こんにちは、元気ですか(・・?

 

日本列島は、倭国、大和朝廷などという大きな一つの国家をなしていた以前は、どのような列島だったんでしょうね。古代の歴史を研究していると、この列島で生活しているほとんどの人民には、姓名の姓などはなく、さらに多くの小部族、酋長部族の集まりの列島だったんでしょうね。

 

よって文字というものは、記号のようなもので印で意思疎通をはかり、さらには、殆どの人民は、小さな領域の範囲内で生活をし、領外の外へでることはなく、川向うは、異境、別世界というようにほとんどの人民は、交流はなかったように思えます。姓名の姓がないというのは、女王国家の特色でもある。

 

日本語はたった100年前に作られた人工的な言語だった!

 

 

口語というのは、日常的に普段の生活の中での会話で用いられている言葉使い。書記言語は、文語という。日本列島では、江戸時代、方言と呼ぶ地域差による口語の違い、さらには、社会階層による言語の違いなどが存在しており、明治にはいり、明治政府が、この日本列島を一つの口語として法を定め、それを義務教育という形で人民に教育させて、今日、日本全国どこに旅をしても、或いは、手紙やメール、このブログなどで意思疎通ができるようにした。口語も少しづつですが変わってきているが。

 

現代の若者で絵文字言葉で意思疎通ができるのも、この日本列島の庶民の多くが、絵文字を主体とした生活の記憶が遺伝子レベルで残っているからかもしれない。

 

多くのボートピープルがこの日本列島にやってきて、生活をし、大陸の勢力が、領土拡張で動くことにより、この日本列島も彼らに支配されてきた。その代表的な印が、前方後円墳である。

 

我々が教育された歴史教育は、明治から作られたものであり、藤原不比等から作られた歴史、そして明治から作られた歴史を本当の歴史だと教育されてきた。しかし、その歴史も徐々にくずれかけてきている。

 

日本列島には、多くの諸国家群が成立したことは中国の歴史書で書かれていることなので、この状況であったことは当然として理解していくと、どうしても人間社会、争い事がおきる。すると、その争いに対して弁が立ち、是々非々をはっきりさせる者が必要となる。

 

鹿島建設の代表に昔、ある女性がいました。鹿島建設が手掛ける公共事業は、いくらおいしい仕事でもその人の裁定がないと着手できなかった。現代は違うと思いますが。役員が、こういう仕事が国から依頼されていますが、どうでしょうかとその女性にお伺いしなければならない。昭和の戦後から末期の話です。

その女性が、その仕事をしていいかどうかを儀式によってその女性が心酔している神に尋ねる。その神がだめだという判定がでると、いかに国から依頼された仕事でも断らなければならない。

 

各部族ごとにそのような女性が、古代日本にはいたんでしょうね。その女性の力によって部族は、女性の呪術を頼りに呪術の力の強い女性へと向かい、女性支配をひろげていったのが日本。

 

大陸から押し寄せてくる波、男性社会による力による支配に女王部族は、支配されていくようになる。弁が立ち、是々非々をはっきりさせる選ばれた者は、その男王に貢物をし、部民の命乞いをする。つまり部族の女王を男王に差し出す。

当然、その他に耕作物による現代でいう税金を毎年払い、さらには、戦で利用する兵を差し出す。

 

その男王と女王との間で生まれた子供を、部族の間にひきとり、部族の地位を保つために教育し育てる。次から次へと強い国が現れ、日本を支配する男王もかわる。もともと女王国であった部族は、次から次へと男王がかわるたびに女性をささげ、部族の命乞いをして生きていく。

 

のちに、各部族の女王と男王との間にできた子供たちによる相続争いがはじまる。男王の中で、この日本列島を一つにまとめたのが神武天皇だということになっているが、所詮作られた歴史。日本の歴史資料で雄略天皇にその足跡がみえる。その雄略天皇に後世の織田信長、徳川家康の足跡がつながる。

 

