こんにちは、元気ですか(・・?

 

この世の不条理を受け入れて命を助ければ悲しみから解放される。悲しみの安易な産物が復讐。

 

信長の若かりし頃の戦い方法は、戦頭をはしり、後ろの矢は鬼神と化して通常より十倍強くなった。我戦頭の背中をみておいかけろ。

 

若かりし頃の信長の戦闘の仕方は、主にモンゴル帝国騎馬民族特有の戦い方のように見えますね。現実はどうだったかわかりませんが。

 

信長が、支配欲が強い人物であったかどうかわかりませんが、えてして支配力が強いリーダーの後継者の選定は難しい。キングダム桓騎将軍率いる軍隊がまさしく蒙古軍団だったかもしれませんね。この漫画アマゾンで配信している。

 

日本の経営者は、多くがサラリーマン経営者。そして現代の独立した経営者の多くは、大企業などの下請けであったり、もしくはオーナーという紐付け経営者であったりと、昭和の戦後の独立した経営者等とは違う。ある大手企業の幹部によるセクハラが事件となったころがありました。日本の商品を世界に売りさばいていたからには、それ相応な見返りを相手国に与えていなければならない。日本の政財界というのは、村社会。その中である程度のしあがるには、皇族などの血筋も必要だった。縁戚となり国内商圏をひろげ、国内に権益を広げ時代の波に乗り日本でも最大手の一角にはいったが、そこへ大きな落とし穴が待ち受けていた。

 

日本人経営者としては、特異な経営者としてオーナーから引き立てられ、世界へと商圏を広げ、海外市場に上場までもした。海外の政界工作には、資金が必要です。日本国内で使う資金とまるで違う。当然で一ドル360円の時代から。しかし、急激な日本の輸出力により外圧によって円高へとむかった。特に米国政治は、ロビー社会。特異な経営者にまかせ海外商圏が落ち着いたころに日本人オーナー一族による息子への経営権承継へと向かいだす。そのような時期にその大手企業国内工場で過労死事件がおきた。その前に、偽装請負などの問題が水面下で偽装という文字を利用して徐々に国内問題化していた。所詮は、息子に承継させるための人事へと移行していたために、海外、特に米国に対して甘くみていた。つまり米国ロビストに対しての経費削減。米国ロビスト等と大手企業グループの契約はどうだったか詳しくわかりませんが、911テロをきっかけに米国ロビスト対策費用の大幅カットをした。

 

それまでにその大手企業のロビストとして米国社会工作をしてくれていたグループは、日本企業のその行動を裏切りと感じた。いわゆる日本人サラリーマンによる裏切り。こういったことは、それまでにもたびたび日本人はおこしていた。終身雇用を前提としたサラリーマンのために、日本式=海外も適用できるといつまでたってもその意識がぬけない社会。セクハラに100億円以上の賠償請求されたが、それも数十億で解決させるべく、前の経営者が水面下で解決のために動いた。しかし、一度裏切った者をそうやすやすと許すはずがない。外交とは国益の戦い。どの国も自分の国が第一。特に米国はその意識が強く表にだす。昨今の日本の政治家のように税に対して認識が薄い人間は、必ず庶民の手ひどい攻撃にあう。日本は、徳川家、天皇家などの巨大な支配欲があったために、その体制の中間管理職程、危機意識が少ないし、庶民も同様。

 

その後、日本国内の事件と連動して、アジア・米国を中心とした嵐が日本企業へと向かった。

 

その頃に一部の社会で問題としてあがっていたのが、人間の進化の問題。未来を切り開くには過去を知らなければならない。米国オバマ大統領は、米国は世界の警察ではないとも発言した。つまり、その時代から米国は、収縮に向かい始めることは予想されていた。表に現れたのが、リーマンショックから。これにより、それまで埋もれていた勢力がニョキと現れ始めた。進化を求めるために。

 

米国の力の収縮が、米国の同盟国などの保護国に重圧がかかる。それも保護国の政治家等にかかる。絶対核家族社会である米国の社会は、イノベーションで社会を創りなおすことが今後の未来に向かおうとする。しかし、日本のような直系家族社会は、イノベーションを嫌う。老人支配を好む。そこで人間の進化の問題へとある一部の社会は、議論しだした。

 

1960年代から量子研究が真剣に行われていた。その研究の最中、量子である粒子のある性質に気付いていた。そしてその研究にいろんな分野の研究者が参加した。

 

