彼は視界の端に汚いチラシが落ちているのを見た。何かの宗教の勧誘チラシだった。その辺に捨ててあったのを拾ってポケットに入れていたのが落ちてしまっていたようだった。踏まれて足跡がついた手描きのヘビのキャラクターが、笑顔を浮かべて連絡先と勧誘文句を喋っている。『神と触れ合って、人生を幸せにしよう!』とか、『世界は奇跡に満ちている!希望を信じよう!』とか、キラキラした事を言っている。

なんて嘘臭い。

彼はそう思った。この世には奇跡もクソも無い。何をやっても上手くいかないし、誰かや何かを信じても意味がない。この事実こそが神がいない証拠だ。存在しない神に縋っても何も良い事は無い。祈っている暇があったら別の事をした方が良い。だからこのチラシは嘘だ。
もし仮に本当に高次元の存在が三次元に現れていたとしても奇跡は起こせない。今起こせていないのだから。だからこういう奴は全員口だけで奇跡を騙るペテン師だ。このチラシの主もそうだ。じゃなければ、自分が今救われているはずだ。

チラシのヘビが笑顔で彼を見据えている。ヘビはデフォルメされており、口が頬についたような絵になっている。現実のヘビではあり得ない。このヘビは二次元上で分かりやすく表情を表現するために嘘の存在になっている。高次元の存在を二次元に落とし込む時に発生する、二次元の嘘…。
彼はなんだか急に、底知れない恐怖を呼び起こされたような気分になった。



三次元の嘘




君は暇だった。モンスター対策パークで午後から怪物の森に大きなモンスターが出るという情報を聞き、その討伐に行こうとしていた。君は金と名声が欲しかった。君の飼い主は君に期待していて、君はそれに応えたいと思っていた。君は最近、飼い主の要望に応えきれていなかった。沢山金を稼ぎたいのに自分のレベルではまだまだ上手くいかない事が多い。だから一発逆転の戦いをしたかったのだ。
しかし早く来すぎてしまったらしい。時間はまだ午前だった。
仕方がないから午前の間はG.L.L.で時間を潰す事にした。君は適当に放浪を始めた。

G.L.L.城に来た。
プラム・ピーの部屋ではグループで来ているリヴリー達がプラム・ピーにフウセンコガネを食べさせながら「頼む!お願い!デカいdd来い!」と騒いでいる。しかしプラム・ピーが出したのは端金だったようだ。彼らはあ〜あ、と笑っていた。君はギャンブルに興味が無いから、その場を立ち去った。

doodooフラワーパークに来た。
粗末な身なりのリヴリーが、花にddを賭けていた。手を合わせてブツブツと何か言って勝ちを祈っているようだったが、色当てを外してしまったらしい。そのリヴリーは蹲って嗚咽を上げ始めた。君はギャンブルに負けた者を馬鹿だと思いながら、その場を立ち去った。


君は中央広場に来た。大勢のリヴリーが絶え間なく行き来している。中央の像のランキングを見て、「来週は順位が上がると良いな〜」「リヴリー神社にお守りでも買いに行くか」と、高レベル帯に見える真っ黒なリヴリー達が話していた。「お祈りなんかする暇があったらレベルを鍛えた方が良いだろ?」そんなことを言っている奴もいる。
君は歩き疲れたのでカフェにでも行こうと思い、中央広場の端を歩く。道が分かれる手前で、男が声を上げている。

「宗教に興味はありませんか?神に奇跡を祈って幸せになりましょう!」

男はそう言いながらチラシを配っているようだった。しかし、誰も相手をしていない。彼が抱えるチラシの束はまだ分厚く、思ったように捌けていない事が伺えた。君はその男がなんだか気になって、歩みを止めて遠巻きに眺めた。

通行人が一人男のチラシを受け取り、内容を見ていた。男は目を輝かせて何か言おうとしたようだったが、次の瞬間通行人はチラシを投げ捨てて行ってしまった。チラシは風に煽られ、人々に踏まれ、あっという間にくしゃくしゃになってしまった。男は悲しそうな顔をしたが、すぐに気持ちを切り替えたらしく呼びかけを再開した。

君はそのチラシが気になって拾ってみた。そのチラシはなんだか見覚えがあった。デフォルメされたヘビが祈りを呼びかけている絵。男は定期的にこれを配っているのだろう。たまに捨てられているのを見る。君はその男がなんだか気になって、暇つぶしに話しかけた。


