こんにちは、元気ですか(・・?

 

モンゴル帝国(元)の社会では、女性の地位は、財産で決まっていた。そういう遊牧民族の性質を何故高麗は知らなかったんでしょうか。高麗、高句麗から流民も現代日本人の先祖、そして遊牧民族もまた現代日本人の先祖。現代日本は、いろんな民族が流れ着いた列島。

 

チンギス・カンことテムジンは、遊牧・騎馬民族としてモンゴル平原を戦闘のためにかけづり回る生活。戦闘がないときは、野生の馬や羊などを探し、狩猟をしたりする時間に費やす。女性の役割は、毎度の食事の用意の他に、矢などの武器を作ったり、なおしたり、戦闘服などを縫製、若しくはなおしたりするが、テムジンなどの戦闘員がいなくなると、集落の守りに徹しなければならない。テムジンが、妻ボルテがメルキト部族に奪われた時も、テムジンが出陣していたとき。女性は、女性で武術、馬術もみにつけなければならない。母ホエルンが、部族の人数を多くするために、乳飲み子をテムジンに贈らせたのもわかる。多くの孤児が、ホエルンを母親として慕う。

 

以前、飯山陽さんという女性の動画を紹介しましたが、最近は、深田萌絵さんの動画を見るようになった。結構動画アップ歴は長いようで、ただ自分自身があまり興味を持たなかったせいか、最近自分が気づき、注目している女性です。東京八重洲にスタジオを持つらしく、これから彼女ら二人のような活動的な女性が増えてくるかもしれませんね。

 

元の時代も女性の時代だった。戦闘に行く男性が背後を顧みず命がけで戦いにいくのも、女性が自分の子孫を産み、そして育て、その環境が安心であったからこそ。戦闘が終われば、部族の帳幕に戻り安楽に暮らせる。チンギス・カンの母親ホエルンは、戦闘で死に残された家族の世話をし、或いは負傷した兵の手当てをしたりと忙しい毎日をすごしていた。当時の女性の武器が、そういう世話をすることだった。当然、戦闘で得た敵の財宝などが、ホエルンの許に運ばれる。ホエルンは、部族発展のためにその財宝を有益に使う。戦闘にいく兵たちの食糧、そして武器の仕入れ、野生の馬を騎馬用に使用するための訓練、帳幕の部落で各々役目を与え、部族の富を増やす。テムジンやその兄弟、子供等が、戦闘に勝つたびに、奴隷も増え、部族数も増え、テムジン一家の規則を教える。いわゆる遊牧民族をまとめる組織を作り上げる。しかし、ホエルンは、部族の酋長の娘として教育されたが、大部族となると動かせる能力は乏しい。そこで現代でいう管理者のような智を持つ者を探す。そういう智を持つ者が、宗教者。宗教というのは、人をまとめるために作られた物。

 

飯田陽さんは、中東については詳しい、そして深田萌絵さんは、itビジネスに関連する台湾・中国について詳しい。通常の庶民にはない情報を持ち、それを動画を見る人に伝えている。紐はついていなけれども、情報を与える人は、この人に情報を与えれば情報がある程度流れることを知っていて情報を教える人もいる。いわゆる、言わせられているというのもある。

 

【タイム誌】タイトルで「真の軍事大国に」ナゼ? 日本政府が異議

元寇の謎。なぜ高麗王は率先して、日本を侵略しようとしたのか

 

 

311東北大震災と福島原発事故、そして今年正月におきた能登地震。311の東北大震災程ネットなどで人工地震の話題は、能登地震ではでない。東北大震災については、内藤晴輔さんが真実かどうかわかりませんが、ばらしてるけどね。

 

一般市民はもとより、危険視されている社会の特定勢力或いは指導者等の間に、理解しがたい恐怖、危機感、破滅を引き起こす軍事作戦が、衝撃と恐怖。当然自然災害もあります。竜巻、ハリケーン、地震、洪水、制御不能の大火事など。

