こんにちは、元気ですか(・・?

 

新年早々、日本海側と太平洋側で事件がおきましたね。このブログの甲辰ってどんな年という動画紹介で、今年は振動の年とはいわれましたが、正月早々事件が起きるとは。この振動の影響は、まだまだ続くそうですから日本全国気を引き締めて何事があろうとも調和を忘れずに生きていきましょう。

 

この信長のブログで能登半島から三河までを竜とし、平家の土地としました。どちらが頭かわかりませんが、この縦線は、今年は非常に警戒地域になるかもしれません。特に浜松。ここは航空自衛隊基地がありますからね。

 

Mr. McMahon and Donald Trump's Battle of the Billionaires Contract Signing

 

The Battle of the Billionaires takes place at WrestleMania 23

 

米国は、建国当時から宗教的に超自然的思考があった。プロテスタント主義、感じたものがすべてが真実。聖書にあることは、神父様に教えてもらわなくてもいい。自分で理解する。そして宗教機関にしても、ビジネスという名のもとで宗教派閥をつくりだす。そういった思考が、当初から育っていった国。真実は、自分自身で探しだせ、さらに自分が信じるものを信ぜよ。そこから生まれたのが、資本主義は、一種のショー。全てがビジネス感覚。

 

建国したプロテスタントの人たちは、自分たちの自由を他国でも社会的な支持を得られると信じている。アメリカの支配的イデオロギーは、科学的唯物論。さらになんでも文化を吸い込もうとする。アメリカンフードでもあるピザ。生地の上に、チーズの他に好きなものを載せたがる。

 

つまり現代のトランプとバイデンの戦いは、一種のショー。そのショーを国民や世界にみせて、見えないところで次の仕掛けを作っていたり、動いたりしている。

 

アメリカのプログラマーであり、メタのCEO。

マーク・ザッカーバーグ

 

以下wikiの引用

 

アメリカ国内では、Facebookの約8700万人に及ぶユーザー情報流出問題、プライバシーの扱いなどに関する姿勢が問題視され、マーク・ザッカーバーグは、2018年4月10日米連邦議会上院司法委員会の公聴会に、翌11日には米連邦政府下院エネルギーおよび商業対策委員会の公聴会に出席。それぞれの公聴会は数時間に及ぶ議員からの質問に対応する厳しいものであったが、議員からの質問の一部には専門性に欠けるものがあり、あらかじめ用意した資料に基づき無難に乗り切った

 

アメリカには、人間の世界を理解しようとし、自分たち(ここではアメリカ人)にとって何が重要か、何が意味あるのかを理解する能力を求める。我々が行っている背景には、様々な現象がある。そういうことをしながら、進化を考え、対策・方策を考えながら、資本主義を利用してツールを利用しながら、改善を加えようとする。変化を好む。

 

マーク・ザッカーバークは、米議会で召喚され世間の批判を浴びたのち、すぐに社内の改革を実行した。それまで雇用をしてこなかった人類学者、哲学者、社会学者といった人文科学をおさめた人材を多数雇用した。1年間で800人は雇用し、そのご、マイクロソフト、グーグルも同様に社内改革をしている。

 

ジャーニーズ、吉本興業、そして各大手テレビ会社や新聞などのマスコミ、そして公共放送といわれるNHK。日本の大手企業はこれまで、問題や事件がおきても、すいませんでしたと報道で謝罪し、その後、改革は先送り、そしていつのまにか変わらずの状態のままになっている。変わったとしても表面的なことが多く、現実は何も変わっていないことが多い。

 

プラトンは、文字が頭脳を弱くすると訴えた。しかし、他の人たちは、文字を自分たちをもっと強く賢くさせると説明した。

その後、文字が使われ、印刷機によって、書物ができあがった。人々の頭脳は、それにより拡大、そして現代は、コンピューターが、行動範囲、能力範囲をさらに拡大させた。その拡大の影響が、スマートフォン、グーブル、メタ。youtube、Xなどがうまれた。

 

