こんにちは、元気ですか(・・?

 

前回の続きの前にもう少し日本列島の歴史について考察してみますか。古代日本は、ユーラシア大陸と陸続きだったことは、googleマップなどである程度確認できる。また、現在の日本海は、湖だったこともね。

 

文明というか多くの人が集まる集落というのは、沿岸沿いと河口があるところ。ユーラシア大陸とつながっていた頃は、たぶん沿岸沿いに多くの経済的に発展した集落が存在していたと考えられる。当時の状況は、史料にないので推測になるが、ある程度平和な時代が続いていたように思えるね。経済は、平和でないと発展はないからね。

 

そこへ洪水時代が始まり、ユーラシア大陸南方から多くの移民が、北上しだし、西方から多くの移民が流れ込んだのが中国北方地方。現在の日本列島はもその影響を受け、ほぼ西日本は、洪水に飲み込まれ、たしか東北地方でも恐山付近も洪水に飲み込まれていたようです。

洪水前は、陸の通路として東の日本からシュメール・メソポタミア文明付近までもが貿易路として通じており、海の航路として南方諸国からインド、ペルシャ、イエメン、エチオピア、そしてエジプトという航路と陸路が形成されていた。

 

商人というのは、常に人を騙しながら商圏を作り上げる。陸路にしても特定の商人仲間以外教えないし、その縄張りをつくる。航路も同様。そういうことを一般庶民や王族などに秘密にして暴利が得られる。外国でただみたいなものが他の国へもっていけば数百倍で売れるというようにね。古代から情報というのは、非常に重要な手段だった。

その情報を隠すために、怪物がでるとか不思議な現象に合うとか伝えながら、一般の庶民に近寄らせないようにしていた。

 

洪水時代が終わり、動乱が各地でおきたが、それもおさまりかけた時代になると、陸路と航路も新しい場所に変わる。以前の流通路は、たぶん海に沈んでいるか、泥地となって開発が進まない土地へと変貌していたかもしれないね。

 

そこで作られた流通経路が、シルクロードでありスパイスロード。この流通経路もすでに商人仲間で使用され、一般には秘密にされていた。その流通路を隠すためにあらゆることをした。海賊、山賊などを雇い、商人仲間でない商人や旅人が通行すると脅したり殺したりした。その間の村々に商人仲間の親族を中継ぎとしておき、代理店と称して交通の利便性を図った。

 

これは、海路も同様で、洪水時代が終わり、安定期にはいると、島々にそういう代理店ともいえる仲間を住まわせ、仲間以外は通させないような行為をした。島々の住民に対しては、島々では作られないような加工品を渡し、島々の庶民からは、地元の特産品などと交換した。物々交換ですね。

 

そういう貿易物品を扱うことになれたのが海人族。洪水後の大陸の動乱により、新たなる小王国が出来上がる。王国と王国の間は、当時の住民にとっては未開地となるために、その地へ足を踏み入れることを恐れるし、貿易商人等もそのように噂をふりまく。洪水後、大陸の統治は男王から始まった。日本などの島々は、女王から始まった。女王国の場合も、国同士の争いはたえずつきまとっていた。女王国の性質は、名字がない。名前だけ。また、婚姻にしても女性が男性を選ぶ。男性の地位は、女王社会の中では低い。たとえ夫であっても。さらに多夫制である。女王に選ばれた男性は、多少部族の中で地位は上がるけれども、女王の周りの警固をするのは女王の親族でもあり女性である。さらに跡継ぎにも争いがある。女王にも姉妹がいる。跡継ぎは、女王の子供の中でも女性の一番下の妹。その妹をしまつする女王の姉妹も競争相手として存在する。女王に選ばれるのは、仁徳もあろうが基本的には魔術力。現代は、男性にも超能力者がいますが、太古の時代は、女性の方がその能力が数段高かったのかもしれないね。

 

男性の役目は、行商。ただし、陸の行商には、一般の庶民を惑わすために魔術能力がある女性を混じらせた。海路はそういうわけにはいかず男性のみ。海の島々で仕入れたものを大陸の内地へ売り込み、大陸で仕入れた者或いは加工したものを海の島々の住民に売る。その商人の中心地が、日本列島であり華南の地であった。

 

織田信長が育った尾張。陶器類の産地でもあり、常滑も焼き物の有名な産地でしたね。海賊或いは倭寇という主に東南アジア諸島やオセアニア諸島を商圏とする倭寇は、焼き物や織物などを提供し、現地の土産物などと交換した。その中には、真珠や珍しい資源なども交換し、その資源をえるために現地の庶民を雇い資源を確保した。

 

殷の時代にインド洋にしか取れない貝などが貨幣として使われたのも、倭寇などが殷の王に売りつけ、その代わりに大陸の何かを手に入れたんでしょうね。殷の時代は、まだまだ周辺地域に足を踏み入れることが当時の住民や軍にしても近寄りがたい地域だった。いわゆる未開の地。

 

よって交易というのは、一定の商人仲間の独占状態だった。交易商人の中で村に居付いたものは。、面白おかしく恐怖をあおるような作り話を村の人に話、交易商人仲間の商圏を守った。中国大陸中原で内乱がおきたとしても、北に行けば匈奴という騎馬民族という恐ろしい人殺し集団がいるし、南へ逃げようとしても揚子江という大河があり、それを渡る事さえ難しい。死に行くようなもの。当然、半島へと逃げるしかなくなる。

 

そういった面で華南は、比較的安全であり安定していた。当然、平和が続けば経済は発展する。その頃の華南の庶民は、比較的温暖な気候ゆえに平和な暮らしをしていたはず。貯蓄などもしなくても豊かな自然で暮らしていける。本来の華南の住民は、非常に良識ある生活をしていた。北の動乱は、揚子江で守られ、西は、ペルシャ、インドという大国で守られていた。しかし、そのような生活はいつまでも続かなかった。

 

それがギリシャによるアレキサンダー大王によるペルシャ侵略と秦の始皇帝による中華平定。ペルシャから多数の人間が東へと移民してくるようになり、秦による侵略により大きな打撃を受ける。秦などの騎馬民族は、華南を侵略することはできなかった。なぜならば、田園が続く沼地であり、騎馬戦などで有利に闘うことはできなかった。また自由に生活していた華南人は、反発心も強く徹底的に対抗した。秦の始皇帝は、武力で責めることは難しいと考え、悪徳商人や犯罪者をすべて華南へと追放した。現代でいう超限戦をしかけたが、秦の時代には侵略することはできなかった。

その後中原争いで一時は華南は平和を得たが、漢の時代になると侵略が再発する。漢も秦と同様、超限戦をしかけ、華南も動乱となり漢の支配地となる。当然、それまでに華南の人々は、東南アジアの諸島や日本列島へと逃げる。

 

大陸の動乱から、ますます日本列島の重要性が増します。日本列島も同様、大陸の動乱により女王による統治システムの変更が検討され男王の時代へと向かう。

 

この部分の考察は、長くなる可能性があるので一旦今回はここまでで。すぐに次回アップしますね。

周は、王による絶対権力の時代。その後春秋戦国時代という戦国時代へとはいり秦による大陸統一。商人の力の元は、当時の価値があるものの財宝。現代でいうゴールド。商人等は、王族にそのゴールドを狙われる立場にあった。商人等は考えるね。その富をどう隠そうかと。

 

ではごきげんさんで。