蝦夷と東北戦争 | 日本史四方山話

日本史四方山話

日本史のお話
特に読んだ本の感想やそこから考えたことを
なるべく分かりやすく伝えたいと思っています
たくさんの人に日本史を学んでほしいと願っています

読んだ本紹介。
鈴木拓也・著




以前投稿した「東北の争乱と奥州合戦」の前(坂上田村麻呂等が活躍した)の時代の東北政策について。


こっちを先に読まなきゃいけなかった・・・。




奈良時代についてはあまり知識も無く、東北政策も征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷を征伐したということ位しか知らなかったので大変勉強になりました。


初代征夷大将軍は坂上田村麻呂じゃなくて大伴弟麻呂なんですね。


大伴さんも坂上田村麻呂に負けないくらい活躍してます。


それ以前も征東将軍・征東使といった名前で、蝦夷征伐に赴いた将軍は何人もいました。


ちなみにこの時代はまだ武士はいません。


彼等は皆、朝廷直属の武官(今で言うと統合幕僚長ですかね)です。


兵士も全員直属です(今で言う自衛隊の人たちかな)。


武士というのは非正規軍人ですから、平安時代に天皇が命令を出して武士を集めるというのは傭兵を集めると同じで、国家の軍事機構としては全く異なります。




さて、蝦夷(えみし)と呼ばれる人達は、アイヌ系の民族と言われていますから、大和民族とは言語も文化も違う人々です。


ちなみ南九州には隼人と呼ばれる民族もいましたから、日本は多民族国家であったということですね(今もそうですが・・・)。


奈良時代、光仁天皇頃から蝦夷征伐は本格化し、次の桓武天皇のときにほぼ終了します。


中央集権国家として安定期に入っていた大和朝廷は、さらなる支配領域を広げるために、今の仙台辺りから北の蝦夷を征伐しました。


しかし蝦夷側としてはたまったものではありません。


もちろん抵抗し、阿弖流為(アテルイ)を中心に頑強に抵抗しましたが、最大時10万人を超える政府軍に最終的には敗れ、東北の大部分が「日本」になりました(ただし、北海道はもちろん、津軽地方周辺はこの時点では「日本」になっていません)。


このとき捕虜になった多くの蝦夷の人たちが、日本各地に強制移住させられ、同化政策が取られます。


しかし、当たり前ですが、皆故郷に帰りたい気持ちも強く、また移住先で差別されるなど不遇な境遇に置かれたため、各地で騒動が頻発します。


また東北に残った蝦夷の人たちも抑圧され、何度か反乱が起きています。


その対応に、政府は相当苦慮し、蝦夷の人たちの税を免除するなどして慰撫に努めました。


桓武天皇期は、恐らく中央集権国家として最も上手く機能していた時代であり、平安京の造営や10万人規模の軍勢を動員できる経済力もありました。


税の徴収や人員の動員は比較的うまく行われており、法令等もよく遵守されていたようです。


天皇の政治力が最大に発揮されていた数少ない時代です。


しかし、東北征伐に苦労したこともあり、人民の疲弊や財政の負担が増大し、また蝦夷の人たちを慰撫するため、税を免除した結果、国家領域は広がったものの税収は増えない、むしろ騒動鎮圧のために兵を派遣したりすることで支出が増える結果にもなりました。


この後だんだん天皇親政国家として斜陽化していき、摂関家や武士が台頭する遠因となってしまいます。




今僕たちは、東北地方が当たり前に日本だと思っています。


でも、過去には別の国で、違う民族の方たちが住んでおり、そういう人たちをたくさん殺して、たくさん追いやっていったという歴史的事実は知っておくべきです。


今でも強制移住させられた蝦夷の子孫がきっと日本各地にいるでしょう。


必要以上の自虐史観はいりませんが、そういう知識は持っていなければなりません。


そうすることで、他の民族の人たちの接し方、つまり「何をしてはいけないか」「どうするべきなのか」も分かってくるはずです。




歴史を学ぶとは、昔を知って今に活かすということですから。




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