こんにちは、元気ですか(・・?

 

前回までの信長考察のブログで、日本列島は、女王国の列島ではないかと考察しました。しかし、女王国では、いかにこの地球上で小さい列島でも一つにまとめることは難しい。日本列島は、女王国の集まりだったとみたほうがいいかもしれません。その女王の中で、呪術の強い証をもつ女王が、よく似た民族ごとにまとめていたのかもしれません。

 

以下の考察は、決して女性蔑視ではなく、単なる歴史考察の一部としての見解してください。

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安倍晋三秘録 第5回

 

野生のライオンが、縄張りと家族を持つように、男性は、暴力によって一家を築いていた。自分の家族をまもるために、家族をつくるために。

そして、縄張りである領土を増やすために家族の人数を増やす。どうしても男性は、家族を守るために自分の縄張りを見張って、よそ者を近づけない、近づいてくるものがいたら戦うしかなかった。近親がすすむことをさけるために、他の部族との婚姻をし、戦うことを運命とされた男性等は、違う部族の女性と婚姻し、そして独り立ちする。直系の子供が多いほど、自分の家族を守るための助太刀部族が増える対策に仕える。

 

しかし、男性が戦いにまけると、その部族の男性は、すべて殺される。女性だけは、戦いに勝った血筋の子孫を誕生させることができるために、戦いに勝った部族の男性に分け与えられる。そしてその子供たちは、母親である女性を中心に育てられる。闘いに負けた男性にしても、生き残った者は、復讐を必ず決意する。奪われたものを奪い返す。自分の妻と娘等。そして奪い変えしたとしても、女性の腹からでた子供は、自分の子供として育てる。生まれたからには、その子は、その時の主人の子であると言い通す。

男性としては、家族を守るためにどうしても人数が欲しい。そういう子も自分の子として認める。

 

このような状況の中で生まれたのが蒼い狼の部族ことチンギス・カンでもあり、その長男ジュチ。ジュチという名前は、当時の騎馬民族の言葉で客人という意味。強い男性であったとしても母親という女性を中心として育つために、何事も母親である女性もしくは姉などの女性に相談する習慣ができあがる。闘いの主は男性だが、主を中心とした部族がふえるたびにそれらをまとめるのが母親である女性の役目。

 

よって有力な男性をみつけ、そしてその男性に嫁いだ女性の父母は、必ず父母の形見として価値のある宝を嫁にいく娘に渡す。なぜなら、そういった宝物は、嫁いだ男性の部族が窮地に陥った場合、援助を求める、或いは、守護神となってもらうときに何らかの贈り物を渡さなければならない。贈り物の価値によって援助を決める。重要な人物に対する贈り物は、贈る民族の中でも最高な物にならなければならない。

 

たぶんこのようにして、日本列島の部族は、成立していったんでしょうね。

 

チンキズ・カンもその長男ジュチも同じような境遇で生まれた。本当の父親はわからない。女性は、自分の子供を多く産み、育てることによって、両親の部族の勢力は増す。女性は、古代は、産む機械でもあり、定住地域の守り神の存在だった。

 

チンギス・カン等のモンゴル部に属している部族をタタルと呼び、タタルは、多数の部族で構成されていたが、多数の部民を倒立する組織が、やはり権力・名誉をもち、それらを保つために血筋というものを重要視する。誰々の子孫であるというようにまずは、自分の先祖の名をとうとうと並びたて、そして自分の地位を述べる。チンギス・カンの時代は、すでに王国の時代にはいっており、主に王国崩壊された部族がチリジリとなっていた。周囲には、すでに金、宋などの大国や小国などがあり、モンゴル平原にたむろしていた部族は、家族ともいえるような小さな部族の集合体であり、部族の主が戦いで死ねば、部民は、倒された部族の奴隷となり、女性は、戦いに勝った部族の男性の子孫を産む機械だった。

 

チンギス・カンが、源義経説がありますが、果たしてどうなんでしょうね。生まれた時代が、同じ時期だからそういう話題がでたのか(・・?