この日本列島の諸部族は、いかにして強い男王に気に入られる女性を教育させることから、強い者に対して対抗する手段の道を開いた。しかし、いかに強い男王に抱き着いても、大陸国家の競争社会から守られない。つまり進化のスピードが違う。政治の仕組み、文化、文明、どれをとってもこの日本列島にいるかぎり劣る。

 

部族同志の争いごとは、部族の中で弁が立つものにまかせればよかったが、部族の中には、強力な武器を持つようになり、話合で解決できない事態まで行く場合がある。そのようなことを解決する手段として役職をつけ、天下の裁定とするようにした。

 

日本の律令制度というのは、うまく日本列島に住んでいる庶民の生活を中心となして古代から積立式に形成されてきたものである。部族同志の争い解決のために前方後円墳という文明・文化を持った酋長が、この日本列島の王として君臨し人民の生活を見ていた。そこから、男王と男王との争いが始まった。

 

男王に各部族の女王との間に、皇太子権が生まれるから、その争いもでてくる。しかし、女王国だった日本列島は、部民を強くする手段を知らない。その点、大陸国家は、国境というのが地つながりだから、たえず相手との力の均衡を考えながら競争しなければならなかった。負ければ民族皆殺しとなるからね。

 

女王国である日本列島は、一様男王を支配者として祭り上げているけれども、大陸と同様の政治、文化、文明を手に入れることが必要だと考え、その手段を模索した。その一つの手段が、商い。行商。

 

現代の日本は、ネットなどで情報があふれているけれども、大手マスコミ、媒体メデイアの情報は、全て管理され庶民にとっては、情報鎖国社会。一部の支配者階級は違うと思いますが。その時代も、部族の中の支配者は、情報というものを重要視しており、各地に若者を派遣したりしながら外地の情報を得る手段を模索していた。中には、そいうことに無関心な部族もいたかもしれないが、ボートピープルとして逃れた部族の長は、そのことを重要視していた部族もあった。

 

古代にufoによる空飛ぶ円盤があったかどうかわかりませんが、ここではそのことを考えないようにして、まず情報を得るには、安全な通行できる道路が必要です。つまり、日本列島は、日本を東から西へと縦断できる道路網がすでに古代から形成された。さらに海流を利用して世界へと向かう海賊船なども当時から存在していたでしょうね。

女王社会からしてみれば、男王などは消費財。

 

犠牲という言葉。

 

争い事でも訴えるということはもともと知らない部族。部族みんなで集まり犠牲を差し出す或いは殺して年長でもあり、信頼を得た長による話し合いをする。その話合いも根気よく長く話合い、和解を試みようとする。そしてその話合いで敗者となれば、勝者などに罰として家畜などを与える。取引ですね。

 

その仲直りの儀式が、酒血という血を注いだ酒を酌み交わし、誓をたてる。血をすすって盟約を結ぶ。盟約を反故すれば罰を与えられる。話合いが長く続いても壊れる場合がある。その時には、さらに強い王を仲裁にたてる場合もある。それでも壊れると、部族同志の復讐の戦いになる。

 

日本列島の住民の場合、強力な海流の海に囲まれていたせいか、この復讐の怖さを忘れてしまった。江戸末期までこの復讐の許可を事件によっては江戸幕府は武士に認めていた。しかし、明治以降、復讐による殺人は、悪習となり禁止された。

 

男王の侵入により、母系から父系にかわる部族も現れる。父系の武族には、姓が与えられる、若しくは自ら名乗り、領土(村)を築く者もあらわれる。仲裁者も職ごとに区分けされ選ばれるようになるが、封建社会のような行政的な権威は、村という小さな単位ではなかった。

 

日本海から韓半島羅津までの航路、そして西方ヨーロッパまでつながるステップ草原に至る流通経路の開拓、さらには、唐の都長安から西へと向かうシルクロードなども東の果てから西の果てへの情報の伝達或いは商人の流通路としてできあがった。長安からは、主に川を伝っての流通路が主体となる。