君はカフェワイズウッドで男の話を聞く事にした。
男は名を神社と名乗った。そして自身を神そのものだと言う。神なのに神社とは、犬が犬小屋を名乗るようなものでは? 君はそう思ったが、めんどくさいので触れなかった。
神社は、長い舌と尾を持つ蛇のような種族のミズカミノオロチ種だ。頭に生える淡い青色の触角と黄金の尾は確かに立派で神々しい見た目だったが、君には彼の話す内容が胡散臭く聞こえる。冷血動物の爬虫類系の種族に宗教の温かみとかが分かるのか? 君はそう思ったが、めちゃくちゃ差別なので言わなかった。
そしてその偏見を置いておいても、暇つぶしに声をかけただけの君は神を信じていないし信じようともしていないから、胡散臭く感じるのは当然だった。ハナから真面目に話を聞く気は無く、君は詐欺師の話術だとか、変な宗教のノリとか、そういうものを聞いて面白がってやろうと思っている。そして君はもし強引な勧誘が始まったらすぐにでも立ち去ろうと考えていた。君にはモンスターを一人でも倒せる実力があるので、何かがあっても目の前の華奢な男を捻り倒す自信があった。

「何から話せば良いだろう…興味を持ってくれる人は滅多にいないから、嬉しくて段取りが分からないな!とりあえずこれが聖典で、こっちが教義を簡単にまとめたものだ!」

神社は笑顔で資料を取り出した。デフォルメされたヘビのキャラクターがにこにこ笑っている冊子が何冊か差し出された。
どう考えても怪しい宗教だろうから、胡乱な単語が出てきた時点で笑ってやろうと思っていた。しかし、資料には「早起きをして朝日を浴びて、やってみたい事を考えよう」とか、「寝る前に1日を振り返って良かった事をメモしよう」とか、そういう事ばかりが書いてある。君はSNSでたまにバズっているがすぐ忘れ去られる投稿のようだと感じた。綺麗事ばかり言っていて、聖人を気取っているつもりなのだろうか。自分を神だと嘘をついている時点で、聖人でも何でもないだろうに。君は心の中で彼をせせら嗤った。

「何かわからない事とか、気になる事があったら何でも聞いてくれ!」

神社はニコニコしながら、君が資料を眺めるのを見ている。素人が作ったにしてはデザインも絵も作り込んであり、なかなか読みやすかった。しかし内容はとにかく信者に推奨する行動の話ばかりで、神の来歴や力に具体的に触れた文章は無かった。
君が「よく作り込んでありますね。」と言ってみると、「神は人々を幸せにするのが務めだからな!」とドヤ顔をした。この男は自分を万能の神だと心底思っているらしい。本当に万能の神がいれば、さっき見たような祈った上でギャンブルに負けるような人はいないだろうに。祈っても意味がない。金が絶対に増える事はないし、名誉も簡単には得られない。

君は少し意地悪な質問をした。

「神ならば奇跡が起こせるのでは?あなたは全力で神に祈る者全てに幸福を与えられるのか?」

「そんな事は無理だ」

神を名乗る男はあっけらかんと言った。
君は驚いてしまった。そこはお布施の量次第とか、祈りが足りないから奇跡が起きないとか、詐欺師はそういう事を言うものでは?そう勝手に思い込んでいたので、神社の言葉は意外に感じられた。

「わたしにはこの世界のこの体で出来る事しか出来ん!ここに奇跡は無いからわたしにも扱えない」

そこは嘘をついてでも、人を引き摺り込むような事を言わなければいつまで経っても信者は付かないだろうに。君はこの男の正直さに呆れてきていた。

「わたしに出来るのは幸福を手繰り寄せ感じ取る方法を教える事だけだ。私を信じて祈りを実行すれば、人々は幸せを自らの手で手に入れる事だろう!」

神社は真っ直ぐな瞳をしていた。自分にできる事だけを偽りなく言って、それをまとめた宗教を本気で布教しているらしい。
それでは方法だけ教えて、あとは自己責任という事ではないか。君は彼がそう正直に言ってしまう事が期待外れに思えた。そうなるとなんだかつまらなくなってくる。暇つぶしになると思ったが、詐欺師の話術も聞けず胡乱な宗教を笑い飛ばせもせず、君には退屈な時間が過ぎたように感じた。
時計は正午を指している。そろそろモンスターの出現予想時間だ。君は男に資料を全部返し、そして狩りに行くからと強引に話を断ち切って席を立った。

