こんにちは、元気ですか(・・?

 

死という感じの読みは、音訓読みにしても「シ」の読み一つしかない。しかし、その字と対称的漢字である「生」は、いくつもの読み方がある。死は、だれでも最終的に訪れるし、人種に関わらずみな同じです。しかし、「生」は、違う。各個人個人生き方は違う。そのことが、二つの漢字の読み方に現れている。

 

生きることの意味を考えるのが人間の愚かさ。そんなことを考えるより大事なのは生きていること。世の変化が起こるたびに立ち止まっていては理解することはできない。事の流れとともに動き、一体となり、共に流れていくしかない。

 

未来とは何だろうか。これは同じことを繰り返すことを意味していない。科学やテクノロジーを発展させ、矛盾の少ない社会制度を立案する人間の理性の奥底には、動物的で荒々しく、全く飼いならされていない集合意識の感情的な力が荒れ狂っている。これが人間が誕生した過去から永遠に存在している集合無意識の力。

 

過去の先祖たちがこの地球の変化に応じて生き抜き、そして小さな民族、或いは大きな民族の塊となって集合体として生き、そしてその塊の中で一つの潜在集合意識が生まれた。

 

理性の岩盤がかち割られ、集合無意識の荒々しい力が外に噴出してくると、あらゆる個人の心は津波のような力に押し流されてしまう。それが起きると、歴史の流れは集合意識にあらかじめプログラミングされた方向に動いていく。過去、幾度となく行われた戦争・虐殺・破壊などは、このプログラミングのなせるわざだ。

 

一つの集合体をもつライオン一家に新たなる雄が集合体の雄に戦いをのぞみ、集合体の雄が敗れ、新たなる主人にそのライオン一家は、支配される。すると前の雄ライオンの子供等は、探し出され殺してしまう。無意識のようにその子供狩りが始まる。子供狩りがおわると自然と雌ライオンは、次の交尾を促すようになる。すべては、ライオンの生命体に潜む集合意識のなせるわざです。

 

先日行われたパンデミック条項反対デモにしても、米国におきているトランプ旋風にしても何らかの人間に潜む集合意識から起きる行為であり、民衆の理性の岩盤がかち割られたとき集合意識として集合無意識の内から噴出され、この意識の集合体が、津波のような力となって押し寄せるようになる。

 

そのような意識を操るのが支配者であり、民衆の無意識でもある。政治腐敗にしても民衆の怒りが津波のような力となって襲い掛かることもできるし、民衆の集合意識によって歴史というか未来も作られる。

 

信長軍団というのは、蒙古軍のような印象を与えられているが、信長軍に参加し軍人や兵隊は、たぶん戦のないよのなか久庵、あるいは安土(土民が安心して暮らせる世)を形成しようとした意識集合体の軍隊だったかもしれないね。決して歴史はくりかえされるのではない。民衆の意識から作り出される。

 

政治規制法がどんな形で議員の間で決まろうとも、有権者がノーと判断すれば、議員等は、議員資格をなくす。既得権益層に追従している者等も同様です。民衆の集合意識が怨みとなって現れれば、その津波が今後彼らに襲い掛かる。議員に忖度しているうちに、次はお前らの番だというように、恵まれた待遇さえ剥奪されるかもしれないし、その家族でさえ危険にさらされることも知らずに。

 

組織というのは、人間を悪魔に変える。水俣病事件の時、工場の幹部は、デモする住民に対して、バナナの皮が汚れていても皮をめくれば食べられるから、水が汚れていても安全だと説明したそうです。そしてデモの参加者は、この汚れた水を飲めますかと言い返したそうです。彼らは、その水を飲むことができなかった。

 

資本主義というのは、経済的損と得の世界です。ロシアと中華人民共和国などの共産圏は、損得で政治を行っているでしょうか。毛沢東率いる中華人民共和国は、経済的損得で原子爆弾の開発をしたでしょうか。ロシアは、すでにミサイル二、三発で全米を廃墟にできる兵器が開発されているようです。その兵器の開発を経済的損得で行っていたでしょうか。

 

米国は、経済的損得で兵器を開発する。つまり民間に開発を任せるために民間としては、利益が見込めない開発はしない。また、部品は、自国だけで生産・開発していないために、同盟国が動かないと部品さえ手に入れることができない。おのずとどちらが有利になるか理解できる。

 