 

そういった点で考えれば、311東北大震災、そして能登地震がもし人工地震としたならば外国勢力が何らかの目的をもってしたようには思えないね。通常は。東京から愛知のベルト地帯を狙うからね。或いは、北九州とか。

 

元ヤマハ発動機のエンジニアで静岡理工科大学講師の地震学者の山本寛さんは阪神大震災や新潟中越沖地震は人工地震だと語っていた。

 

 

地震、大火事、大洪水などの自然災害は、災害地帯をまっさらな状態にさせることができる。悲劇です。しかし、逆に、なかなか古くて住民の反対などがあり壊せなかったものなどの障害がなくなり、新しいシステムを導入できるチャンスでもある。

 

米国での911にしてもその後世界に対して自由主義と民主主義を米国流に推し進めやすくなり、中国の天安門事件にしても、輸出特区などを設け改革路線に乗り出すことができた。中国の労働者は、恐怖の陥り労働者の権利などどこかに吹っ飛んでしまった。ロシアでは、エリツインによる戦車砲撃で、ロシアの民営化による大売出しへの道をつきすすみ、その後新興財閥というオリガルヒを産んだ。イギリス、マーガレット・サッチャーは、フォークランド紛争から炭鉱労働者のストライキをつぶし、そのご民主主義国家の中で初めて民営化という政策を実行した。NATOによるコソボ紛争により旧ユーゴスラビアの民営化の環境が整い、ラテンアメリカ諸国やアフリカ諸国においても債務危機に陥り、IMFから民営化かそれとも死かと詰め寄られた。

 

民主主義、社会主義国では、新しいシステム、新しいビジョンを展開するには、独裁主義的状況が必要となる。当然、日本もその波に飲み込まれる。しかし、大規模が地震が起きた場合、日本には原子力発電所という爆弾施設があるためにその影響でその周辺は、大きく廃地になりやすい。放射能がまき散らされるとその周辺の莫大な土地が使用不可能になる。

 

リーマンショックで派遣村が各地ででき、多くの非正社員といっても現代程守られていない非正規労働者が、何の保障も得ずに組織から放り出された。日本は、若者を守る国ではなく、年よりを守る国になっている。動画の世界もほとんどが50歳以上の紐付きの人がしゃべくり、動画アップ数がある程度といっても数万件数ですが年金などをもらいながら稼ぎをしている。

 

そうでなく、日本国のための動画などで講演をアップしてくれている人もいるが、この動画も外国企業の提供。アイデア、仕組み、システムなど土台は、外国企業が提供してくれたツール。世界は、米国が中心となったから、日本は軍事に大幅予算をかけなくすごしてきた。音楽などの文化も西欧と共有できるようになった。動画にスポンサーがついたから、動画でおしゃべるするだけ、何かを訴えるだけで資金が入るようにもなった。もともとネットの世界は、フリーな世界をきずくために開放したようなもの。動画サイトは、広告収入を初めからあてにしていた。無料で携帯電話を配ったのと同じ理由。利用者が増えることがねらい。

テレビ業界が、スポンサーの目を気にするように、今後動画サイトもスポンサーの目を気にするようになる。今後縛りが増えるだろうね。

 

このブログも記事によってアクセス回数が表示される管理画面があり、結構多くの人が未来予想に気にしているようなのがわかる。そこで上の動画の岸田さんの表情。

 

モンゴル帝国の財政の管理は、テムジンの母ホエルンがしていた。いかに戦闘で勝ったとしても、報酬がないかぎりは、兵隊はついてきません。遊牧民族、騎馬民族というのは、領地を守るのではなく、第一が部族を守ること。部族を大きくするために外地へと進出する。戦闘に勝ち、その成果で昇進、3人部隊、10人部隊、30人部隊、50人部隊、100人部隊、・・・10000人部隊、50000人部隊、十万人部隊と実績をあげるたびに支配下の部隊が大きくなる。戦略も必要。伝令などに使う文字も必要。いろんな専門分野の人材が必要になる。その人材が、当時は行商などを行う商人等。お抱え商人となった人材もいれば、商人からモンゴル帝国の重臣へと変わる人材もいれば、商人から推薦されてモンゴル帝国の重臣になる者も増える。そういった人材をみきわめるのも母ホエルンの役目。主にテムジンに仕えるという姿はみせるけれども、財政を預かっている母ホエルンの方向を見てテムジンに協力する。