レジに行こうとすると男に手を引かれた。引き止める気だろうか?振り返ると彼は君の目を見てこう言った。

「君たちがわたし達神を信じてくれているように、わたしも君たちの力を信じているよ。君に幸福が訪れるよう祈っている」

男はそう言って微笑むと手を離した。君が支払いを終えてカフェを出るまで手を振っていた。
君はなんだか調子が狂わされたような気分になった。君にはあの男の言葉に嘘が感じられなかった。妄想を本気で信じているような雰囲気も感じず、ただただ正直者だった。しかし仮のあの男が本当に神でも、この三次元の世界の仕組みに囚われて何も出来ないのであれば、それはペテン師と同じであった。


君は怪物の森に向かっていた。ここで大きなモンスターを倒せば、きっと名を上げる事ができるだろう。君は自分に自信を持っている。何に頼る事も祈る事も無い。ハンターは複数人でパーティを組んだりチームに入ったりする者が多いが、君は頑なに一人だった。大型モンスターを倒しに来たのも、怪物危険対策パークで他のチームが話しているのを聞き先回りしてやろうと考えての事だった。君はパークゲートにある危険看板を跨ぎ越え、森に足を踏み入れた。

嫌に赤黒い葉が茂る、薄暗い森。いつも不気味な森だが、今日はいつも以上の静寂に包まれていた。普段ならば弱いモンスターが群れを作っていたり、それを狩るハンターがいたりするが、今日はいない。大型モンスターの気配を察知して逃げたのだろうか。

君は慎重に様子を伺いながら森の奥へと進んだ。木々の間に目を凝らしながら進んでいると、何かを踏んだような感覚がした。足元を見ると、1ddが落ちていた。もう誰かがモンスターを倒してしまったのだろうか。地面を見ると、ddが道標のように並んで落ちている。モンスターは死ねばその場で体内のddを全て吐き出すから、こんな並んだようにはならない。知能のある、人型モンスターの罠だろうか?君は疑いながらddを辿っていく。

君は果たして、大型モンスターを発見した。そいつは普段怪物の森にいるはずのない大型のオニヤンマだった。完全に原型では無い、脚など体のパーツがところどころ人間のようになっているタイプだった。胴や腹は完全に虫で、弱点は昆虫と同じだろうが器用そうな脚が厄介だなと君は分析した。
こいつを倒せば君は名声と大金を得ることが出来るだろう。君は今すぐにでも飛び掛かりたかったが、出来なかった。オニヤンマは誰かを食べていた。リヴリーだった。そのリヴリーは怪物危険対策パークでも度々見る高レベル帯のリヴリーだった。頭部の真っ黒な毛並みに蛍光ピンクの血がべっとりと付いて絶命している。頭蓋がひしゃげているらしく、頭が空気の抜けたゴムボールみたいになっていた。凹んだところから血にしては固そうなピンク色のものが垂れている。君は高レベルのリヴリーの無残な姿があまりにもショックで、それが血ではなく脳だと気づくのに少し時間がかかった。
オニヤンマに食いちぎられたらしい腑が腹部からはみ出ている。さっきのddは、腹に一撃喰らった後にここまで引き摺られてこぼれ落ちたものなのだろう。森にハンターが誰もいなかったのは、こいつが逃してやったのか、こいつの惨状を見て逃げ出したのか…。
君もこの光景を見て戦う気にはなれなかった。自分より高レベルのハンターが死ぬような相手とは戦えない。どうしようもない真実だ。ここで自分の武勇を信じる事は無謀だった。君はここを立ち去った。目の前に土が見える。


君は大きな衝撃を受けた事を認識するのに一瞬の間を感じた。そして自分が地面に倒れている事を認識した。上に振り向くと、オニヤンマが君の背中を踏みつけのしかかろうとしている。口には蛍光ピンクの血がベッタリと付いていたから、あの個体だ。気づかれていたのか、獲物に飽きたのか、君を殺しに来たらしい。
あの大顎で噛まれたらおしまいだ。君はゾッとした。逃げなければ!口の中でコマンドを詠唱し、右手から魔力の矢を放つ。姿勢が悪く当たるかどうかは賭けだったが、矢はオニヤンマの目に命中した。冷気をまとった矢はオニヤンマの目の水分を膨張させ細胞を破壊していく。オニヤンマが怯んだ隙に君は逃げ出そうともがいた。オニヤンマの体の下から抜け出そうとした時

バキ!!!!