国の組織体制作りは、すべて軍用が目的としてつくられた。その重要な部分が、資金。そのために現在でいう国税庁が皇室財務官として形成された。主に安全保障費とインフラ整備。インフラとは道路、街道網の形成。

 

効率などを考えるならば、損得で動くグループ(商人等)を利用する。公務員と違って効率性を考えて動くために経済振興にも役立つし、期限を決めればそのように動く。すると、そのインフラの動きを察知していろいろな商人が動き出す。物の交流が盛んになり、人の交流も続き、人間に潜む心も交流し始める。そしてローマによる一大文明圏が形成された。

 

当時は、ローマ帝国という西側の文明圏と中華という文明圏が分かれていた。特にアジアから送られてくる物品は、貴重な品物ばかり。陸からはシルクロードという貿易路があり、海からは、スパイスロードといわれる航路がすでにあった。

 

ローマに運ばれるには、アラビアで荷揚げして運ばれる。現在のエチオピアやイエメン付近。主な商品は、香料、没薬、真珠、宝石、中国の絹などの高級品。紅海を抑えれば、東方からの物産の利益を独占できるとローマは考えるね。

 

当時のローマの政治家は、こういった経済的動きを理解し、ローマ市民に対して重税をなんとか回避させることを考えていた。通貨にしても同様です。ローマ皇帝、ローマ軍団、元老院などの特定集団にも影響もされない、経済原則にのみ忠実に動く生物でなければならないということをすでにこの時代に理解していた。

 

ローマでは、国家の要職であるものは、無給が原則。名誉あるキャリアとして存在した。さらに、要職につくにも資格があり、その判定基準に資産力の最低が定められた。当然、それでも選挙で選ばれるのだが、選挙違反などがあればバカ高い保証金は国家にとられる。ただし、公職にはそれだけうまみもあった。それが利権。

 

国家としてのローマは、農業国家として始まったために、農民中心の兵士が始まりだった。その後他国進出などがすすみ、ポエニ戦争以後、自給自足という体制を捨てていた。戦争が多い分、奴隷も多数存在したし、奴隷市場などもあった。しかし。奴隷は、兵士にはさせていない。主に技術者などの知識階級は、奴隷身分。ローマ市民や貴族などの家庭教師も奴隷身分であった。その中でもギリシアの知識人は、主に貴族などの家庭教師となり、手当もよかった。身の回りの世話は、当然奴隷が行うが、貴族の子弟とともに一緒に勉強する奴隷も存在した。

 

こういった技術者や知識人などが、インフラのエキスパートとなり、騎士階級の階層に入り込んできた。特にギリシアは、優秀な人材が豊富だったのと、地中海の公用語としてギリシア語がつかわれていた。主な教養科目は、哲学、論理学、修辞学、歴史、数学、地理、造形美術。医学に関しては、古代ギリシア人の専業として区別されていた。

 

需要は、ローマ人であり、供給は、ギリシア人という関係が成立していた。

 

ローマ国家に敗れたギリシア人は、どの地にも引手あまたであり、祖国を離れても生活手段に困る事のない人々といわれている。

 

国家ローマは、小アジアにだけは非常に気をつかっていた。当時からこの地帯は、多人種、多民族、多宗教、多文化からなる地帯。いわば、ローマ帝国の縮図のような地帯。さらに王族間は、結婚による結びつきが強く、王族は常に身内の争いに他国の介入をよぶ癖があるらしく、そのおかげで戦争が拡大する可能性が高い。ただ、ユダヤ王ヘロテの時代は、ローマ帝国との関係は、良好だったようです。ギリシア人は、当然小アジアなどにも移動している人達もおり、主に商人として活動していた。

 

西のローマと東のアジアの価値観は、全く違う。西は、現実への透視に立脚することが多いのに対して、東のアジアは、パワーに左右される。よって、東へと支配するために進出するには、完膚なきまで撃破しないと支配できない世界。ギリシアなどの地中海国家は、ある程度価値観は共有できたので、主にギリシア系住民が指導層を形成している地域は、ローマ統治を受け入れやすかった。価値観さえ共有できれば、あとは双方の妥協を促すだけ。妥協の距離感さえ理解しあえば、双方の他の距離感が違えども障壁にはならなかった。

 

常にローマ帝国は、ギリシア系住民との価値観の共通点を活用して属国支配を進めた。さらに多くの成功した商人は、主にギリシア系住民だった。その分農業にはあまり関心を示さない。しかし効率化をすすめるには、やはり民営化。投資には利潤を求める。その利潤の期待がないかぎり、民営化しても投資する民間がいない。