 

日本列島は、東は、遠く離れたアメリカ大陸しかない。よって日本列島より東に対する脅威というのは、津波だけ。主に西へ西へと、文化、文明を追い続けた。日本海を渡って大陸へ向かい、そこで大陸からの情報を女王国である日本は受け取り、寒冷化により大陸北部にいた部族が、南下し、呂斉を立てた。呂斉は、韓半島南部を中継地として日本列島と交流を続けた。日本海航路の必要がなくなり、北九州と韓半島南部、中国本土との交流が形成された。

 

日本列島は、主に中国大陸の政治システム・文明・文化のいいとこどりをしてきた。主に中国大陸は、城壁の中が一つの生活集合体の領地。そこでいろいろな政治実験をしてきた。いわゆる実験地の塊。しかし、中国大陸の覇権争い、さらには、西方から中国大陸への侵入などにより、中国大陸の動乱の影響で、日本列島(倭国)は、直接的つながりを遮断したりしながら、いかにも中国大陸の動乱とは本国は関係ないということで独立を保っていた。外国の内政に口をはさまずということですね。

 

しかし、日本列島は、韓半島には内政に口をはさまさずにおれなかった。日本列島の支配体制は、斉の内紛の影響もあったかもしれないが、百済より、高句麗・新羅よりの二つの支配体制がわかれ、中国本土とのつながりによっていわゆる派閥争いが生じていた。さらに複雑なのが、高句麗と新羅とも対立しだし、その当時の日本(倭国)も韓半島に兵を送り込まなければならない状況まで至っていた。

 

中国の漢支配時代、漢に冊封されることによって大陸の文化・文明を手に入れてきたが、漢の力が衰え、その影響により韓半島の国へ移民が流入しだす。それにより韓半島も動乱へと向かいだす。もともと韓半島というのは、豊かな国ではない。漢の時代、漢の商人は、韓半島を流通圏として利権化しようとしていたが、あまりにも貧しい土地であったため、ほとんど手をひこうとしていた。儲からない土地にはいかないのが商人。その点、日本列島は、韓半島とは違っていたんでしょうね。韓半島南部を中継地として航路で日本列島と交易した方が利権の臭いがあると築いていた。

 

中国本土は、秦の時代から優秀な人材をいかに政府の中に取り入れるか、つまり優秀な人材によって国が穏便にまとまる政治ができるか、そして兵法という学問が形成されていたように、人材能力により国力が豊かになるということを知り、その育成、発掘に力を注いだ。

 

その点、日本列島は、女王国の国。優秀な男王をとりいれ、その男王に支配を任せるという支配体制。漢の支配体制をとりいれ、さらには、漢などの大国の優秀な人材を高額な待遇で迎い入れる方法をずっと採用していた。

 

百済に韓半島の日本領土ともいわれる任那を譲ったかわりに、百済から五行博士を譲り受けたのも、その当時、領土と同様の価値を人材に求めていたことからわかるね。それぐらい人材というのは、得難い物であるし、教育というのは重要なんですね。国の死滅を決めるのも人材。

 

少し現代の日本の動きをみてみますか。

youtube動画などでいろいろな人が、2025年問題を語っていますね。さらに政治家の世界もぐずぐずしていて一向にいい方向へと向かう気配がない。といってスピリチュアル系な動画にしても、呪術国家的な性質があるせいか現実にあまり沿うていないように感じる。

といいつつ、自分もそれほど地球の歴史に詳しくないのでえらそうなことはいえませんがね。

今から10年以上前に右手を怪我して、少々頭にきたことがあったので、いろいろ動いたことがありました。丁度ネットなどで海外とつながる機会が増えた時期かな。個人でもね。貿易の業務をしていた頃は、ほとんど海外との商談は、fax。たまに夜遅くからtelexなどでつながりましたが、そのおかげでタイピングなどは、怪我がなければ通常の人より早い。その頃確か鉛筆の先にテープを厚く貼りつけたり、消しゴムを突っ込んでタイピングできるような幅に切ったりしたりしながら海外の人間とチャットしていた。それまでは、どうしても自分の住んでいる場所、日本列島を中心に考えていた。貿易の仕事をしていた頃も、こちらからいかなくてもバイヤーがわざわざ日本に来ていた時代。中国にしても米国にしても欧州にしてもね。こちらから行く必要がなかった。通信手段と会社という信用さえあれば、机の上でできた時代。