 

文官である官僚とは、強い方、権力がある方を見ながら仕事をする。現在の日本では、米国。戦国時代も同様、信長が足利義昭を上京させ、将軍職につけたけれども、強い信長を見る。近畿の商人、僧呂、公家、将軍の部下どれもが信長を頼る。信長に近いほど有利だと思い込み、すり寄る。日本の官僚も同様。米国にすり寄る。

 

 

 

米国の重臣は、その姿を観察している。中国、台湾も同様。といって、自分がもし官僚だったらそうするかもしれないけどね。

 

自分はそれほど外国企業に詳しくないですが、なぜ秘密結社なるものを外国がつくるかとみていると、忠実な部下が欲しいからです。それも命をかけて守ってくれる者。そのためには秘密結社は、死を覚悟して働いてくれる者に対して恩義をかけなければならない。つまり秘密結社として忠実な部下の家族、一族を守ること。現代はわかりませんが、太平洋戦争頃の海外の資産家の多くは、孤児院を必ず持っていた。そういった部下の死によって孤児となった世話をするために。そして富豪の息子と同じような教育の機会を与えてあげる。有力な財産家の養子にさせたりして秘密結社とのつながりを隠し、活躍させる。

 

政治の世界というのは、税金という色のない莫大な資金を扱うために、秘密結社の餌食となる。当然、信長も秘密結社を持っており、その一員が、秀吉の妻である寧々。信長もまた、ある王族の秘密結社の一員だったかもしれない。犬に関係するから聖徳太子一族かもね。ただし、秘密結社のトップは、血筋では選ばれない。同族から選ばれる。

王族というのは、必ずそういう組織を形成している。

 

特に深田萌絵さんは、動画をみていると狙われているようだから気を付けてくださいね。ただ、普通は敵を味方と思い込ませて変なとこで敵を作らないはずなんですが、仕掛けた方の失敗かなと思うね。余計敵をつくちゃったような感じ。

 

日本は、スパイ防止法を作らない国だから、各国のスパイの情報交換場所にもなるし、それらにすりよる一般の日本人や特定の政治家、官僚がいるのが自然と感じるしかないね。政治家は口ではいい事いうけど、本心はわからないからね。自分はそれある程度理解しているから、政治家や公務員とはあまり関わらないようにしてきた。知り合いは多いけどね。

 

前回のブログの続き、元寇へといきますか。

 

元寇のことを蒙古襲来とか異賊襲来とかいうようですが、このブログ信長に記事にしたとおり、古代から同族が日本に渡来もしくは本家は日本列島なのかわかりませんが、お互いそういう部族がいるということは知っている日本人もいた。時に政権や朝廷は、どうかわかりませんが。元の大陸の行動などは、特に日本海を中心に活動していた部族では、噂は耳にしていたでしょう。主に海賊ですね。日蓮上人が予言したそうですが、海賊などの情報網から詳しく聞いていたんでしょうね。元寇という言葉も江戸時代後期、徳川光圀が編纂した大日本史からのようです。

鎌倉幕府が恐れた日蓮 国難を次々と予言した男

 

元寇については、詳しいことは下記参照してください。

元寇

 

高麗、元宗が、わざわざ戦地にいるクビライの許へと向かい、和議を求めた。敵から和議を求めてきた以上、さらに追い打ちをかけることはしない。いずれ滅ぼすつもりでいたでしょう。

 

