戦場に泥棒を 第一話
雪が降っている。はらはら、はらはら。見上げる夜空から、絶え間無く降り注ぐ白い雪。「冷えるとは思ったけっども……」ハァ、と息を吐けば、白い揺らぎが視界に映った。「……きっつ……」真冬の極寒地帯。男は一人、両手を鎖で繋がれた状態で座り込んでいた。降り始めた雪は容赦なく、そんな男の身体を白く染めていく。地面に縫い付けられた鎖はいくら引っ張ろうともビクともしない。「ったく……コートぐらい欲しいぜ~……」男の格好は、ダークグレーのカッターシャツに黄色いネクタイを締め、その上は赤いジャケット一枚だ。下は薄手の黒いズボンを履いて、靴はダークグラウンの紳士靴。この状態になって、既に二時間が経過していた。正直感覚は既に死んでいる。―――死ぬ。その感覚だけは馬鹿正直に生きていたが、意識と精神力を総動員してその感覚に足掻く。「死ぬなら、不二子ちゃんの胸の中で死ぬって決めてんだ……~」死んでたまるか。こんなところで息絶えるつもりなんて一切無い。噛み締めた唇から赤い血が滴る。痛みは感じないが、相当深く歯が喰い込んだようだった。足掻く。抗う。「この、程度、で」この、ルパン三世が―――。「く~たばるなぁんて、思っちゃいけねぇぜ……!?」戦場に泥棒を 事の始まりは一月前に遡る。11月24日、午前10時。ルパンは相棒の次元と共に中国の上海にへ来ていた。昨今の中国は急激な高度成長を続けていて、一ヶ月もすれば街並みがごっそりと変わる。この前まであったビルは無くなっていたり、この前までは海辺だったはずの所にはホテルが建っていたり。賑やかな街の往来を歩く人々の中には、外国人も大勢混じっていて、言葉も多種多様。そんなごちゃ混ぜな街並みを歩きながら、ルパンと次元はとある場所を目指していた。「お、見~えてきたぜぇ?」「……思ったよりでけぇな」賑やかな大通りの更に向こう。その建造物は堂々とそびえていた。上海博物館―――。街並みから少し離れた場所にある広大な広場、人民広場と呼ばれる場所に建造された巨大博物館だ。外観は最上部に円盤を頂き、下部が鼎(てい)の形状を模している。さらに、一見『取っ手』のような半円形の構造物が最上部に弧を上、弦を下に東西南北に設置されている。「『鼎(てい)』ってのは何だ?」「はいはい~。豆知識ターイム♪」鼎。読み方は「かなえ」、もしくは「てい」と読む。中国古代の器物の一種。土器、あるいは青銅器であり、漢代まで用いられた。通常はなべ型の胴体に中空の足が3つつき、青銅器の場合には横木を通したり鉤で引っ掛けたりして運ぶための耳が1対つく。肉、魚、穀物を煮炊きする土器として出現したが、同時に宗廟において祖先神を祀る際にいけにえの肉を煮るために用いられたことから礼器の地位に高められ、精巧に作られた青銅器の鼎は国家の君主や大臣などの権力の象徴として用いられた。「まぁ、言っちまえばとぉ~っても高価な土器って事な♪」「いくらなんでも端折り過ぎだろ、そりゃ」呆れて帽子を押さえて、次元は小さく溜息を吐いた。「今回はその鼎ってのがターゲットか?」「た~だの鼎じゃね~んだぜぇ?」ひょい、と人差し指を立てて、ルパンはくるりと次元の方を振り返った。次元は足を止めて目を丸くする。「さっき説明した通り、鼎ってのは青銅器なんだけっどもな?そ~の表面にはいろんな模様が刻まれてる。殷代、周代の鼎には饕餮紋っていう細かい装飾の紋が刻まれてて、中には銘文が刻まれてんのもあるんだぜ」饕餮文(とうてつもん)。王が『神の意思を伝える存在』として君臨していた時代に生まれた紋様であり、その地位を広く知らしめ、神を畏敬させることで民を従わせる為に、祭事の道具である鼎に饕餮文を入れたものとされる。「あらゆる遺跡から鼎は発掘されてるけっども、その中でも最も謎と神秘に満ちた鼎があんのよ~」「謎と神秘だぁ?」「そ。たった一つだけな。それだけが、他の鼎と全然違う。……噂じゃあ、何かの兵器の秘密って話もあるけっどもな」さらりと言うと、ルパンは再び歩き始めた。次元も、止めていた足を再び歩ませる。毎度の黒いボルサリーノを僅かに押さえ、小さく溜息をついた。……いつもの事だが、ルパンは最初から全てを話す事は無い。核心に触れそうで触れない。特にそれに不満があるわけではないが、最終的にこちらが振り回される事もしばしばあるから困る。やがて二人は街並みを抜けて、人民広場へと辿り着いた。上海のほぼ中央に位置するこの広場で、その広さは東京ドーム3個分程度。北にある人民公園と一体化しており、全体的に楕円の形をしている。その楕円を、東西でまっすぐに貫くようにして人民大道があり、北には上海市人民政府の建物、西には上海大劇院、そして南に今回の目的地・上海博物館がある。人民大道を歩きながら、南を目指す。広大だが視界を遮るものは特に無く、上海博物館はしっかりと視界に捉える事ができた。「以前来た時、この辺はほとんど乗馬場だったが……。