誰と交流していたかということはここでは記事にしませんが、その頃から日本列島という見方が、世界では変わってきていると気付きましたね。つまり日本は、海に囲まれていないと。となると、中国大陸、欧州、ロシア、そしてアメリカ大陸の世界の賢人は、この日本をどう考えているんでしょうかね。中国大陸は、歴史をみればわかるように、大国となり大国の政情不安で分裂し、そして大国となるというように繰り返した時代を乗り越え、現代の共産党政権で大国となった。アメリカは、欧州各国の植民地時代を得て、連合国として大国となった。中華人民共和国(中国)は、今、経済不安で分裂するとある筋ではいわれるほど内政不安がおきているようですし、米国は、トランプ対バイデンということで真っ二つにわかれるような状況とも発せられている。欧州は、EU共同体として一つにまとまるようになったが、それでもeu崩壊するかもとも発せられている。ロシアは、ベルリンの壁事件から分割されたけれども、再度連盟復興のような動きに変わってきている。アラブ地域もまとまるように動いてきているしね。内紛とかあるけど。

 

分裂するかどうかわかりませんが、分裂すると当然国力は弱まりますね。どんな国も。世界が競争社会に入ってきているので分裂は、国力を下げることにもなるのでそんな道はあえて行かないように思いますが、分裂がなかった場合、この日本列島のポジションは、世界の大国の競争の中でどのような役割に見えるんでしょうかね。韓半島、日本の中でその点を理解しているのが北朝鮮だけのような気がしますね。

 

ロシアと中国は、新たなるシルクロードを開拓しようとしていますし、イスラエルも同様、自分たちに有利なシルクロードを開拓しようとしているし、アメリカは、どちらかというと、どっちでもいいけど米国利益になればいいということで利権構造で対立しているようにも見えますね。

 

インドネシアに日本の天皇家が招待されたのも、東アジアを含む東南アジアとして大陸国家のこの動きに対してどのように対策していくべきか話し合っていたんでしょうかね。日本の現政治家では、もはや太刀打ちできないということで。

インドネシアという国は、結構日本とのつながりが深いようです。自分が昔あった華僑の重臣も中国人ではなかったね。当時かなりの年齢のようにみえたから、現代生存しているか確かめていないけどね。確かめても現状体調悪いので何もこちらからできないけどね。

 

そのうち我々庶民にも大国が考える日本列島の役割が、わかるかもしれませんね。官僚、経団連、そして政治家にしてもすでに外部の勢力に取り込まれているからね。それは、以前ネットで話し合っていたときにある筋から知らされていた。

ただね、この日本列島にいるこのブログでいう犬の民族。これは恐ろしい民族だと、歴史を研究しているとわかるね。視野が狭いようで広い部族ともいえる。

 

この恐ろしさは、この信長のブログで紹介します。ということは、信長を支持した部族というのは、本当に恐ろしい部族であり、世界でも恐怖心をいだいたでしょうね。

 

そこで前回のブログ記事、能登の歴史から始まります。

 

能登は、能登国ともなり、大和朝廷にとっては、対高句麗・新羅外交、貿易として重要な国であった。新羅という国は、韓半島の中で隋・唐などの最大消費地である大国の商圏に入り込むには、どうしても百済、高句麗を間に挟まなければなりません。百済とは中が悪い。どうしても高句麗と友好関係を結ばなければならない。日本列島が隋、唐などから文明・文化をとりいれるにしても航路の安全性から韓半島にたよらなければならない。当初任那という日本側の国があったけれども、五経博士を手に入れるために領土は百済に譲られ、高句麗と隋・唐との対立により、百済経由で最大消費国隋・唐とつながりをもたねばならなかった。