君はこれが何の音か、何が起きたか分からないまま絶叫した。言葉にならない音だけが喉から出てくる。そうしないと痛みを自覚して気絶してしまいそうだった。オニヤンマは噛みちぎった君の足を咀嚼しながら、再び君を踏みつける。この怪物は君から反撃を貰った事で完全に怒ってしまった。足を噛まれ、千切られ、もう終わりだ。オニヤンマは脚を飲み込むと、次は君の背骨を断ち切ろうと背中に口を付ける。

君は不相応の狩りに来た自分を呪った。そうだ、誰にも頼らず何を祈る事もせず、自分一人でやってきたから、正しい判断が出来なかった。手柄に焦らずに他のハンターと交流していれば、こいつの正確な強さが分かったかもしれないのに。しかし君にとって他者と交流する事は自分に嘘をつく事だった。君は君に期待する飼い主のために、一人でモンスターを狩らねばならない。ddを分け合う相手がいてはいけない。自分たちリヴリーは、宝石を集めるために飼育されているペットなのだから。それが君にとっての真実だった。オニヤンマは君の背中を食い千切った。君はもう悲鳴をあげる力も無い。蛍光ピンクの血が薄暗い森で煌々と輝いている。視界の端が桃色に霞むのは、血の光によるものか、死の間際だからか…。

君は、なんとなく自分がカフェで話したあの男を思い出していた。正直で他者の為を想えるのに、自分を偽っているようにも見えない男。君は幸福を手にするためにもがいていたが、結局自分に嘘をついていたと思った。リヴリーの歴史が自分の真実だと自らに嘘をついて、飼い主の搾取を正当化していた。君が神社の話をつまらなく感じたのは、自分のように嘘をついてもがいている様を笑いたかったのに、あの男が心底自分に正直だったからだ。君の視界はいつしか暗くなり、寒く眠くなってきた。鳩尾から下の事がもう何も分からない。君は出来れば、今こんなに苦しんでいるのだから、せめて死後は天国に行けますようにと祈った。


バキ!!!!!!!


君はこれが何の音か、何が起きたか分からないまま、音のした方に目線をやった。薄い青色の、腕のような形をした触角がオニヤンマを殴りつけている。黄金のウロコが桃色の蛍光を受けて輝いている。

「祈れ!信じろ!!」

神を名乗ったあの男が、君にそう叫んだ。神社はするりとオニヤンマの胴部に長い尾を纏わせ絞め上げる。鋭い牙をオニヤンマの眼に突き立て噛み付き、怯んだ隙に触角で薄い羽を一枚破いた。オニヤンマは堪らず君から離れて暴れ出した。男は、神は怪物を絞め殺そうと、外骨格がみしみし音を立てるほどの力で巻き付いている。あの華奢な体と尾のどこにそんな力があるのだろう。
君は神がどのようにしてここが分かったのかとか、そういうことを考えそうになったが、いつしか戦いの神々しさに見入っていた。

オニヤンマは神を振り解こうと暴れながら木に彼の体を打ち付ける。木の枝が神の体を引き裂き突き破り、あたりが桃色に染まる。長い腹の先にある爪のような器官で巻きついた神の尾を抉った。神は傷付き、大量の血を流している。君の目には、神ももうすぐ死んでしまうほどの出血に見える。しかし神は微動だにせずに絞め付けを強くしていく。触角を力強く振るい羽を破いていく。目玉に噛みついた牙を一層深く刺していく。

「が…がんばれ…」

君の喉から自然に声が出ていた。君は神の勝利を心から祈り、信じていた。神に声が届いたのか、牙を抜いてこちらを見て微笑んだ。

「ありがとう。信心が神の糧だ。」

ミシミシと音が鳴り、オニヤンマの腹部の装甲が砕けていく。
そして叫んだ。

「自分を信じろ!!生きて帰れると!!」

神は触角で木の枝を手繰り寄せオニヤンマの体を引っ掛けた。外骨格にヒビが入るほど圧迫され、気門も塞がれて窒息し疲弊しているオニヤンマには、すぐには抜け出す方法が思いつかないようだった。力なく足をバタバタさせて、ちぎれた羽を振っている。
君の目の前にオニヤンマの尾の先が来ていた。ここには心臓がある。絞め上げられ弱った今なら…!