 

再生可能エネルギー発電促進賦課金について現在日本でも問題として取り上げられているね。主にネットニュースですけど。これも日本の現制度のひずみから生じた問題ともいえる。儲からなければ、再エネに投資をする民間はいない。よつてある程度利益は保証しましょうとなるが、一方、国営にも近い民間東電などの利益も考えなければならない。送電網の問題もね。天下りの指定席としてもね。

 

本来の民主主義国家というのは、国の民の質と量を確保することが重要。しかし、現実は、「魚が頭から腐る」

 

上に立つ者の罰則を緩くしたことから腐敗が始まる。

 

米国の軍事力と内政の弱体により現在の日本も揺れている。米国追従派、中国に近寄ろうとする派、ロシアが優勢になるとみるとロシアに近づこうとする派。自国独立派というのは、まずいない。イスラエルが現在紛争の場になっているのでヘロデ王の死後、ユダヤ国家はどうなったかみてみます。

 

ヘロデ王とローマ帝国との関係は良好だった。しかし、死後内紛へと変わる。一つは、ヘロデ王の意志を継承し、ローマと今後も良好な関係を維持しようとする派閥、二つ目は、ローマ帝国からの完全な独立派、三つ目は、ローマ帝国の属国を希望する派閥。当時のユダヤ王国は、西はローマ支配、東はシリア、パルテイア、アルメニアというオリエント国家特有の御家騒動が絶えない国家の間にある。日本は、西に中華人民共和国、北朝鮮、ロシアという共産圏、東に米国という資本主義国家で民主党と共和党の内紛が絶えない国家に挟まれている。自分の目から見てみれば、ユーラシアの内紛に日本の政治状況は、巻き込まれていると感じているね。

 

ローマ帝国が経済とインフラで一大経済圏が確立できたのも、その文明の進化を与えられた地域がその有効性をすぐに理解されたからであり、理解されない国家や地方にその文明を与えても、拒絶するだけ。マイナンバーにしても監視システムにしてもその地域地域で有効とすぐに認められれば、良策として認められるが、すぐに有効でなければ市民には煩わしいだけ。文明化とインフラ整備は、同じ。すぐに有効さが認められなければ、たんなる銭食い虫。

 

統治方法も同じ。国々の住民の暮らし方や長年民族が養った潜在意識も違う。それを一つとして統一システムにしようとする考え方が間違っている。その範囲が広ければ広いほどね。欧米は、そのことをローマ帝国の教訓から知っているはずなんだけどね。カエサル死後のローマ帝国は、効率よく機能する世界国家の実現へと向かったが、結局失敗した。

 

効率を求めた米国式民営化文明と効率ばかりを求めなかったロシア、中国などの共産文明。

 

トヨタなどの自動車関連メーカーの不正がニュースになっているが、前回のブログで政治とは、弱者に寄り添うことが重要だと記しました。

 

トヨタを例にしてみますか。たしか、トヨタの自動車工場内で労災死が問題になりましたね。あまり詳しく覚えていないのですが、たしかその従業員の親が、労災死と認めてくれるよう社長に手紙までだしたというニュースを見たことがある。ニコンやパナソニックなどの偽装請負労働者の事件が表に現れていた頃ですね。最終的には、労災死は認められたようなニュースが出た記憶があります。その後、トヨタはどうなったでしょうか。日本では、トヨタグループの力で司法や政治などに圧力をかけることができたかもしれませんが、他国、特に米国ではなすすべがなかった。

 

つまり弱者から問題がおきた。一つは、セクハラ。これも半分言いがかりのような部分もあるが、米国では大事件として報道された。そして、今度は、消費者。ブレーキ問題ですね。これも日本では弱者に入る。バブルがはじけてから、特定の企業(大手企業、銀行など)を優遇し、弱者をさらに痛みつけた。サラ金などの問題も同様ですね。貧しいものから搾り取る方法。現在は、裕福な層からオレオレ詐欺やカード犯罪で巻き上げられている。弱者から搾り取る事件は、のち社会問題となるが、裕福層がとられる事件は、金額が大きくてもそれほど社会問題として取り上げられていない。

 

弱者によりそわない社会は、つぶされるし、つぶしやすい、その材料に利用されやすい。トヨタ関連企業は、儲けるだけ儲けれるよう優遇されるわりには、弱者に対して冷たい。その結果、次の材料として問題を抱えている。それが水素自動車。集団訴訟起こされているね。