こういう変化があらわれるたびに古いシステムは、淘汰されたり、改善、改革しながら生き続けてきた。農村従事者は、工場労働者となり、その後、派遣などの非正規労働者へと変わり、代替え資源となり、それが現代でいう人材へと変わった。古代は、森は神聖な神の場所であった。しかし、現代は、木材の供給源の先へと変わったように。

 

印刷機の発明という媒体の進歩により、第一次、第二次世界大戦が起きたとも言われている。つまり情報の危険性が、新たなる危険をうみだした。ヨーロッパは、その経験をしている。しかし、アメリカはしていない。

 

たぶんジャーニーズ、吉本興業、経団連の重臣、そしてエリート官僚のOBにしても、現代おきていること、今後起きそうなことを理解していない。理解していないから、いずれどうなるか結末がみえてくる。

 

しかし、彼らがめくらであったとしても、我々の知らないところで目を開けている人たちが、目で見えない支配者にいるのがこの日本なのかもしれない。

 

 

前回のブログで、朝鮮半島の全羅道、慶尚道に日本人部落があったんではないかと記しました。この地域は、朝鮮半島内でいう華僑の地域だと聞いたことがあります。さらに高麗に最後まで抵抗した地域として全羅道は、朝鮮半島内では、差別を受けていたという。この地域にすんでいたのが、西漢人、東漢人ではないかと考える。加羅 伽耶の人たちです。

 

北九州地域の人等は、この地域との交易を主体とし、任那日本国となっていた時代には、ほぼ西日本は、一つの国連合としてまとまっていたように思える。航海経路として、朝鮮半島から北九州、瀬戸内海へと入る経路で交易港が形成されていった。日本海を交易圏としていた日本海側の地域は、交易という面では、すでに役割を終えていた時期。気候がかわり、ユーラシア・ステップの騎馬民族も南下していったんでしょうね。

 

騎馬民族が南下していくにつれて、欧州とのつながりもなくなる。大陸の交通の経路は、シルクロードが主流となっていた。

 

高句麗にしても前秦時代から隋に至る戦国争いの中で、多くが高句麗へと移住し、王族の血筋も血筋同志の争いなどで朝鮮半島南部、百済、新羅へと移った王族、加耶へと移って王国を築いたものも出てきたんでしょうね。その一人(高氏)が、日本の女王と婚姻し、北九州から、瀬戸内海側淡路島までの交易ルートを支配していたと聞いています。

 

ここでこの高の民族とはどういう部族なのでしょうか。主にチュルク系(トルコ)民族と一般にいわれている。

 

媒体が進化、進歩してくるにつれて、古い媒体による生活手段が危機に陥れられ新しい媒体による生活手段が飛び出してくるというのは、時代の進歩。漫才にしても、江戸時代にはなかった。アメリカへ行った芸能関係者が、海外でみた芸能を日本型としてとりいれてから、演歌にしても、江戸時代にはなかった。ロシア民族の歌謡を日本型として取り入れてから。

 

インタネットという新しいインフラが登場して、そういう歴史をこの人類はたどってきたということを既存のマスコミ勢力は知らなかった。その結果、既存のマスコミメデイアは、現状の仕組みを守ろうとして抵抗してきたことの爆発が今後おこる。

 

江戸時代は、庶民に対して鎖国をしたことにより、新しい技能が育たなかった。世界は、進歩しなければ王国を維持できなかった。王族はできれば、庶民に対して無能なままにしたかったが、庶民は、文字の発達、インフラの進化により、自由を得るようになった。その爆発が、アメリカ建国。

 

ある意味、アメリカと日本は似ている性質をもつ。それは、自分等の文化の価値を他民族、他国家も認めるだろうという自己中心型の思想。

 

『徳島genkiの会』香川宣子講師

三河とつながりがある後宇多天皇の時代を考察するまえに、上記の動画を紹介。この動画の歴史が正しいかどうかわかりませんが、日本列島というのは、西日本よりも東日本の方が、歴史が古い土地であるというのが、この信長のブログの基本です。

 

桓武天皇

 

 