そこで話し合われたことは、蒙古の駐屯部隊は、すべて高麗から引き揚げる。蒙古にいる捕虜は、一人残らず調査をして、誓約の言を為さしたうえで放置する。その時に丁度二代目大汗であるモンケが崩御し、次の大汗を決める大集会があるので、高麗に対しては、無理な強要などは避けたのかもしれない。高麗元宗がクビライに会った時に、変な言葉を話す商人、たぶんイスラム商人の行列がつきそっていたようです。当然、クビライ軍の中には、高麗からクビライ軍に寝返った高麗人の軍人もいた。

 

クビライは、内部分裂を経て1260年カアンに即位した。中国風の元号を立て、漢人官僚を集めた行政府を新設する。漢人を採用して中国式の政府機関が整備し、紙幣を発行し通貨を統一した。カアンに即位しても反乱などがあり、在地軍閥の解体させ、内部改革を行った。ひと段落ついたのが、1267年。この時期から都城大都(北京)で建造を開始し、1271年に国号を大元と改められた。

さらに国士としてチベット仏教の僧呂を任命し、パスパ文字を制定させるなどしてモンゴル独自の文化政策をすすめた。ただ、華北支配にあたって漢学に必要性は十分に認知しており、モンゴル王族などの子弟に漢学を学ばせ、漢語で書かれた歴史書、経典などをモンゴル語に翻訳させた。

 

高麗が存在する朝鮮半島は、当時からそれほど豊かな土地でないということは知られており、1259年に戦陣の移動中にクビライと面会してから2年後の1261年、クビライの詔論が出された。

 

戸籍を作ること、徴兵、糧食運搬、軍資の貯蓄などが言い渡された。

翌1262年、朝貢すべき物品の名を言い渡される。その中に好銅が入っており、高麗では、それがいかなる金属か知る者がいなく、真鍮とわかったが、高麗では採れなく仕方がなく漢人の商人から購入するほかなかった。

 

そして厳命として、質を納めること、民を編成して伝達組織を作る事、軍旅にあたっては食糧を輸送し、軍儲を補助するための用意あること、年々の貢ぎ物に意を怠らぬこととされた。

 

高麗の現状はというと、年々高麗から去る流民が増えだした。

 

樺太(サハリン)には、ニブフ、アイヌなどの部族が住んでいたといわれており、渤海国などの商人とも交易をもち、女真族の交易範囲。

ニヴフ

 

 

アイヌ

元祖テムジンも黒竜江(アムール川)周辺の室韋の民族、母祖ホエルン、ボルテも黒竜江流域の少数民族ですが、この周辺の史料はほとんどなく、1260年大カアンとして即位の時代に黒竜江下流域に勢力を伸ばしていた。1263年にすでにその流域を統治していたクビライの許に、アイヌ族(ここではらしき部族)がモンゴル支配下にあったアムール川下流域から樺太にかけての地域に居住していた「吉里迷」(ギレミ、吉烈滅)=ニブフ族に毎年のように侵入してくるとの訴えがあった。この地方も小部族の集合体地域であり、モンゴル帝国の支配地となった部族に他の部族が交易を止められたために侵入してきたということでしょうね。元はその訴えを聞き、アイヌ族を攻撃したとされる。

北九州への侵攻の10年前の出来事です。

 

モンゴル帝国のような騎馬民族は、財宝を求めるために進出する。ニブフ族にしてもアイヌ族にしても狩猟・採集民族であり、財宝という面ではそれほどモンゴル帝国にとってはメリットがない領土だったのかもしれない。ただ、大きな船を持っており、樺太アイヌは、元王朝に撃退されたことになっているが、主に元王国との交易を望んだのかもしれないね。

 

これは自分の推測ですが、客家というのは、渤海国(主に女真族)や樺太などの小部族が混血を繰り返しながら交易を主体とした民族が起源のような気がしますがどうでしょうか。

 