 

タタルである騎馬民族は、遠祖は、バイカル湖のほとりに降り立った蒼き狼と西方の湖から東方へと向かった青白き鹿こと神の使いである女性とされている。よって、当時のタタルの女性は、色白でもあり、なかにはブルーの瞳の女性もいた。男性は、多くの女性を側に置く権利を持っていたが、女性にも順位があり、その女性の親元の権力、財力が強い、大きい程、女性の順位もあがる。よって、戦いで奪った財宝は、男性の母親に捧げる。女性等の立場の争いにより内紛が生まれる。

 

日本では、特に東海地方では、結婚式が派手であったようです。現在は昔ほどのことはないと思いますが、男性は、家を見つけ、女性は、その家にできるかぎりの家財道具をトラックにつめて嫁入りしたといいます。トラック数台という台数を競うこともあったようです。

 

出雲族の主は、騎馬民族の棟梁であったともいわれており、主に日本海を中心に活動していた部族であり、当時のタタルの部族とは、古代から交流はあったように感じられる。

 

前回までの信長の考察で、渤海国を紹介しました。中国大陸の中心が、中国平原へと変わり、日本海による商圏のメリットは、減少したけれども日本海商圏は、少なからず活動していた。それも古代から続いていた商圏として。

 

渤海国との交流により当時の日本は、予期せぬ恩恵をも受けた。遣唐使などは、日本から唐へ直接派遣させるにしても、荒れ狂う大海を渡るには、遭難したりして犠牲をだしたこともあったでしょうし、無事に唐にたどり着いたとしても、大海のせいでなかなか日本へ帰ることができない。そのような問題を渤海国との交流により解決できるようになった。

 

韓半島の国、高句麗、新羅、百済とは、古代から交流はあったが、数々の動乱の中で対立したり時には交流もあったりもしたが、百済が消滅し、高句麗が消滅し、新羅が、韓半島を統一。しかし、日本からしてみれば新羅よりは上位の国とみていたはず。そういった状況、なかなか新羅に頭を下げて唐への進路を手助けしてほしいという依頼ができにくい。その点、渤海は、日本を朝貢国として交流を望んできた。

 

現代の日本の政治の世界と同じ。自分を応援してくれる組織、国民に対しては便宜もはかるし恩恵を与えようとする。そうでない組織、国民には冷たい。

二階元幹事長、書籍代3500万円のカラクリ 自分の「ヨイショ本」を「お土産」にするサービス精神

 

自分をヨイショしてくれる人等には、それなりの返しはしてくれる。ただね、するなら自分の金でしてほしいね。税金でするのはちょっとね。

政策活動費にしても官房機密費にしても、政治に関することはどんなことでも使っていいというわけにはいかないんじゃないかね。二階さんだけではないけどね。

 

こういった問題は、なかなか現在の政治システム体制では、解決できないような気がするね。なぜなら、こういった資金の使い道は、仲間内による貸し借り。その使い道は、ほとんどが官官接待資金のような気がするね。田中真紀子さんも動画で話していたしね。

 

そういう世界が嫌な人等は、そういう道を嫌うが、現代は、殆どがそういう世界を好む人が多いような気がするね。

 

少し話がそれた。

 

今回のブログ信長の考察の記事は、少し変わった方面から、現代の日本を考察したいことから、チンギス・カンの話題をとりあげました。あまり、近現代には突っ込みたくないんですが、ここ最近の動画をみているとどうも多くがひも付きの言論者が多いせいか、未来志向への向かい方が違う方向へと向かっているような気がする。

 

そこで、鎌倉時代の元寇の時代を少し考察。結構、この部分も信長の時代の流れと関連してくる。

 

チンギス・カンの時代、主に男性は皆殺し、もしくは奴隷、女性は、産む機械だった。ただし、その分、女性は大切にもされていた。女性は、たくましい子供を育て、奪ってきた財宝を、母親に貢ぐことが役目。母親の財産が大きい程、女性間の地位も強くなる。チンギス・カンことテムジンも同様、母親に戦地の宝物を貢いでいた。テムジンは、必ず母親には相談する。そして母親は、必ず助言する。つまり、女性には、強い母親になるには、助言できるような知性と歴史、そして知性をもつ文人の人脈も必要だった。そういう人材を得るには、当時は、価値のある財宝を贈ること。その役目が、母親である女性だった。

 