 

アジアの問題も同じ。日本企業の世界の工場で強烈なデモがおきたのも材料は弱者である慰安婦問題。その材料で、普段はなかなかまとまらない華僑が、対日でまとまった。利益、効率ばかりを追い求めると足元からすくわれる。

 

官僚や公務員や大企業の正社員も同様。いつ何時911のようにビルごと破壊されるかわからない。昭和の敗戦末期、陸軍の大本営基地広島に原爆は落とされ、海軍の大本営基地長崎にもおとされ、関東軍数十万人の兵士は、シベリアへと収監された。そういう教訓を忘れているのが、現在の日本のエリート。敗戦前のエリートは、死というものが直前にぶら下がっていた。事実、エリートが戦争や内乱で多数死んでいる。

 

前回のブログの続きともいえる中国大陸の金融の流れに行く予定でしたが、少し日本の話をして終わります。

南宋の兵は、日本列島に捕虜として捕えられたのではなく、日本列島、主に西日本を中心に開拓農民として農地を与えられた農民として入植した。さらには、税優遇まで受けた。するとどうなるでしょうか。既存の住民は、税をとられ、さらには、元寇という一大事のために重税まで課せられている。当然、南宋から移住した農民は、裕福になるよね。

 

現在、中国から日本にきて中国人が起業を起こせば、都から1500万無保証無担保で融資され、さらには、生活保護費までもらえ、留学生には手厚い保護が受けられる。当然、裕福になるし、中国の資本家も、円安で安く不動産などが購入でき、国内がインフレとなれば高い家賃を設定することもできる。現在、小池都政で代々木などの開発の計画が進められているが、三井不動産などの大手デベロッパーが建設する高層マンションなどは、すでに建築される前から買い手が決まっている。多くが外国の資本家たち。だからすでに売り先が決まっているために、なんとしても計画は実行されなければならない。

 

現代とよく似た状況が、第二次元寇の後に起きたように思えるね。少なくとも10万人の農夫が新たに日本で増えたわけだから、当然その家族や親せきなども一緒に日本列島に移り住む。たぶん南宋からきた移民は、ひょっとして100万人近く移住してきたかもしれないね。その上、南宋という国がなくなったことから知識人や技術者なども日本列島へと向かってくる。完全に、日本は、北条政治は、南宋の政治に近くなったかもしれない。そうなったのかどうか以後少し考察してみますね。

その結果、従来の出雲族を中心とした農民は、苦労することとなる。南宋から移住した知識層は、僧呂としてはいってくるために、従来のお寺の役目も変わる。つまり、原住民に対して金貸し業も始めるようになる。もともと華南の地帯は、商業意識の強い地域のために、当然政治などを司る役人腐敗が蔓延る。それが、地位の低い商人の自衛策だからね。

 

明の時代になっても同様。秀吉の時代は、明の政治体制は腐敗がひどく蔓延っていた。その状況も後説明します。

 

宋人などの華僑が日本列島の九州の博多に集まったように、半島にも集まった。それが全羅道。当時の華僑は、物流は船を利用した。しかし、当時の船は木材。荒れ狂う波、中国大陸から日本列島へ向かうまでに10日間位はかかっていたかもしれません。もっと早く着いたかもしれませんが、それでも木材船であるかぎり痛む。修理する地域も必要。

 

当初、南宋から向かった一団が、済州島へと向かったのも、そこである程度船の修理をしたんでしょうね。済州島は、船の中国大陸と半島、九州へと向かう中継地として船修繕の港でもあった。当然、九州でもそういう船場が形成されていたでしょうし、その職人も大陸から移民してきたでしょう。

 

北九州は、一大経済圏としてすでに文明化された。そこに源頼朝死後の北条政権は利権として目をつむることはないでしょうね。

 

 

建仁寺。臨済宗建仁寺派の大本山。創立者は、源頼家。開山は、栄西。鎌倉幕府二代将軍。母北条政子は、息子源頼家を見殺しにしたと伝えられている。

 

 

 

父頼朝が早死し、若くして家督を相続、二代将軍となる。若気というよりももともと北条家は、農村社会のため、合議制社会。北条政子の父、北条時政、弟北条義時等の有力御家人13人による合議制で進んだ。

 

その合議制に対し二大将軍頼家は、反発し若い家来5人を指名し、この5人しか自分に目通りできないようにし、他の有力御家人をはずした。しかし、物語では、女遊びや蹴鞠に興じるようになり、有力御家人の反感をかったことになっている。それ以後は、wikiに譲るとして、