 

日本という倭国が、唐に敗戦したのは、唐の第三代皇帝、高宗の時代。690年、則天武后が即位し武周をたてる。この時期に契丹が現在の遼寧省あたりに強制移住させられたことによる混乱が生じ、栗末靺鞨人は、高句麗の残党とともに高句麗の故地に進出し、震国をたてた。712年唐の第9代玄宗が即位すると、玄宗は、貞観の治を手本とした治世を目指したことが影響かもしれませんが、唐へ入朝し、大祚栄が、渤海郡王として冊封され、渤海郡も中国の領土とし爵位を与えられた。

 

712年の日本の天皇は、元明天皇。諱は、阿閇。

阿閇氏

元明天皇の都は、平城京。平城京の造営を行い、唐の長安に似せた都を建築した。さらに当時の武蔵国秩父から精錬を必要としない自然銅である和銅が献上され、唐の硬貨である開元通宝を手本にした和同開珎という貨幣を鋳造した。この貨幣は、平城京造営の労働力に対する支払や物資調達のための交換手段として使われたようです。

 

蓄銭叙位令

 

 

庶民に銭貨の価値を認識させるために、一定量の銭を蓄えるとそれと引き換えに位階がもらえるという法律です。海外の政治システムを取り入れようとこの時代はしていたんですね。この貨幣の鋳造は、その後52年間続いた。秩父(犬)に関係した女性天皇だったかもしれませんね。

和風諡号は、日本根子天津御代豊国成姫天皇。

 

ちなみに文武天皇の和風諡号は、倭根子豊祖父天皇または、天之眞宗豊祖父天皇。倭と日本の違いで出自の違いを表しているのかもしれませんね。

 

文部天皇の時代、唐との国交正常化を目指して日本の国号を倭から日本へと変更した。これは、遣唐使である栗田真人等が、唐から倭と日本は違う国なのだから、読みはやまとでも倭から日本へと変更するよう通告をうけたからとされる。唐の記録書には、旧唐書には、倭国伝と日本伝とが並立している。諡号の違いは、その影響かもしれないね。

 

文武天皇が若死し、皇太子となる首皇子が数え7歳という幼かったことによって生母である元明天皇が皇位についた。

まだ藤原不比等、犬養三千代夫婦は、生存しており、藤原系へと天皇の血筋をつなげたかったようです。

 

ちょっと脇にそれた。

 

渤海王二代武芸は、独立色を明確にし、唐と対立してして山東半島の登州を占領した。そして、唐・新羅・黒水靺鞨と対抗するために日本に使者を送った。唐では、則天武后が崩御し、武周が消滅、唐が復活した時代。唐は、9代玄宗の時代。この時代、楊貴妃が登場する。楊貴妃は、阿倍仲麻呂とともに日本に亡命したとの伝説が存在し、長門市に楊貴妃の墓があると伝わっている。

 

727年、渤海は国書と方物(贈り物)をたずさえた渤海使高斉徳が来日。その後、渤海が滅亡するまで交易は続く。渤海もまた日本と同じく中国文化を受容する中国周辺国であり、唐の官制を模した組織を作り上げ、日本と同じく遣唐使を派遣し、同時に留学生も送り、唐の学問を学ばせている。

 

当初は、対立する黒水靺鞨・新羅を牽制することをねらったものであったが、当時は、新羅とも使者を送りあいしていた関係、牽制のような用をなしえなかった。ただし、貿易だけは盛んになった。渤海国から贈られる商品は、トラ・ヒグマ・ヒョウの毛皮、朝鮮ニンジン、蜜などがおくられ、日本に来日した渤海使には、特別に鹿二頭が準備され、鹿肉を食事として準備されていた。渤海は、狩猟・採集を基盤とした社会であったことがわかる。