テムジンは、母親の援助もあり、タタルの中で強力な援助を受け、部族の勢力を広げ、大帝国となる礎を築いた。テムジンの母親のおかげで、他の兄弟も強くなり、さらにテムジンの子供も活躍しだした。テムジンの妻もまた、婚姻したころは、ある有力部族の酋長の娘であり、その娘が親から預かった形見を、テムジンが危機に陥った時に差し出し、それを有力部族の酋長であるカンに贈り物として差し出し、テムジンの家族が救われた。贈り物の価値と同様な返しがそれである。

 

タタル族の戦いは、激しい。当然、男性は皆殺しとなり、敵の財宝はすべて奪う。敵の女性は、すべて勝者側の男性の物となる。さらに敵側の酋長の妻や娘は、勝者側の酋長の側目となるか、その縁者に譲られる。部族内の数が多くなり、テムジンが侵入する領土は、ほぼ焼野原のような状況。味方になればそれなりの恩恵を与え、敵になればそれなりの、いやそれ以上の損害を与える。テムジンが死に、その次男オゴデイ、そしてフビライの元へと時代は流れる。

 

渤海国は消滅し、多くの民が、高麗へと流民する。たぶん日本にも流れたでしょうね。ここで渤海国消滅の話題は、はずします。結構この消滅も不明なんですが、現地点では、あまり関係がない。

テムジンが形成したタタル部族(モンゴル)は、周辺国に侵入し、領土を広げ、世界歴史にある意味大きな貢献をしたんですが、この日本に関わるのが、韓半島の高麗の時代。

 

金、契丹が、モンゴルの侵入により滅び、南宋と高麗にも侵入されていた。高麗も約30年、モンゴルの侵入に対して抵抗していたが、モンゴルの戦いは、すざましく男性はほぼ皆殺しとなり、かつ韓半島の土地も荒らされた。庶民は、農地を手放し茂みに逃げ、モンゴル兵が一人でもいると周囲は高麗人は、一人も見当たらないくらいに隠れるほどだったという。

 

高麗王族やその配下武士は、当時の都開京(現在の開城市)から江華島に逃げ徹底抗戦をした。モンゴル軍は、大陸での戦争の仕方は手慣れていたが、海を挟んでの戦争は、不慣れのため。江華島に逃げた高麗王族を倒すことはできなかった。その代わり、韓半島にある高麗の国民は、徹底的に跋扈された。それに見かねた高麗王は、モンゴルに対して入朝した。

 

すでに韓半島は、男性の多くは殺されており、残っているのは女性と子供ばかりの状態だったようです。当然、日本も韓半島の情勢も耳に入っており、鎌倉幕府北条政権もその対策を話し合っていたはず。ある歴史研究家は、元が南宋との戦いのために船舶技術を必要としたために高麗を攻めたという理由付けを言う人もいましたが、それだけではないような気がするね。

というのは、田中角栄語録の言葉、人間社会は、妬みと損得。

 

王国というのは、妬みの世界が激しい。その妬みの犠牲となり、王国を去った者もいる。高麗王は、フビライがいる元朝に低頭に向かいあわなければならない。そしてフビライの側で、高麗側の通訳として元高麗人が使われ、その高麗人に対して、高麗の王族がひざまづく。同族同士でいがみあわせる。

 

高麗王が、元朝に入朝し、フビライはという虎は、猛虎であったけれども小兎に近づくようにやさしい眼で接したという。しかし、元高句麗人を使って次々と高麗という国をフビライの領土にしようとするたくらみが、表に現れ出す。

 

日本の鎌倉幕府も同様、元朝フビライの動きを調査していた。当時の日本の権力の中枢が、京都でなく関東であったことがよかった。蒙古と高麗との戦いの中で、高麗は、江華島に逃げたことで、王族は生き残った。海を隔てての戦いというのは、蒙古軍にとっては不利だった。よって、日本側は、対馬の役人において高麗と元との交渉は、遮断させていた。使者ときて訪れても対馬で追い返していた。

 

完全な属国とするには、無力にすることと一層貧困に陥れること。これこそが、元朝フビライが考えていたこと。それを同族である高麗人にやらせた。

 

高麗が元寇のために日本列島に向かう前に、韓半島は、内乱の連続だった。

林衍の廃立事件

崔坦の叛

西海北海の内附

モングト軍の進駐

トレンカ軍の入国

三別沙の叛

遷都

など。

 