桓武天皇の諱は、山部。諱とは、中国などの東アジアの漢字圏における呼称。忌み名とも表記される。忌という漢字が裏漢字としてつかわれているということは、本来口に出すことがはばかれる呼び名であった。

 

山部 (品部)

 

 

朝廷直轄の山林の管理や産物を貢納する部族、氏族。自営農民でありながら、全国的に設置され、軍事的な部民である。平安京大内裏の外郭12門の一つ、陽明門の警固を担当していた。当初は、県犬養門、山門といった。

 

この山部という氏族が、古代ユダヤ人といわれる北もしくは南イスラエルから渡来した人達だったような気がするね。ということは、犬をトーテムとしていた犬の国、秩父の国は、もともとは、日本列島にいた古代ユダヤ人ともいえる。いわゆる西の国からきた民族ではなく、もともと東アジアにいた民族。さらにいえば、呂斉の呂氏の王の民族。呂氏は、もともと樺太から北海道、そして東北、東日本といった周辺に住んでいた白人系の日本人だった気がするね。そしてユーラシア大陸が、気候変化で開拓可能地域となり、間宮海峡を渡って大陸へ進出した。当時の模様を、ある史料は、蝶々となって大陸へ渡ったと記している。

 

蝶というのは、大陸へ渡った呂氏、姜族のことをいっているのかもしれません。呂氏は、ユダヤ人ともいわれている。

 

また、女性が女王の時代は、姓名の姓はなかった。名前だけ。男王の時代から姓が用いられたという。よって、本来平氏というのは、姓名がなかった。

 

古代信州、現代の長野県付近は、本州最大の黒曜石の産地であった。黒曜石は、当時は、生活道具の一つ。信州を基点とする黒曜石の交易範囲は、日本列島或いは、大陸まで広がっていたかもしれない。6世紀末、推古・舒明天皇の時代、渡来し帰化した高句麗人が、朝廷から須々岐の姓を賜り薄町(すすき町)に住み、そこに建てられているのが、須々岐神社。その高句麗人は、高句麗の王族でケルノマオイといった。高句麗には、石をもって封じるという積石塚の習俗があった。すでにこの地域は、薄川の扇状地として稲作が発達していた。王族ケルノマオイは、渡来系の技術者集団を率いてこの地を豊穣の地として開発していった。

御柱祭りのような風土は、西方からイスラエルの民が来る前から、長野に風習として存在していたかもしれないね。

 

犬の民族を知の民族ともいい、血の民族とも解釈できる。そして高の民族が、渡来してきたユダヤ人を指すかもしれません。この高の民族がまた、北と南に分かれる。

 

桓武天皇の母親は、百済系渡来人和氏の出身である高野新笠。当初は、皇族としてではなく、官僚として出世がのぞまれていたらしく、その階段を順調よく昇進していった。称徳天皇の崩御により天武系から天智系にかわり、さらに藤原氏などを巻き込んだ政争により、異母兄弟を巻き込んだ争いがあったように、皇室内にとっては、内乱の時代であった。

 

古代の歴史の争いは、兄弟間の争い、同質血筋の争い。白村江の戦いののち、この日本の皇室の風習・行事も漢風化路線に変化しつつあり、郊祀(こうし)においても神武天皇から行われた祭礼の内容も違ってきていた。

 

都にしても平城京から長岡京、平安京へとたびたび遷都を行った。

皇室においてもこのころから具体的に身内の争いが続いていることに悩んでいたように思えるね。つまり、天皇という地位による争いが原因であった。そのことが長く続いた。その解決方法が、桓武天皇から始まったと見ていいね。

 

王族の身内の争いというのは、古代から続いていた。それをどう解決していったらいいのかということも古代から賢者等は考え続けてきた。

 

この地球は、古代、まだ人類が現れるか現れない時代から、生物として繰り返し絶滅などの危機にあい、繰り返し今の人類がつくられた。人類には、心が芽生えた。しかし、自然とは残酷。身が凍るような時代が何年も続いた時代もあれば、焼けつくような暑い時代が、何年も続きという時代もあり、絶滅し、気候の変化により新しい生物が誕生し、進化し、心を持つ人類は、この気象変化に対応するような生活方式を考えながら、絶滅を逃れてきた。

