●風英堂月隠記=大いなる雑談、師走に沈黙は禁。

 

12月は「師走」と呼ばれる、「僧侶=師が仏事で走り回る忙しさから来ている」と言う平安時代からの説がある。だが言語学的な根拠がなく、「しはす」の語源は平安時代には既に分からなくなっていたようだ。また「春待月」「苦寒」「三冬月」とも称され、さらに「極月(きわまりつき」があるが、1年が経つのが早く、我が人生が極まりつつあるのか分からない。

 

 

一方、1年の最後の日は「大晦日」「大晦(おおつごもり)」と言うが、その「晦」は、月が隠れる「月隠(つきごもり)」が変化したもので、この言葉には浪漫がある。ところで、太陰暦から太陽暦に変更された明治5年、12月は2日間しかなかった。これは明治政府が年末の給料を削減するためで、12月3日は明治6年1月1日となった。そう言えば、東京五輪で祭日が政府の都合で変更になったが、印刷されたカレンダーは変えられず不自由した。

 

 

アベノマスクの存在も厄介なことになっているようだが、ずっと雑談をしていなかったせいか、口が大きく開かない、回らない、滑舌も変だ。「沈黙は金」でなく「沈黙は禁」だった。口角は肩甲骨まで繋がっており、筋肉を動かさないと身体が強張る。PCやスマホはひたすらに下を向く、歩行不安で下を向いてばかり、人生も下向きになるようだ。

 

顎を引いて上を向いて歩く、首を立てる感覚を意識できれば、肩も回り、肩甲骨も下がる。さらにお腹が引っ込み、腰が経つ。足指が意識され、足首が真っ直ぐ前を向く。そう言えば、空を見ることが少なくなっていたようだ。そんな時は身体を整えるための「呼気」を意識する。呼吸が出来ればお腹も立ち、肩甲骨と胸を張れば胸襟を開ける。

 

 

晩秋と言おうか、この10年で日本、サラエボ、マルセイユの景色を見てきたが、初冬を感じる極まり月が始まった。