※こちらの小説は昔とある方へ書いたものの続編です。知ってくれている方や「とある方」が偶然見つけてくだされば嬉しいです。





 それはきっと、誰もが振り返る想いの跡。


 真夜中のとある田舎道を、一台の車が走っていた。平坦でないぼこぼこ道に、車は何度もガタガタと上下左右に揺れながら進んでいく。運転手は「雨じゃないだけいいもんだ」と鼻歌をうたいながら運転していて、隣の男は辟易した様子でため息をつく。

「今だに復興してねぇとはな。時間がかかるもんだ」

あの巨大な大地震から8年。もう8年、まだ8年。感覚は各々で異なるものだろう。
復興もまだまだ道半ば。中心街は多少マシになってきたものの、街から離れればまだまだ爪痕は深く、人々の生活も完全には元には戻っていない。
日常を取り戻しているように見えても、彼らからすれば外と中身の差というものは大きいだろうと感じられた。
かつて訪れた都心近くも地震の影響を強く受けて被害が出ていたのを思い出す。そこで出会った少女もいたが、当時の彼女もそれなりにショックを受けている様子だった。

「……あの時はこっちに来れてなかったけっども、状況だけは情報で聞いてたかんなぁ」

震源地にもほど近い地域にあるとある建物の前。運転手はそこで車を停めて降りた。助手席の男も同様に降りる。
目の前には鉄骨の骨組みだけが残って立ち尽くすかつての防災対策庁舎。

「……さびた鉄筋コンクリートが剥き出しだな」

建物の中を覗きこめば、瓦礫の山と静寂。

「今は震災遺構として保存が決定してる建物だと」

運転手の言葉に、助手席の男がかぶっていた黒のボルサリーノを脱いで胸元に下ろす。
……ここで大勢の人々が犠牲になった。
襲ってきた津波に押し流され、流れてくる建物や車に巻き込まれ、引いていく波に海に攫われ……遺体が見つかっていない人々も未だ多い。
目の前で人が流れていくのを見た者、助けに行くと言って帰らなかった者、握っていた手を津波の力に耐えきれずに……離してしまった者。傷は深く、どこまでも奥深くに刻まれて、被災者達の心をとらえ続けているだろう。

「……ん?」
「なんだ、どうした」

鉄骨の壁を撫でながら歩いていた運転手が何かを見つけたのか、足元から何かを拾い上げる。真夜中の月明かりの中、きらりと光った何か。
一瞬貝かと思ったが––––違う。
助手席の男が歩み寄れば、相手の手にある物に目を丸くした。

「こいつぁ……」



想いの跡



 人気のない防災対策庁舎。
震災遺構とはいえ、大勢が押し寄せてくるような場所でもないそこは静寂の中に建っていた。そこへ訪れてきた一人の女性は、持っていた花束を建物の傍へと備えた。
スーツ姿のその女性は、鉄骨の庁舎を見上げて立ち尽くす。
……女性もかつては震災に見舞われていた。けれどここではない。ここからは遠く離れた都心の方で被災していた。
逃げ込んだ避難所。寒い体育館。襲ってくる恐怖にさらされながら、暗い夜を耐え忍んだ。津波に襲われたわけではない。大勢の人々が亡くなっていくのを目の当たりにしたわけでもない。故に、こちらの人々の方が数倍数十倍は苦しいのだろう事はわかっていた。
それでも、辛かったのだ。
少女であった彼女にはあまりにもショック過ぎて。
けれど、立ち直る事ができたのは、「あの事」があったから。
だからこそ、今は––––。

「……よしっ、探さなきゃ」

女性はそう意気込むと、崩れた庁舎内へと入る。もちろん、許可はきちんと得てきた。
崩れた瓦礫の中、しゃがみこんで探す。

……8年前の震災の日。
ここで避難を呼びかけ続ける女性がいたのだと言う。目の前にまで津波が迫ってきていたのに、町民らをとにかく逃がすためにとひたすら声を上げ続けていた。
無我夢中だっただろう。必死だったのだろう。怖くてしかたなかっただろう。
そうして女性は亡くなった。