 

いわゆる生死を短期間でくりかえす、地獄の世界だった。鈴虫が数か月たつと友食いをはじめるように、心を持った人類もそれと同じような人生を歩んでいた。そうした中で、心をもった人類は、この気候の変化を予知できないかと考え、空を見上げた。

 

空にあるのは、光である太陽。夜になると、その太陽は消え、数々の星がみえる。それらを絶えず見続けて、気候の変化の印、サインが、これらの世界にあるのではないかと考えた。それが地獄の世界である当時の地球が、はじめて宇宙に目を開いた時代。そしてその記録を口伝えもしくは記号文字などで後世に伝えてきた。

 

その研究の中で、この宇宙の世界には、作用・反作用という力学があるという、現代では当然であることに気付いた。すべては、均衡でなりたっている。机に物を置いたとしても、机と物と接触している範囲で、何らかの細かい粒子が、作用、反作用で動いて均衡して存在している。物が定位置にあるのも、空気と何らかの作用の均衡で動かずにいる。そういった細かく、何でもないことを研究することから、進化が生まれた。

 

作用・反作用という物と物との間には、何らかの存在があるんではないかという疑問がでてきた。物を動かすには、人間は、道具を使ったり、力まかせで物を動かしたりする。しかし、物を動かそうとする人間の意志がないと、動かせない。その意志がないと、別に動かさなくてもいいのではないかという行動にでる。行動それこそ意志である。つまり、調和、均衡にしてもなんらかの意志が必要。それが、なんらかの存在であり、絶対存在であることにきづいた。

 

桓武天皇の時代以前から、いろんな宗教が形成され、いろんな宗教解釈などが出回っていた。しかし、宗教の根本の思想・哲学は、もとは一つの聖典であった。その聖典の解釈により、いくつもの思想・哲学が、いろんな宗教を生み出した。文字も多文字となり、さらに細かく分散され解釈されていった。

 

桓武天皇からはじまった天皇という存在をどう解釈していったらいいのかというのが、皇室周囲の賢者が、考え始めたのがこの時代であり、そして天皇の在り方を完成させたのが、弘法大使。弘法大使は、宇宙の絶対存在という思想を、人間の社会にあてはめた。この時代から本格的天皇制が始まった。

 

そしてその教えを弘法大使は、弟子に伝え、その影響が信長に影響を与えていた。織田信長は、仏教徒である。その流れをうけついだからこそ、信長に反旗した高野山の当時の僧呂等に対して、当時の高野山の僧呂等も反弘法大使哲学派とみなして弾圧を加えた。

 

当時の上級僧呂等は、商売人気質、高利貸し気質に充満していた。宗教を商売の道具もしくは、政治の材料に使っていた。もともと宗教団体というのは、それに近い歴史があるんですが、当時は度が過ぎていたのかもしれません。

 

この絶対存在という思想・哲学を添えて、次回は、桓武天皇以後の歴史背景を少し辿りながら宇多天皇、後宇多天皇の時代を通して、朝鮮半島情勢を交えながら、三河を考察してみます。

 

人間世界には、善の行為と悪の行為がある。最近ネット世界でつぶやかれている光と闇の世界。しかし、勝敗けとなると、悪は、善に勝つ。それは何故かと言うと、善は破壊しない。善の中に破壊という悪をとりいれないと善の方向にはいけない。しかし、それでは、善でなくなる。しかし、最終的に勝のは、正義。戦で勝ったとしても、正義の旗印が必要なのは、こういうこと。

 

日本が、前の大戦で負けたとしても、結局は、欧米の植民地国は解放され、いまでは、立場が逆になりそうな状況まで来ている。戦には錦が必要というのは、正義が最終的に勝利するということ。表面的に表れる勝ち負けは、単なる行為であり、表象。

 

ここまでで。

 

今年もなにがあろうとも調和を忘れずに、ごきげんさんで暮らしましょう。