こんばんは🌆
近年芸能界やプロ野球界では若手の台頭が目立っております。
ですがレジェンドとも呼ばれるベテランも一時代を築いた輝かしい功績があるのも事実です。
今回は一時代の歴史を築いた歌手で俳優の西郷輝彦さん(本名・今川盛揮=いまがわ・せいき)が2022年2月20日午前9時41分、死去したので功績をまとめてみました。
出典 ヤフーニュース
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1964年2月、「君だけを」でデビュー。
同年、 「君だけを」、「17才のこの胸に」で『日本レコード大賞』最優秀新人賞を受賞。
同時期にデビューした橋幸夫、舟木一夫とともに“御三家”と呼ばれた。
その他、1987年にNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』、連続テレビ小説『わかば』に出演するなど俳優としてドラマ、映画、舞台に出演。
今回の病名について
出典 ヤフーニュース
「2月19日、演劇の公演期間中だった私は、父の病状を聞き、無理を言って昼公演と夜公演の合間に病院へ駆けつけました。
父は思ったより顔色が良く、不織布マスク越しに目を合わせてニヤッとすると、酸素マスク越しにニヤッとし返してくれました。いつも書斎で音楽を流しながら仕事をしていた父。
もしかしてずっと音楽を聞いてないんじゃないかと思って、耳元にiPhoneを置いて、父の大好きなビートルズのLet It Beを流しました。
これこれ。という顔。目がキラキラして、手でリズムを取って、口パクで少し歌ったりして、曲が終わったら酸素マスク越しに手の甲にキスをしてくれました。
『これ(酸素マスク)邪魔なんだよ。』というおどけた仕草までして見せてくれて。そのまま少しまどろんでいたので、『明日も来るからね』と言って、病室を後にしました」
と、西郷さんが亡くなる前日19日まで意識があり、やりとりをしていたと明かした。その上で
「2月20日、演劇の千秋楽の朝。父と一緒に聞きたい曲を集めたプレイリストを作りながら劇場に向かう途中、姉から訃報の電話が入りました。本番までには劇場に戻ることにさせていただき、なんだか信じられない心持ちで病院に向かいました。
私が到着した頃にはまだ体温も少し残っていて、まるで眠っているようで、呼び掛け続ければまた目を覚ますんじゃないかと思ってしまう程に穏やかな表情でした。
母に支えられながら長い戦いを終え、やっと痛みや苦しみから解放されて、安心しているようにも見えました。私は家族より先に病院を出て急いで劇場に向かい、開演ギリギリの到着になってしまったけれど、あたたかい共演者の皆様に支えられ舞台に立つことができました」
と容体が急変し、亡くなったと明かした。
今川は
「元気だった頃は、私の芝居を見に必ず劇場へ足を運んでくれた父 何度も芝居の相談に乗ってくれた父 私が芝居で悩んで泣きながら帰った日は、何も言わずに抱きしめてくれた父の眼差しが劇場全体を包み込んでいるようで、自分でも驚くほどに落ち着いた気持ちで千秋楽を終えることができました。
もうあの深く優しい声は聞けないのかと思うと、今は胸が張り裂けそうなほど苦しく、悲しいです」
と父を亡くした悲痛な思いをつづった。その上で
「父との沢山の温かい思い出ひとつひとつを噛み締めながら、またお世話になった全ての皆様への感謝の気持ちに包まれながら、今は家族一同静かに過ごしております沢山の思い出話は、これから少しずつこぼさせてください。
偉大な俳優・歌手であり、芝居や歌や人生について多くを教えてくれた師匠であり、そして何よりも強くて優しくて家族思いな、この世でたった一人の大好きなお父さん。
つらくて苦しかったね。最後まで頑張ってくれて本当に本当にありがとう。
世界で一番大好きだよ。あなたの娘に生まれて私は本当に幸せです」
と西郷さんに感謝した。