人間の支配者は、初めに自然の出来事、例えば日食などの自然現象を利用して人間等を支配し、その後武力で支配し、その後宗教で支配した。しかし、宗教もいろいろなグループでわかれてしまったために、国家体制というものを作り出した。さらに、西洋でおきた宗教革命から、権威のみならずお金(紙幣)で支配することを考えた。

 

宗教革命で現れたのが第二の科学。第一の科学は、主に武器などに利用できる実学。第二の科学は、世界から不確実なもの、神秘的なものを排除した。

 

そして世界大戦を通して第三の科学へと向かった。それが、エネルギー。

 

この宇宙世界は、ある単純なる物質による爆発から起きたという考え。爆発により、エネルギーが生まれ放出され、多くの新たなる物質が形成され、進化=爆発のたびに各種の世界が形成された。そして現在我々は、見知らぬ宇宙の中で生きていることに気付いている。

 

人間社会は、気づきの連続である。気づくことによって人間は進化していく。気づくというのをここ最近は、覚醒とかめざめとかいい、あるいは知恵と訳している人もいる。世俗的な安心感、経済的な安定を追求してきたために、多くの人間が、何のために生まれてきたのかという単純な疑問さえもいだかなくなった。

 

怪我をしていたときに、仕事も休んでいたのでネットなどでいろいろ話し合っていた。話が進むほど、中には高尚な人間も参加してきていろいろ議論しあったね。その中で自分は、ある人にその疑問を投げつけられていたときに、人間は、自然を管理するためにうまれてきたんじゃないかと話したことがあった。

 

人間は、日本人の寿命が約80年としてもいずれこの世から消え伏せる。それぞれ寿命がある。消え伏せる人間に、知恵が与えられた。地球の自然は、自由気ままにすると荒野などのように荒れ放題となる。そこへ、人間に、美というパロメーターをあたえられたことにより、自然を美しいと感じるようになった。その美しさを管理し、形成されるためが本来の地球に住む人間の役割なんじゃないかとね。そのために、河川の土木事業をしたり、人間の住む地域、野生動物の住む地域、健康な森林地域などを維持・管理するために人間に知恵を与えられた。しかし、人間は、その知恵を自然破壊に向かいつつある。

 

美に対する感覚を育てるために、物が進化してきた。進化した物に命が宿り、宿った物は、エネルギーを必要とする。当初は、必要な分だけのエネルギー補給だけでよかった。しかし、そこに欲が加わった。必要以上の欲を求めるようになる。

 

人間の場合、牛や豚などの動物の肉を追い求めたり、植物や根類、穀物を追い求めたりと。エネルギーを物を食すことで得てきた。そのエネルギーとは違う方法でエネルギーを得る方法、或いは別のエネルギーの存在が見え始めてきた。それが、感情。

 

人間を支配しようとする勢力は、どうしたら人間を支配できるかどうかばかりを考えていた。そして人間に与えられた感情が、エネルギーであることを知る。つまり、人間から感情というエネルギーを吸うことができると。そのエネルギーを吸うことで、人間を管理できると。また、与えることもできると。

 

その管理方法が、年功序列、先輩後輩、属や村社会であり、子弟関係などの縦割り社会。長子相続なども本格的日本に根付いたのは明治時代からのような話も聞くからね。血縁というのは、同族という意味がたぶん昔から強かったように感じる。長子相続という概念は、たぶん明治からでしょうね。それまでは、長子相続などは一部の社会はしていたかもしれないが、メジャーな事ではなかったように思えるね。

 

支配者は、支配した者からエネルギーを得ることができる。抑圧という形で。よって古代から王家は、自分の息子を父親の許で育てなかった。妻の部族や側室の部族の下で育てさせた。子供(男)のエネルギーを支配欲が強い父に吸い取られるから。エネルギ―を吸い取られた子供は、奪われたエネルギーを得るために、他にエネルギーを求めようとする。古代の日本人(支配層)は、そういうエネルギーがあることを知っていた。

 

自分のある著名な一族の知り合いと若い頃知り合ったんですが、彼曰く、どうしても一族に関係する仕事が周りにあるので、進路は、それに近い方向へといくけれども、28歳くらいまでは、比較的進路は自由で両親からの干渉は、あまりないといっていたね。だから自分の様な庶民とも気楽に付き合えたんですけれどもね。

 

28歳以降になると、やはり相続とかの問題もからむけれども比較的それでも自由だが、それまでに自分の方向性をきめなければならないといっていたね。すでに寄宿学校へ小さいときからはいらされていたらしいけど。

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上記の様な世界が、江戸時代までだったのかもしれませんね。