高麗は、モンゴル軍をなんとか高麗領内に入らないようにすること、属国であるが、高麗の自治権は認めてほしかった。属国である以上は、どんなに大きな耐え難い苦しみにあおうが、それに耐えよう、国家として耐えようとしていた時期。モンゴル帝国の皇女を妃に向かい入れるのも高麗側から言い出したことである。

 

何故元は、高麗に日本を攻めさせたのか。高麗は、日本側がモンゴル帝国になびくことはないことは知っていた。そして高麗に日本を攻めるようなアイデアをだした人物がいる。その人物が趙イ。(イの漢字が変換できない文字)

 

たぶん中国大陸の一部の民族は、日本の国を秦の国とみていたのかもしれませんね。趙と秦とは、春秋時代の兄弟国でもあり、怨念の対立国。

 

北斗の拳のケンシロウ兄弟も母親違いの兄弟間の争い。人類の初めの罪も兄弟間の争い。こういう争いが繰り返されてきた。

 

そして元朝の属国としてなびく高麗王朝にもっとも反抗していたのが、全羅道や慶州道などの韓半島南部の高麗人。

 

その時代から同族によって同族の国を貶める方法が存在していた。高麗王族は、元朝という背後を持った高麗人にひざまつき、忠実な元朝の部下として元朝との友好を維持した。元朝の勢力体制の状況によって高麗王朝も揺らぎ、元朝の綻びによって高麗内部は動揺する。

「新しい戦前」にさせないために ―平和を創る道の探求―講演:孫崎享氏(元外務省国際情報局長)

 

元朝を倒したのも、信長の背後の民族の可能性が高い。

 

商業というのは、情報が命である。その情報が欲しいために一般の庶民や組織は、政治家に近寄り、庶民から集めた税金をあてにした取引をする。政治家にもよるが、国王やそれに巣くう貴族は、庶民から集めた税金は、自分のお金であるとしている。現代の政治家も官も同様。自分が自由にできるお金。

 

日本列島は、瀛州と古代呼ばれていた。同じ土地名をもつのが山東半島や河北省滄州市西部の趙都軍城あたり。周の時代、この地帯に根付いた部民が、日本列島と同族だった気がするね。もともと日本列島は、古代の燕の国の一つだったという説もある。

 

日本の皇室は、高麗のこういう歴史を知っていたのか知らなかったのかわかりませんが、昭和の大戦により高麗と同じ道を選んだ。

宮内庁:玉音放送の原盤を初公表 音声も公開

 

信長にまつわる女性といったら濃姫くらいしか見当たらないね。現在は、本当に濃姫と婚姻したかどうかまで疑われてる。自分の考察としては、婚姻していると思うね。そうでなきゃ、美濃を穏便に支配できないもんね。

 

モンゴル帝国は、内政干渉を他国にしだしたことが、高麗が反発した理由でもある。さらに駐留軍までもが存在し、高麗の民族に反発心がうまれていた。当然、高麗の反乱軍は、日本に助けを求めていたはずです。鎌倉時代は、韓半島の動きと同時に鎌倉幕府の動きを見ることが重要ですね。しかし、この反乱軍の動きも、同族である元朝を背景とした高麗人にしてやられる。

 

韓半島というのは、騎馬民族、遊牧民族にとって逃げ場の土地だった。契丹、金、渤海などの人民の多くが、韓半島や日本列島へと逃げた。大陸の情勢にもっとも敏感になるのが、韓半島や日本列島の支配者。しかし、モンゴル帝国の出現によってアジアの国は、大きくアジアの思考変化がおきた。王族、貴族は、民から搾取中心となり国富という事を考えなくなった。流民が増えたことによりそれだけ同族意識というものがなくなった。その点、日本は、朝廷政治から武家政治へと変わったことがよかったのかもしれない。平家政権ができたことにより、大陸とは対照的な政治体制へと変わった。朝廷と武家政治という二元政治へと。

信長、秀吉、家康といった流れの中で、公家などがしてきた役目を武士と百姓などが混じり江戸幕府を形成してきた。明治維新の時に、薩長幕府が、徳川幕府の役人がしてきたことがきめ細かく庶民にいたるまで業務をしてきたことにきづいてびっくりしていたという話もある。

 