自分は辛くて避難所から一時的でも逃げ出した。
そして『彼ら』に出会って、逃げようとする足を止める事ができた。
それから数日後に庁舎で声を上げ続けていたという女性の事を知った。
あのまま逃げていたら、思い出したくないからと、女性の事からも逃げ出していたかもしれなかった。

それから数年。自分も社会人になった。
『彼ら』のようには無理だったけれど、庁舎の女性の事も含めて震災の事を調べる仕事を見つけて就職した。
風化させないのはもちろんとして、震災の記憶や未だ残る爪痕、人々の声、それらを残さずに記録していく仕事。

そしてここへやってきた。
女性が亡くなった防災対策庁舎。
その女性の家族にもお話しを聞けば、女性が身につけていたという指輪が見つからなかったという。

少女は決めた。

「私が見つけてきます」

少女は探す。仕事を早々に切り上げて訪れた庁舎内を必死に探し回る。都心へ戻るのは明日の昼。それまでに絶対に見つけ出そう。
指輪。小さなものだ。波に持って行かれたに違いない。さすがにもう、と家族にも諭された。けれど少女は諦めない。

「だって……貴女は諦めなかったんですよね……!」

ここで避難の呼びかけを続けていた女性。
最後の最後まで。

「私も……絶対諦めない!」

瓦礫だらけで埃や泥まで堆積している。壁も天井も歪んでいるし、吹きさらしで風も今の時期は冷たい。
手がかじかむどころではない。爪は当たり前のように割れるし、スーツもすぐに汚れて埃だらけだ。
瓦礫を押しのけて、隙間も必死に覗き込んで探しながら、時間なんてあっという間に過ぎていく。とっぷりと夜更けになっても、懐中電灯をつけて探し続けた。

そうしてやがて、太陽が顔を出し始めた頃、ふいに背後で物音がした。
咄嗟に振り返れば、朝の逆光の中、人の姿。顔がよく見えない……。

「探し物ですか、お嬢さん」

人影が穏やかに問いかける。
聞き覚えが……あるような……。

「奥の方の崩れた窓の方に行ってみな。……最後まで女性が声を上げ続けてた所サ」
「……奥の。……っ!」

走って、瓦礫の中転けそうになりながらも、一番奥のコンクリートの窓枠だけが残る場所に駆け入る。
……窓枠の隅、朝焼けの光に照らされて、小さな指輪が一つきらりと光る。
歩み寄って、そっと手に取る。
途端、涙が次から次へとこぼれ出す。

見つかった安心はもちろんあるけれど——。

「想い(あなた)も、帰りたいよね……?」

……それからほんの数分だったはずだけれど、先程の人影はもう既に無く。

「お礼……言いそびれちゃった……」

でも、あの人はきっと。

忘れもしない、私を進ませてくれた人。



「おい、挨拶ぐらい良かったんじゃねぇか」
「い〜〜の。そいつはまたの機会で十分ヨ」

助手席の男が呆れた様子で帽子を押さえた。運転席の男は笑いながら車を走らせる。

「あの子の想いもちゃあんと天国にいる女性に届くさ」

あの場所は、きっと誰もが振り返るだろう。
震災の記憶が眠る場所であり、忘れさせない記憶の傷痕であり、

「人の想いが遺り続ける場所だかんな」

あらゆるものが流されても、遺り続けるもの。
思い出や記憶によって編み込まれたそれは、あの場所から離れる事も消え去る事も無い。
それを苦痛ととる人、思いを新たにする人……絶える事の無い想いの連続が、そこには在る。

「それを、あの子がまた紡いで引き継いでくれるさ」

指輪は無事に家族の元へと帰るだろう。そこから生まれるものもまた大きく、あの少女を進ませてくれると信じている。

「俺たちは俺たちで、また紡いでいきまショ」
「あいよ」

時には振り返る想いは誰にでもある。
そうしながら、前へと進む事ができてこそ、人はまたいつか振り返る強さを得られるから、

これから先、想いと共に歩いていこう。




終わり