 

年功序列のような直系家族社会は、核家族世帯が増加するにつれて崩壊していく。つまり徐々に価値観が変化し始める。エネルギーをもとめる方法が変わる。大きな社会犯罪をしていても、個人個人のプレイが、単なる作業となれば罪の意識もなくなる。犯罪に手を染めていることすらわからない。そういうことに気付く時代へとはいる。となると村社会にいることが、エネルギーの消耗となりそこから脱出しようとする人も多くなる。2022年10月27日から大きく世界秩序という地殻変動がおきた。大きなエゴの中の対立が、家族構成の変化の中で一つに集約される。そのために、人間自ら人口削減を行うようになるかもしれませんね。自然を守る或いは管理するために自ら共食いを行う。資源でないエネルギーの奪いあい。この戦いは、陰湿で悪魔的。日本もそのようになりつつある。ただし、人間の体には寿命がある。陰湿で悪魔的なものが、長生きするかどうかはわからない。また、現在の地位、経済的安定が、そのまま維持されるかどうかもわからない。

 

また少しおかしな話をしましたが、上記のような世界もあり、かつ、世界では、すでに話し合われていたということで。前回のブログの続きへ行きます。

 

高麗国王高宗は、クビライに服属として出した条件の一つが、高麗国内にいるモンゴル兵を立ち退きさせることでした。しかし、高麗国内乱で、モンゴル兵を国内に侵入させるきっかけを作ってしまった。さらに、今度は、日本征伐です。

 

高宗は、モンゴル侵攻時、開京陥落(首都)を受け、江華島へ遷都した。海戦に不向きなモンゴル軍は、半島の領民を跋扈した。キングダム桓騎将軍の部隊と同じようなことをしたのかもしれませんね。多くの領民が、捕虜として連れられ、殺されたりした。モンゴル兵が一人でも姿を現すと、高麗の領民は、すべてどこかに隠れてしまい姿をくらましたくらいだったようです。

 

開京陥落時に高麗朝廷は、モンゴルの侵攻に抵抗できないことを悟り、講和を求めた条件が、一万枚の毛皮、二万頭の馬、100万人分の軍服と大量の奴隷・貢ぎ物。

 

江華島に遷都してから、モンゴル兵による半島領民跋扈され、農村の休耕や国土の荒廃を招く。モンゴル軍は、元高麗朝廷側に属し、その後寝返った高麗兵士を中心にして半島を征圧させた。高麗軍の補給を絶つために農地を焼き払い補給を絶った。主に高麗朝廷、そして半島を跋扈したのが、モンゴルに降伏した高麗の将軍等。第六次モンゴル高麗侵攻時、捕虜となったものが役20万6800人、死者は、「骸骨野を蔽う」ほどであったという。

 

高宗が死去し、元宗が後を継ぐ。元宗は、高麗がモンゴルへの服属をしたときに、人質としてモンゴルへ赴く。元宗は、親モンゴル政策をおこなったが、重臣がこぞって反発。モンゴル軍、主にはモンゴルへ服従した元高麗軍将等によって内乱を平定したが、日本遠征による大規模な負担を臣民に負わせるようになる。元宗は、1274年文永の役直前に死亡した。

 

太子諶が、クビライの公主を娶り、忠烈王として王位につく。文永・弘安の役において元の日本侵攻を進言し、兵力と経費を提供したとされる。さらに、毎年莫大な貢ぎ物・人質を頻繁に送り忠義をしめした。さらに高麗国内経済は疲弊する。

 

忠烈王は即位前に質子(トルカク)として出されたクビライの宮廷にてケシクの一員として近侍していたため、モンゴル人と同じ服装や髪型をしていた。そのため、『高麗史』によれば、彼が高麗に帰着したときにその容姿をみた高麗の廷臣たちは、「国人、世子の弁髪・胡服を見、皆な歎息して、泣く者すらあるにいたる。」これは彼自身がモンゴル宮廷での庶務に従事する必要上、モンゴル宮廷の慣習に従っていただけであったが、当初、高麗宮廷では王国の後継者がモンゴル人と同じ恰好をしていたことは歓迎されていなかった。wikiより

 

忠烈王の時代は、もはや高麗国に富を得るものがなく、高麗朝廷を守るためにモンゴルに対して従順に徹し、日本などの他国から冨を奪う方法しかなかったのかもしれませんね。

 