少し、この先も大陸の話が続くかもしれません。日本が武士政権ができたことにより、より活発に大陸との民族同志の交流に花開いたといってもいいでしょう。それは、渤海国とのつながりによってできるようになった。唐への貢ぎ物にしても渤海国経由で送ることができ、唐へ派遣使として滞在していた優秀な若者も、渤海経由で日本列島へ帰る道もできた。

 

朝廷は、渤海経由で日本の巫女などの女性を数十人派遣したという話もある。

 

ここまでで。

 

プーチンとタッカーカルソンのインタビュー動画が、すでに数億回再生されたそうです。すごいね。それだけ世界の注目をあびたということですね。このブログは、ネットなどで公開している以外の情報は扱いません。そこでその中で自分も以前聞いた話を紹介します。

 

昭和の大戦の折、昭和天皇などの皇室は、蒋介石との対立に非常に警戒していた。皇室と軍部との考え方の違いがたぶんあったんでしょうね。そこである人物を中国大陸に派遣して、蒋介石に対して日本との軍部との戦いを中止もしくはやめるよう説得させるべく派遣した。蒋介石は、まずは日本の軍部に対して中国大陸から出ていくように告げた。蒋介石は、日本の軍人を全く信用していなかったらしい。派遣された人物は、一様軍人の地位を得ていたが、武官ではない。結局物別れとなったが、蒋介石との会談で、一つの事件がおきた。蒋介石は、日本の軍部は、大陸から出ていけの一点張りだったが、最後に蒋介石の背後から、大声が聞こえた。

「ばかやろう」日本語で。

蒋介石は、その女性の声を聞いて押し黙ってしまった。

 

孫文といえば、日本にもきており、日本の重臣も孫文に対して協力をおしみなかったといわれている。しかし、孫文は、特に韃靼人を嫌っていた。当然、日本人には、韃靼人の地も混じっている。

 

そして、プーチン大統領について。自分がプーチン大統領についてそれほど知識はない。会ったこともないし、当然か。自分がちょうど右手を怪我をしていたとき、ネットなどでチャットしていた時かな、怪我が治らないうちにはなにもできないことを話し合っていた時期。その時に、プーチン大統領の話が出たね。つまり、オバマ大統領大統領の前の大領領の時期からプーチンとある組織とは対立していた。激しくね。世界の情報では見えてこないけどね。

 

自分は怪我のことで頭が一杯だったので、あまり関心もせず聞き流していましたが、世界情勢の動きというのは、その場の事件で背景をみるのではなく、長い歴史背景があって対立しているようです。といって人生80年、人間一代の人生は平均それくらいの期間ですが、国家の対立というのは、古代から続く怨念というものがついて回るんですかね。

 

出雲大国主命の子孫が、口伝えで歴史を伝えていたように、我々庶民にはうかがいしれない深い怨念というのが人間社会にはあるようです。

 

よって動画などで話している識者が、国際事件で話していることはすべて短い時間でのうわのり。絶対本当のことはでてこないし、本当の権力者というのは表にでてこない。

 

米国は、戦略国家。バイデン対トランプで大統領選を争っているように見えても、すでに奥深い所では、次の大統領は決まっているかもしれない。その兆候みえているけどね。上の二人どちらでもないこともありえる。年齢どちらもとりすぎているからね。短期間位はどちらかするかもしれないけど。その点日本は、古代の高麗と同じ。属国。米国の動向に作用される。

 

日本の識者は、中国を一つの国としてみていて発言している人が多い。日本人も同じですが、特に中国人は、風土的にも風土的性質の違いをみて対応していないと見誤る。つまり、地方によってまったく中国人の見方が変わる。よって、彼らの郷土を知ることでその人物のある程度の性質を知って話をもとめないと中国人とは付き合うことは難しいように見える。同じ中国人でも、郷土が違うとまったく別者という態度をするからね。

 

これもある服飾メーカーの幹部に誘われた食事会で、大分昔の話ですが、中国人の労働者を正社員として雇いはじめたばかりのときだったので、当時そこそこ華僑とはつながりがあったので相談したんだと思うんですが、後日、自分の言ったことが当たっていたので感謝されたことがあった。最近の中国人の若者はわかりませんが。

 

youtubeの動画の中で、活躍している女性を紹介。動画では慎重になって発言しているけど、動画以外の講演会は、結構厳しいこと話しているようなきがするね。年齢わかんないけど。

 

安倍派崩壊とTSMCのペテン

 

 

ではごきげんさんで。