君は力を振り絞ってコマンドを詠唱し、怪物の心臓を討ち抜いた。






君の目は暗転しかけている。神も、オニヤンマの死体から離れると、ふらふらとこちらへ歩いてきたと思ったら倒れ込んでしまった。神は地べたに這いつくばりながらも笑みを浮かべ、「やったな」と君を労った。

「傷が癒えたらddを回収しに来ると良い。君の手柄だ」

神は君がここから生きて帰れる事を全く疑っていない様子で言った。君も、なんだか生きて帰れる気がした。なにより目的の怪物を倒せたことを心底よかったと感じた。さて、このddで何をしようか。自分と彼の力で得たものだ。飼い主に内緒で、新しい知恵の壺でも買おうかな。君はこれからが楽しみに思えた。自分の幸福を得る方法が分かった気がした。そう思っている内に神は喋らなくなった。君もなんだか眠くなって、目を閉じた。


目が醒めると、君はリヴリー総研の病院にいた。辺りを見回すと、君が起きたことに気づいたナースがぱたぱたと誰かを呼びに行っていた。君はどうしてこうなったのか思い出そうとしたが、思い出せない。大型モンスターを倒そうとして、それで………。

しばらくすると医者らしいリヴリーが来て君に説明を施した。君は右足や脊髄を損傷していて、それ以外の傷もあり重症だった事。怪我が治るまで入院する事。その後、腕の良い義体技師に相談してリハビリすればまた歩けるようになる可能性がある事。

そして、君が一人でオニヤンマを倒した事。
医者は発見者のリヴリーが回収し預かっていた、オニヤンマが吐き出したddを君の棚の金庫に入れた。あの大金があれば良い義足が作れるし、治癒魔法の壺も買えるだろうと医者は言う。君が発見者は誰かと尋ねると、医者は某大手ハンターチームのパーティだと言う。彼らは最初にオニヤンマに食われて死んでいた奴のパーティで、君が森に辿り着く少し前に討伐に失敗し仲間を置いて逃げざるを得なかったようだ。準備を整えてから同胞の亡骸を取り返すために戻って来た時に君を見つけたらしい。君は自分の他に誰か居なかったかと聞いたが、君の他には食われていた人の死体しかなかったようだった。血痕も君とそいつの二人分だけで、他に誰かがいた痕跡もない。医者が他に誰か居たのかね?と尋ねたが、君には思い出せなかった。

「しかし…あのレベルと大きさのオニヤンマを一人で倒すとは。君のレベルでは大怪我を負う前に死んでもおかしく無かったのに。まるで神の奇跡のように、嘘みたいな話だよ。」

医者はそう言って後の作業をナースに任せると病室を去った。君はナースが包帯を取り替えるのを見ながら、なんとなしに今生きている事を幸せに感じた。こうして病院で世話をしてもらえるのも、とても恵まれた事だなと君は考えた。そして入院生活が終わったらリヴリー神社に行ってお守りでも買おうと思った。義足を買ったら沢山散歩がしたいし、それに文句を言うであろう飼い主を捨てて新しい飼い主を探すのも良いかもしれない。やってみたい事や、良かった事を考える…。君は、自分を自分で幸せにする方法をいつの間にか知っていた。

作業をしていたナースがふと思い出したように話しかける。

「聞くのを忘れていましたが、現場にこの紙が落ちていました。あなたのものですか?」

君はジッパー袋に入った、血まみれのチラシを受け取った。デフォルメされたヘビの絵が描いてある、何かの宗教の勧誘チラシのようだった。手描きのヘビのキャラクターが、笑顔を浮かべて連絡先と勧誘文句を喋っている。『神と触れ合って、人生を幸せにしよう!』とか、『世界は奇跡に満ちている!希望を信じよう!』とか、キラキラした事を言っている。

このチラシは自分のものではない。きっとオニヤンマに食われて死んだ人が持っていたものだろう。君はナースにそう伝えて、袋を返した。しかし、君はあのチラシをなんだか懐かしく感じた。お守りを買うだけではなく神を信じてみるのもいいかもしれない。君は手を組み、「自分が幸福になるまでを見守ってほしい」と神に祈った。


神の奇跡は無い。あったとしても無かった事になるし、その力は大きく限定されている。元々神はこの次元に存在しない嘘なのだから当然である。高次元の存在を三次元に落とし込んだ時に生じる嘘。この世に万能の生命が居ないのならば、万能の神もいない。存在しない者への信心という嘘を糧に生きる存在は、本当の事しか言わず、また信心のある者しか救えないのであった。