いつからかわかりませんが、大陸の港では、古代から八幡の民という倭寇をすごく恐れていたという話を聞いたことがある。昭和の戦後の時代でも、ある自衛官がその話を聞いたことがあったようです。当の自衛官自体もその話を知らなかったらしく、住民の老婆から聞いたそうです。秀吉が八幡の民だったのかどうかわかりませんが、あえて意識していたのかもしれませんね。

 

関東の鎌倉政権の下に元軍が対馬に襲来した報せが届いたのが、元軍が撤退した後だったらしく、その時幕府では、鎌倉から元軍討伐に派遣するかどうか議論が未だに決していない時だったようです。元軍が撤退する理由としてやはり兵糧などをつんでいた船が、火攻めで沈んだことで戦えなくなったことが原因のような気がするね。刀にしても一人切ったら人間の血による油で次は使えなくなるようですし、弓にしても同様。それを修理する人材は、船の上で待機しているからそれすら沈まされたら戦えない。元軍の中には、戦闘で倒した馬を食したり、相手側の人間の肝を取り出して食したりしていたようですから、戦うことよりも自分等の食う物にも次第に困る体制に入っていたのかもしれません。そこへ倭寇が、元軍の兵站をねらい沈ませた。

 

海の上で沈めさせれば、逃げ場がなくなる。兵の多くは、元高麗兵だが、モンゴル仕官は、恐怖におびえるでしょうね。最終的に帰る場所があれば、人間の意識の中に安心感が存在する。例えば、祖国というものがあれば、外国に出ていたとしてもひとつの安心感がある。故郷も同じ。祖国がなくなるということは、その安心感がなくなる。

 

当時は、乗船した船がなくなれば、上陸した兵隊に不安が沸く。川は流れればいずれどこかの陸地にたどり着ける可能性があるが、海はそういうわけにはいかない。それが海の怖さ。

 

女真族である趙良弼は、日本征伐には反対していた。1年近く日本の大宰府に滞在していたようですから、元・高麗軍が日本を攻める場合、橋頭保をどこにするか、更にはどこから上陸したほうがいいかなどは、調べている。しかし、それらを考えても日本を攻めることは難しいことは、漢人の左副元帥劉復亨は、たぶん趙良弼から聞いていたんでしょうね。

左副元帥劉復亨は、済南府斉河県の出身。もと金の官僚耶律楚材の門人。

火攻めで元・高麗軍は、パニクッタ。冷静さを失った軍隊は、冷静な判断さえも失う。船を岸に近づけようとしても一向に近づけないような状況へとかわり、多くが高波にやられ沈没させられたのが原因でしょうね。

 

逆に、鎌倉幕府は、高麗へ侵攻して逆襲することを計画する。欲がでてきた。その準備を鎌倉幕府はしだした。しかし、その計画は、突然中止となる。鎌倉幕府は、北九州でおきたことを全く知らない。元・高麗軍が引き揚げた時期でさえ、関東の鎌倉幕府は、北九州に兵をおくるかどうか議論の最中だった有様。

 

北九州という地域は、当時はたぶん湿地帯。馬を操るにしてもそれほど活躍できる土地はない。主に馬を操ることができる地帯は、信州・その北。

 

たぶん、鎌倉幕府の北条政権がそのような動きをしだしたことにより、真実がある筋から北条幕府に知らされたんでしょうね。

 

ここまでで。

 

ここ最近アイヌ問題がニュースになっているね。アイヌとは、本当に日本の古代人なのか。正直自分もそこまで研究していないのでわかりません。このブログで秩父周辺に古代いたのが、犬族(これは自分による解釈の部族)がいた。知々夫族、徳族ともいうかもしれないが、アイヌというのは、この犬族の兄弟部族とも考えられる。イヌにアがつくことによってイヌの兄という意味もある。また、アがつくことによって海を制する者という意味もあるという。いわゆる海人族。前回の記事にしたように、女真族とアイヌなどの北方列島民族とは、古代から交易でつながっていた。この件も、今後渤海国について再度考察しますのでそこで紹介する予定です。日本には、天皇朝廷、武士による幕府の他に、何らかの権力体制が存在していたような気がしますね。たぶんそれが、山であったり、海であったのかもしれません。天皇や武士が支配したのは。開拓地と川に関する地域。その他は別の支配体制があったような気がしますね。

 

第一次元寇を追い払ったのが、八幡の民である海人族であった。それも夜戦と火攻め。国益を守るのと同様権益を守るために戦う。日本を守るためにではなく権益を守るため。元・高麗軍の日本列島進出は、倭寇の権益の侵害だった。

 

ではごきげんさんで。