●風英堂神無月記=マコ&ケイの奇なる純愛ドラマ。

 

海外メディアが「ドラマ」と名付けた<マコ&ケイ>のド派手な駆け落ち婚が、日本で展開中だ。ワシントン・ポスト電子版は「イギリスのヘンリー王子とメーガン妃の衝撃的な王室離脱に匹敵する」と書いている。プリンセスマコと結婚するため、髪の毛を長く伸ばして後ろで結んで、ニューヨークから弁護士見習いケイが登場した。おおかたの予想を裏切って、何処かに向かっていく二人の物語がド派手に展開していくようだ。

 

「事実は小説より奇なり」である。イギリスの詩人バイロンが生み出したこの諺、現実の世界で実際に起こる出来事は、空想で書かれた小説よりもかえって不思議である。この純愛のようなものは、次にどんなドラステックな展開を見せるのであろうか。

このドラマの背景には<マコ父>の兄コンプレックス、そして<マコ母>の新たな立場への果てしなき野望がある。また、<マコ弟>の大学進学先やその将来、猫可愛がりする姿も透けて見える。恋が成就したら<ケイ母>との主導権争いも見えてくるかもしれない。さらに男性優位社会をどうしても主張したい<右の片翼しかない人々>の飽くなき欲望が蠢いている。果てしなき内憂外患の状態がこの家庭ドラマの宿命かも知れない。

 

 

ところで、歴史上兄弟での天皇位への争いで有名なのは中大兄皇子と大海人皇子の関係だ。千数百年前の日本、額田王は最初に弟である大海人皇子と、後に兄である天智天皇と結ばれたと言う大らかな恋愛ドラマもあった。そこに皇族の争い、さらに政治権力を握ろうとする氏族が絡んできた。皇位を巡り壬申の乱が起き、奈良朝の争いは果てしなく親子兄弟の争いと駆け引きがあった。

この頃には男系、女系などは関係なく、女性天皇が息子のために躍動する。愛憎渦巻くドラマは平安時代まで続き、怨念を生み出し、陰陽師など祈祷の世界に入りつく。ああ、駄目だ、純愛ドラマに果てしなき妄想が拡がる。

 

糸井重里は、いつの時代でも「一見カッコよい、言何とも心地良い言葉触り」で表現する。だが、深く物事を考えないで発言し、その意図と立場はぼかしたままにする「おいしい生活」を語る。彼ならこの事態をどう表現するか。「マコは純粋で一途な女性だ、人間らしく立場を尊重しろ」とでも言うのであろうか。だが、その言葉の裏には「騙されやすく、世間知らず」であるという反面が隠されている場合がある。

 

 

マコ&ケイ、このド派手な駆け落ち婚は本人同士及びその家庭の事件であり、皇室そのものの在り方と本質は別であると思える。プリンセスマコは「誹謗中傷」を受けて「複雑性PTSD」になったとの医師の発表があった。ゴシップネタであり、TVメディアやネット上にはマコ&ケイの批判があふれているが、「異論、正論、批評、批判」は誹謗中傷にあたらないという声も多くみられる。

 

「複雑性PTSD」と診断した医師からは、それが何処からかを明らかにされていない。宮仕えの役人の苦悩とも思えるが、その発表の仕方が「言論の自由」を萎縮させている懸念が大きい。PTSDは1995年の地下鉄サリン事件で知られたが、患者と地下鉄駅長に取材してドキュメンタリー番組をつくった我が身は今も、その患者の苦悩の声が記憶に残っている。我が知り合いの精神科医もこの診断名には困惑しているようだ。

 

 

PTSDの本当の実態が知られないと、逆にいちばん迷惑をこうむるのは患者である。最近ではコロナ患者の実態が伝わらず、同調批判が続いた。精神科医の和田秀樹氏は「複雑性PTSD」について述べている。

 

◆『1991〜94年にアメリカに留学して以来、この疾患に向き合ってきた私は、宮内庁のその後の説明を聞くにつけて、腰を抜かすほど驚いてしまった。なぜなら、複雑性PTSDとは虐待のような悲惨な体験を長期間受け続けた人に生じる心の病であり、治療も大変困難なものとされているからだ。1970年代、ベトナム戦争で兵士が受けた心理的後遺症やレイプトラウマの研究が進み、1980年に発表されたアメリカ精神医学会の診断基準第3版(DSM-3)に「PTSD」という病名が採用された。

今回の報道でもっと危惧するのは、複雑性PTSDになった人は周囲の人がやさしく見守れば、そのうち症状が緩和する軽い病気であるかのような誤解が広まることだ。あるいは、芸能人や政治家がバッシング逃れのために知り合いの精神科医に複雑性PTSDの診断書を書いてもらうケースが増え、この疾患に直面している人の苦しみをどこか軽んじるような風潮が世間に広まることもあり得る。』◆

 

確かに今後、医者に影響力のある政治家や上級官僚が「複雑性PTSD」という診断書を書かせることが増えるかもしれない。