いなので早々に退散していた。一方、私は当時腰痛持ちであり、映画館の椅子に長く座るのは耐えられなかった。好きな映画は封印して何年経つだろう。

 

 

さて、私の岩波ホールとの関りは1990年代初めになる。今も長き付き合いがあり、我がマンションの<売買や管理をしてくれる女性>から話があった。岩波ホール総支配人の<高野悦子>さんの企画室長だった<大竹洋子>さんの息子が赤坂でライブをするから聴いて欲しいとの誘いであった。ギター1本でライブをしたその青年は<大竹史郎>と言い、ダンサーを目指して渡米したが怪我で断念、ニューヨークのブロンクスに住みついた。

その場に南米アルゼンチンの民族音楽フォルクローレの雄<アタワルパ・ユパンキ>の孫もいた。

 

その後史郎とアルゼンチン北部のセル・コロラドまで向かい、ユパンキの墓の前でのギター演奏を私が録音することになる。一方、ユパンキが広島を訪れた際の原爆の詩作「ヒロシマ忘れえぬ街」を<広島図書館長の山崎氏>が持っており、それが大竹洋子さんから史郎に渡り、彼が曲を付けてギター1本で歌い上げたが、壮大な叙事詩を感じるものだった。

 

そのライブを聴きながら「新しい日本人」をテーマにしたラジオド音楽キュメントとつくろうと思った。60年代にはシベリア鉄道などで海外に出かけるバックパッカーの若者がいた。90年代に入り、新たな志向が生まれ、異国アメリカに向かう若者が出てきたと感じた。70年代終わりにJALが「ZERO」という航空券とホテルだけがセットになったツアーを発売したが、パックツアー全盛時代にあまりに早い企画だった。

 

さて、高野悦子講演会とセットで、広島でこの歌のお披露目コンサートをやろうと言うことになった。そのイベント運営を行ったのが広島に住む在日韓国人の姉弟で、その妹が最初のきっかけを作ってくれた不動産関係の女性だった。さらに、その時に知り合ったのがNTTの<胡子敏則氏>であり、彼の親友がニッポン放送で放送作家をしていた<故鈴木氏>であることが分かった。人の繋がりは思わぬように発展していき、その後、東京での田縁の会など様々な広島人脈に繋がっていく。

 

 

岩波ホールを皇居方面に向かうと学士会館や共立講堂がある。岩波ホールのある神保町には古き良きお店が残っているが、学生運動のお陰でお茶の水、駿河台、神保町に続く通りには20代の思い出は少ない。

 

岩波ホールは7月29日で閉館するが、「新型コロナの影響による急激な経営環境の変化を受け、劇場の運営が困難と判断いたしました」と説明している。今後は、上映中のドキュメンタリー「ユダヤ人の私」の後、15日から日中合作映画「安魂」、29日から「ジョージア映画祭2022」など5番組を上映予定。6月4日公開の「NOMAD」が最後の上映作品となる。