映画「キングコング対ゴジラ」が再々再々再々?公開されている。

シリアスな「ゴジラ」から打って変わったコメディ娯楽路線に戸惑う観客もいるらしい。

この路線転換の要因は1962年・高度成長時代がもはや戦後ではなく、核の脅威もはるかに小さくなったノーテンキな世界状況だったからだろうか?

史実として、核実験史においてこの1962年は人類史上最多の核実験が行われた年で、世界は三日に一度、巨大なキノコ雲が立ち昇るのを目撃する。

前年の1961年10月には、ソ連が北極海で史上最大の水爆ツァーリ・ボンバの核実験を行っている。「キングコング対ゴジラ」で国連からゴジラへの水爆攻撃を考慮してくれという要請があるが、決定稿には「100メガトンと水爆攻撃」とあるのはこのツァーリ・ボンバのことだろう。ゴジラは史上最大の水爆と対応するもので、北極海からやってきて、日本に持ち込まれたアメリカ産のキングコングと激突する。

1960年安保当時、アメリカの核の日本国内持ち込みが最主要問題のひとつだった。

「世界大戦争」(1961年)で描かれたようなソ連と米国の核が飛び交う最終核戦争を描いた映画は洋の内外を問わずこの時期に現実感を持って数多く制作されている。

「20万Vを突破されたら東京もパーだな」「(疎開しても)ゴジラやキングコングはどこに来るかわからない」アイロニカルな諦観。

「キングコング対ゴジラ」の明るさや笑いは、この時代の恐怖と背中合わせのものだった。

1954年の7倍の核実験が行われた1962年の頃には、もはや核被害を切々と描くのではなく、ブラックパロディ化したと思われる。中島紳介氏が指摘したように「博士の異常な愛情」的なブラックコメディ。

1962年秋には、キューバ危機が起こる。もう一歩で全面核戦争が現実になるところだった。

これに危機を感じた米ソなどは、1964年8月に部分的核実験禁止条約に調印し、地下核実験以外は全て禁止される。

これ以後空に立ち昇る恐ろしいキノコ雲を見ることは激減したのだろう。(中国やフランスは批准していなかった)

1964年の「モスラ対ゴジラ」では、「原水爆禁止の掛け声も最近じゃ耳にたこって感じだが・・」というセリフがある。

部分的核実験禁止条約が批准されたことで人々の核に対する意識に変化があったのかもしれない。