 

僧呂栄西は、比叡山で得度し、南宋へ二度も留学し当時南宋で繁栄していた禅宗を学んでいました。しかし、京で禅の教えを広めようとしますが、比叡山延暦寺の天台宗の勢力が強く、鎌倉へと向かい、鎌倉幕府に庇護を求めたようです。詳しくはwikiで。

 

1200年(正治2)、北条政子が鎌倉に建立した寿福寺の初代住職に招聘される。その2年後、京都の一等地に建仁寺を開山する。この2年間は、鎌倉幕府にとって動乱の時代。梶原景時の乱、建仁の乱という内部クーデタ事件が勃発していた期間。

 

京都は、比叡山延暦寺の勢力地域。そんな場所に開山できたのも鎌倉幕府の権力のおかげでしょうね。1202年には、源頼家は、征夷大将軍に任じられている。お寺というのは、表向きは宗教場所ですが、本当は利権の場所。開山当初は、比叡山延暦寺や高野山真言宗などの既存の宗教勢力との軋轢を避けるために、天台宗、真言宗を兼ね、その後京都えびす神社を建立する。

 

源頼家は、開山の二年後である1204年に殺される。当時北九州の金融権力は、比叡山延暦寺が持っていた。そして源頼家が殺された時期に、栄西は、茶の栽培を京都の栂尾山 高山寺に植えて、高山寺の明恵上人とともに茶の栽培を行いました。現在、栂尾山 高山寺には「日本最古の茶園」が残されています。

 

 

 

前回のブログで説明したように大陸で金融制度を非常に利用していたのが、茶商。

 

源氏鎌倉幕府は、頼朝の早死から幕府体制は万全な状況ではなかった。その上、頼家は殺してしまった。通常は、歴史家は、京とのつながりを強固にするために京都に建仁寺を建立したかのように思えるが、主には、北九州の利権の争い。比叡山延暦寺の北九州の勢力との戦い。金融戦争だった。将軍を誰にするかも大事だが、最終的には銭であり資本。

 

朝廷よりの源氏と地方豪族北条家との争い。戦に勝ったからといって資本がなければ幕府体制など作れない。幕府体制に必要なのが資本。政治家は経済に強くなければならない。比叡山延暦寺の北九州の金融利権を奪い取るために栄西を京へと送った。源氏の棟梁がいなくなったと同時に北条義時は、対馬国司の権利をはぎ取り、対馬守護を置いた。元寇の時代は、ひょっとして、朝廷は権利も権力もない国司を派遣し、対馬守護として北条鎌倉幕府から武士もしくは鎌倉僧呂を派遣したかもしれないね。

 

栄西は、南宋に二度留学したことにより、茶商とのラインをつなげていた。朝廷と鎌倉幕府との金融戦争の始まり。

 

ここまでで。

 

次回は、前回のブログの続き、中国大陸の金融の流れを考察する予定です。

 

世界的洪水前は、日本列島は、大陸と陸続きだった。その時代、泰山に東王父の国あり、天山に西王母の国があったようです。しかし、洪水がユーラシア大陸南方から広がり、徐々に住処を北へと移動せざるおえなくなった。洪水前に東の青森あたりから西の敦煌までは、一つの騎馬民族による連合国だったかもしれないね。それが洪水により南からきた移民と対立しながら混血していったのが、モンゴル高原地帯。特に西から来た集団は、東王父の国から見たら野獣の様な集団だったらしく、東王父の王族も一様生き残ったかのような話があるが、現実はどうかわからない。その一族の姫が、二つ分かれ、一つが現在の満州から北朝鮮あたりに残り、もう一つが、日本列島に流れたと伝えられている。

 

敦煌から日本へとつながる国は、洪水による自然災害により民族や言葉、風習が部族ごとに変わり、一部はよく似た風習も残したかもしれないが、小部族に分かれたために争いがたえない地域と変化した。その中の有力な部族が、クビライの母の部族であるケレイト族。この部族は現在でも小遊牧民族として存在しているようです。

キルギス自体、日本人と似ているらしくクビライの母親は、古代日本のことを知っている感じがするね。

 

この時代の移民の性質をつかめれば、織田信忠の母親にもつながるような気がするし、徳川家光と弟忠長の争いの状況も説明できるかもしれない。

 

ではごきげんさんで。