また、アイヌ民族というのは、このブログでいう秩父の犬神族とはある意味対照的な民族だった気がしますね。どう対照的かまだわかりませんが。アは、古代では対照的言葉で使用していたそうです。また、この地方の部族は、古代からの海人部族でもあり、古代から、太平洋をぐるりと回る海路で交易を主体としていた部族かもしれませんね。日蓮も現在の千葉県鴨川市の漁村の生まれであり、その血をかすかに受け継いでいるから予言ができたのかもしれませんね。つまり予言ではなく知らされていた。

 

1264年に元軍は遠征したが、その後20年位元によるアイヌ攻撃は見られなくなる。しかし、元による北九州への二度目の侵攻後、アイヌ攻撃を計画したが、その計画は見合わせとなる。元によるアイヌ攻撃は、陸地での戦いだけで、アイヌは、船を使って逃げるために深追いはせず、アイヌによる黒竜江流域への侵入を排除するのが目的だった。

 

自分の考えは女真族がからんでいるので、女真族の商人が情報を伝えるなどして元とアイヌとの対立の調整をしていたように思えるね。交易は禁止されているから盗ませ、そしてどこかの港でアイヌの商品を受け取るとかね。渤海国の商人は、渤海から陸沿いに北上して当然間宮海峡、サハリン沖、北海道周辺、日本列島では日本海側は、能登まで、太平洋側は、千葉鴨川までが交易のルートだった気がするね。闇貿易というのは、古代から存在するからね。

 

最終的に1308年アイヌ族は、ニブフを仲介として毛皮の朝貢を条件に服属を申し入れたようです。1308年は、元国は不安定経済の時代、不況に乗じて儲ける手段でも見つけたのかもしれませんね。服属後、海上(樺太)に店舗を設け、中国物産と交易していることから、すでにそのころからアイヌ族と野人女直(女真人)と沈黙交易がおこなわれていたといいますからね。中国からアイヌはもたらされたのが蝦夷錦。

蝦夷錦

 

その交易をしていたのが、津軽安藤氏。

 

津軽安藤氏研究の 視 角

 

アイヌによる元への朝貢から、時代が動きます。

 

次は元への北九州への侵攻へと進みます。

クビライが日本に使節を派遣する契機となったのは、1265年高麗人であるモンゴル帝国の官吏・趙彝(ちょうい)等が日本との通交を進言したことが発端である。趙彝(ちょうい)は、「日本は高麗の隣国であり、典章(制度や法律)・政治に賛美するに足るものがあります。漢・唐の時代以来、あるいは使いを派遣して中国と通じてきました」とクビライに述べ、日本との通交を進言したとある。趙彝(ちょうい)は、朝鮮半島南部慶尚道咸安。このブログでは、朝鮮半島倭人部落が多い地域。

 

クビライは、商人などの情報から黄金の国ジパングという豊かな国であるという噂をきき、使節を派遣したものの、何の返事もなく追い返されたのを怒り、土の民力をつくし、舟艦を用意して、これに往きて攻めると述べており、狙いは金ゴールドであった。しかし、それは遠い古代の話。

 

当初は、対馬で追い返されていた。

 

ここまでで。

 

たぶん遠い古代は、日本は火山国でもあるし、川に砂金が目に見えるくらい流れていたとも言われていたようですからね。それが現在でもあるかのごとく。さらに丁度南宋と戦闘中。南宋攻略のために海人族でもある日本を利用したかったのかもしれませんね。やはり目当ては、日本のゴールド。ただ、日本のゴールドの持ち主は、鎌倉幕府でもなく朝廷でもすでになかった。

浜田かずゆき「世界の真実最前線」第19回 “日本の針路を地政学から探る”【ゲスト:菅沼光弘】

https://nicochannel.jp/hamadakazuyuki/video/smNyYJMuXJsyEYjfi2c2t3qg

 

年始早々に起きた凄惨な事故の数々...こう言う時にメデイアと政府は本当の事を報道しろ!天災ではなくもはや人災です...【立花孝志 能登半島地震 羽田空港】

元寇の謎を次回ご期待。

ではごきげんさんで。