しばらくしねぇウチに変わったもんだな」「い~まの中国はどの国よりも元気だからなぁ。だからこそ、お宝もた~くさん」「はっ!どんな国もお前の貯金箱だろうが」「まぁね~~」謙遜一つせずに肯定するその様は、憎らしいどころかむしろ清々しい。その自信も、己の力量と仲間への絶対的な信頼から成り立つものだ。だからこそ、次元もこの男の相棒で在り続ける。それは、きっともう一人の、あの男も同じだろう。そして、その男は、博物館周囲にあるベンチで一人、静かに座していた。「異国の文化というものは…よく分からぬな。そもそも……」男がぐるりと周囲を見渡せば、昼間だというのにお熱いカップルばかりで。男の片眉がひくひくと引き攣った。「節度が足りぬっ……!」だんっ、と手に持っている白鞘でベンチの座をどつく。相変わらず堅い男だ……。「おー!五ヱ門じゃねっのよ~!」「む。お主等か」「ここでなぁにやってんの?」「異国の文化というモノに触れるのもいいかと思い、立ち寄った次第。しかし……同じアジア圏とはいえ、難しいものでござる」「つまり、よく分かんなかったと」「む」ルパンの指摘に、五ヱ門は一瞬不満気に顔を顰めたが、やがて小さく頷いた。眉間にはこれでもかというぐらい、深い皺が寄っている。「相変わらず堅~い男だこと。柔軟に考えなきゃダメダメよ~??♪」「お主が柔軟すぎるのだ」「そりゃ言えてるな」「次元~~~??」あっさりと五ヱ門の言い分を肯定する次元に、ルパンは不満そうに片眉を吊り上げた。その様子に、次元は心底おかしそうに笑う。「まぁ、いいじゃねぇか。とっとと、この博物館に入ろうぜ」「はぁ~。ま、そのために来たっからよ?別にそれはいいけっども……」ぶちぶちと文句を零しつつ、ルパンはどこか切なげに歩き始めた。次元もその後をついて行く。しかし、五ヱ門がついてくる様子は無く。「五ヱ門?お前さんは来ねぇのか」「拙者は一度入った。それに、よく分からぬと申したでござろう」そう言ってくるりと踵を返す五ヱ門だったが、「お前も来んのヨ、五ヱ門~~!」「む!」がしりと、問答無用でルパンに後ろ襟を掴まれ、五ヱ門はそのまま引き摺られるようにして博物館へと連行された。最初は抵抗していたが、数分後には諦めたのか大人しく、先導するルパンの後ろについていった。博物館には多くの古代器物が収蔵されていた。書画・磁器陶器・印璽・家具……。しかし、その中でもやはり群を抜いて多いのがメインである青銅器だ。……まぁ、博物館そのものの形状が鼎を模しているのだから、それも不思議ではないだろう。内部はいくつものフロアに別れていた。見物客も多く、やはり外国人が大半を占めている。そんな中を歩きながら、目的の青銅器がある場所へと向かった。やがて、鼎中心に収蔵されたフロアに辿り着き、次元はショーケースに収められているそれらを時折覗き込みながら歩いていく。薄暗いフロアを照らすシンプルな照明やスポットライトは、それぞれの品を上品に演出しているようだった。すると、ルパンは不意に足を止めた。彼の前には、一メートル四方ほどの大きさのショーケースに収められた一つの鼎。その鼎の周りを照らすミニライトは、鮮明に刻まれている饕餮文を浮ばせていた。「……。コレが、お前の言ってた、例の鼎か?」「そ~」「む……」次元と五ヱ門が、二人揃ってその鼎を見つめる。「……見た感じは、他の鼎と変わらねぇみてぇだが」「左様。大きさも、他の鼎と比べれば小さい方でござるな」そう言う二人に、ルパンはちっちと人差し指を立てて左右に振った。にやりと口端を持ち上げて、不敵な笑みをその口元に浮かべる。「いただくついでに用があんのは、この鼎の底さ」「底?」鼎はショーケースの中の台に乗せられていて、底を窺う事はできそうにない。「この鼎の底に描かれているっていう古代銘文に、謎と神秘があんのよ~」「なんて書いてあるのだ?」「さぁ?そこまでは知らね。だからこそ『謎と神秘』なんじゃねっのよ~」「なるほど……。しかし、それならばこの博物館の館主が知っているやもしれぬぞ?」五ヱ門の言葉に、ルパンは左右に首を振って、溜息を吐いた。「館主は一年交代で、スタッフもごっそり入れ替わっちまうから、今やこの鼎の真実を知ってる奴はいねぇの~」「なんと……」「初代の館主も老衰で死んじまってるしな。つまり」謎を解くなら、己の力で。「とは言っても、あくまで謎解きはオプションだけっどもな」「ハッ、そりゃそうだ」本業は『泥棒』だ。その過程で謎解きが必要ならば為すが、必要なければ『謎』のままもいい。永遠に抱く『謎と神秘』は、ルパン達への最大の興奮剤。「ま!とは言いつつ~?いただいちまったら、底もきっちり拝ませてもらうけっども♪」「もし底に、更なるお宝への在り処でもあったらどうする?」「もちろん、それもイタダキにアガリマス。そうなったら、手伝ってちょおだいな?相棒」「当たり前だ。面白くなってきやがったぜ」「無論。助太刀致す」さぁ―――。「勝負は今夜だぜ?」続く