 

能登は、渤海との交易と中継地点として当時の大和朝廷では、重要通商拠点となっていた。新羅との使者の交流も779年には、新羅の使者もくることはなくなり、遣唐使にしても宇多天皇の時代にやめている。中国周辺国として日本と渤海は、平安時代を通して最も安定した外交をおこなっていた。

 

渤海国は、非常によく唐の文化・教育を学んできていたようで、当初高句麗の残党が建国した国として見下げた態度をしていた日本の文官も渤海使の教養の高さを知り、次第に渤海使を尊敬のまなざしでみるようになったという。

 

古代日本は、百済から五経博士という人材を得るために韓半島の任那を渡したくらいですから、優秀な人材をもともと手に入れたがる土壌であった。その後、隋・唐から優秀な人材を引き抜こうとしたが、唐もその事に警戒し、なかなか人材の流出に抵抗していた。以前のブログで説明しましたが、奈良時代に仏教を日本に広めたと言われる鑑真にしても、唐役人の妨げで日本に入国をゆるされなかった。日本についたときは、すでに視力をなくしていた。それでも日本は、鑑真を日本につれていきたかったくらい海外の優秀な人材を入手したかった。

 

天武天皇から続く天皇制での律令制度を整えるにあたって当時も唐の優秀な人材を得たがっていたでしょうね。そしてその機会を得たのが渤海国との通商。

 

渤海使の教養の高さに感服した平安公家は、唐風化政策を推し進めた。もっともその政策をすすめようとしたのが、嵯峨天皇の時代から。

 

今回はここまで。

 

信長が若い頃、トラとかヒョウの毛皮を着ていたという逸話があるね。ここらから信長の素性もそちらに関係があるのかね。日本というのは、本来は、優秀な人材を海外から迎い入れ、優遇し、それを民の文化の高さへと結びつける国だった。本来は、民を教育させるためだった。しかし、いつからかそれが特定階級だけしかという既得権益社会へとむかった。

 

それを信長はぶちやぶった。庶民にいろんな文化を解放した。そして江戸文化が芽生えた。不完全であったけれども。そして再度庶民に文化を解放したのが、昭和天皇。昭和の敗戦により華族が廃止され、金さえ払えば皇族や公家などの貴族と同じ食事、待遇を得られるようになった。ただし、所詮死ぬのは畳一枚の上。

 

仏教をとりいれたのは、聖徳太子だといわれている。実際はどうかわかりませんが、法隆寺が学問所、現代の教育機関として建てられた。何故、仏教を選んだんでしょうか。

 

仏教の教えは、人、いわゆる生物には、最終的に死を迎えるという教えがある。いわゆる始皇帝が捜す不死の薬など肉体世界ではありえないということです。おぎゃと生まれた人間の赤ちゃんから時間がたつにつれて人間、生物が生きていくうえで成長そして劣化していく。年齢とともに成長していったものが、次第に衰えていく。一秒でも時間が立てば、目に見えないかもしれないが、人間の体は変化している。つまり、変化を知ることが、仏教の教えの一つである。人間は、殺し合いしなくてもいずれ人間という生物体である以上、いずれ死ぬものである。寿命というものがある。動物も昆虫も食物も同じ。わざと殺さなくてもいい。変化を恐れるから道がはずれる。

 

日本民族は、変化を嫌う民族であるといわれる。公には仏教国家であるにもかかわらず。年功序列で一生一つの利権、組織で面倒をみてもらえるという思考そのものが変化を知らないし、それを妨げている。日本という国は、明治の歴史教育から、日本は、国替えがないんだ、神武以前から一つの王朝がずっと続いていたと信じるように教育されてきた。現実は、見えないように隠されただけで、この日本は、何回も国は壊されている。

 

