本日、皇紀2672年8月6日は原爆が米国によって投下されてから、67年である。広島の原爆「リトルボーイ」によって2

~4カ月以内に死亡した人々は当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万~16万6千人にも上ると言われている

(wikipedia 広島市への原爆投下より)。まず、被爆者の方々に衷心より哀悼の誠を捧げるとともに、最愛の肉親を失い、

苦難の戦後を生き抜いてこられたご遺族のみなさまに、深くお見舞い申し上げる。





 さて、本題に入らせて頂く。原爆被爆者への追悼の意を伝え、厳かに過ごすべき広島の1日に毎年のことではあるのだ

が、平和記念式典の後、プロ市民団体「原発・核兵器なしで暮らしたい人々」などといった左派の団体主体でデモが催され

た。このことに対して私は非常に強い憤りを覚える。.元来、8月6日は被爆者を“静かに”追悼すべき日である。それがどう

だ。デモを主催している連中はろくに追悼もしないくせにデモをする。昨年のデモの様子をご覧いただきたい。




 



こういった連中のせいで多くの広島市民が迷惑を受けていると聞く。話のよればこいつらは1分間の黙祷の最中にも声を荒げているという。非常に迷惑だ。

 このような左派の連中について述べる。こやつらは武力を持たずに平和を宣言すれば安泰な生活を送れると主張している。いってみれば、平和ボケしてお花畑の真ん中にいるのである。だが現実はそう甘くない。武力の否定=平和ではなく、武力の否定≠平和だ。すなわち、強大な武力=平和だ。なぜこのようになるのかというと、最近の支那の傍若無人ぶりをみればすぐにわかるだろう。よく言われていることだが、支那は武力が弱いと判断するとそこの領土を奪いに来る。例えば、尖閣諸島、南沙諸島、ベトナムなどがいい例である。


 本当に平和を奪い取りたいのならば、強大な武力を持つしかない。そのためにまずは憲法9条改正。そして、非核三原則の撤廃だ。日本は核自衛することが必要である。広島原爆から67年たった今、真剣に日本は生まれ変わり、強大な軍をつくることが必要だ。そして、徴兵令なども復活させなければならない。強大な軍を日本が手にした日こそ、日本に本当の意味で平和がおとずれる。