歴史を知らないことは恐ろしいことである。トヨタ自動車もなぜ急にトラブルがおきているのかたぶんわからないでしょうね。10数年前から、豊田やY社などは、役目をおえているねとはなしあっていた。しかし、変化を認めない支配者組織によって補助金で維持されていたに過ぎない。原子力発電も同様。すでに中国は、核エネルギーについて次の世代へと進歩開発している。しかし廃炉となるとまだかもしれない。日本は、いまだに従来の設備システムで原子力発電を続けようとしている。海へ貯水を流すのも、ある意味でいえば従来の設備で原子力発電所を稼働しようとする変化をおそれる者の考え。廃炉方式を考えれば、次の変化と進歩も見えてくる。他国は、日本の廃炉の仕方を観察している。廃炉を回避しては変化は訪れないということ。

 

 

麻生元総理大臣にしても、本当に何が起こっているのかたぶんわかっていないでしょうね。うすうすわかっているけれども自分はまだまだ若いと思っている。

そして、既得権益の塊の官僚と経団連の重臣。広島と長崎で何が起きたか調べてみることかな。組織が強くなりすぎる反動でおきることを。

 

日本の怖さをしらなすぎる。世界は、日本の怖さを知っている。それは一部の民族の怖さです。その血が流れているのが我々日本人。外見で恐ろしい風貌ではなく、目があっただけで眼つけで威嚇しようと向かおうとする強さではなく、そんなものは持たないし、必要もない強さ、恐ろしさ。この恐ろしさを具体的に動画でアップしてくれているのが、内藤晴輔さんの動画。信じるかどうかは別として。といって、彼もたぶん動画で話しているけれども、怖さ、恐怖という点でまだ不明瞭。

 

内藤晴輔さんの動画は、詐欺師とかネットでいわれているけれども、多くの人がみてほしいね。表の俳優も詐欺師だし、裏で動く忍者もまた詐欺師。といって、詐欺師には詐欺師なりの役目があって詐欺師になっている。庶民も同じ。莫大な利益をもたらしていても、黙っているのが詐欺師。不景気、不景気といいながら、黙って儲けている人も詐欺師といえば詐欺師。

 

何故能登半島地震後、北朝鮮が韓国方面にミサイルをぶちこんだか。内藤晴輔さんの動画でヒントだしているよね。我々庶民の財布や預金口座には、お金がないけれども、世界には、お金があふれている。日本に来る外国人は、最も裕福な人たち。億万長者、そんなもの金持ちじゃないよ。今や日本に来ている海外富豪層は、資産兆円を超えている富豪者がすんできている。政治家のパーテイ資金の出所と何故官僚が、売国勢力になるかわかるよね。強い方につけの世界。日本は、正しいものつけの世界ではなくなっている。ただし、最終的には、正義が勝つ。

 

何故自衛隊は、能登半島地震の初動が遅れたか、何故、海岸からの援助をなかなかしなかったか。答えは、内藤さんの動画にあるようなきがするね。

 

自分の世界の味方が正しいとすると、現状の動きを作り出しているのが、隠れた日本人勢力の動き。

表にでてきているのは、ほとんど詐欺師とみた方がいい。あやつられた詐欺師。動画などもほとんどの著名人は、紐付き。

 

おのおのが、他人のあらさがし、告げ口をする世界でなく、各自、自分自身、表象がどうであれ、正義が最終的に勝利することが鉄則と信じ、自分自身まっとうなことをしているという自覚をもち、まっとうでなかったらなるべくやらないという信念を持ち続けることだと思いますが、そんなことしたら、家族の生活できなくなる、現在の待遇維持できなくなるという思いがわく。しかし、組織はつぶれてもいいが日本がつぶれては困るよね。日本がつぶれてもいいけれども他の国で生きていけばいいと考える人もいるが、国をつぶされた民族は、海外へ移住してどうなるか現在よくわかるじゃんてね。

 

この世は、表象がどうであれ、最後は正義が勝つ。正義がないただ自己都合だけの行いは、最終的にはつぶれると考えた方がいいね。

 

では、気分はごきげんさんで。