みなさま、ごきげんよう。
先日最終回を迎えたドラマ
「大豆田とわ子と三人の元夫」
ですが、
間違いなくテレビドラマ界に革命を起こした
奇跡のドラマだったと思います。
数多くの評論家や批評家の方々が大絶賛の記事を書いているので、ここで改めて詳しく紹介することはしませんが、
放送終了後にここまで称賛の嵐となっているドラマは、本当に珍しいと思います。
そして、
「大豆田とわ子と三人の元夫」が、
これまで誰も観たことがない作品であり、
この先二度と現れない作品であることは、
間違いありません。
ということで今回は、
「大豆田とわ子と三人の元夫」の
どこが凄かったかを書きたいと思います。
「大豆田とわ子と三人の元夫」の一番の凄さは、
ストーリーが存在しない
という点です。
明確なストーリーが無いドラマや映画は過去にも存在しましたが、
それを連続ドラマでやるというのは前代未聞です。
それはつまり、ストーリーの無い物語を10時間続けるということであり、
正気の沙汰ではありません。
しかも、視聴者を飽きさせることなく、面白いと感じさせるのは、
人間業とは思えません。
さらに、このドラマは本編の大部分が会話で構成されています。
その上、ストーリーが無いため、会話は当然、意味の無い雑談、日常会話ということになります。
つまり、このドラマは「日常会話が10時間続くドラマ」なのです。
普通、他人の日常会話を10時間聞かされたら耐えられませんが、
このドラマの日常会話は全然飽きません。
それどころか、もっと聞いていたい、ずっと聞いていたいと思ってしまいます。
こんなに凄い脚本は観たことがありません。
そして、きっと、これを超える脚本が現れることは無いと思います。
(坂本裕二さん本人がこれ以上の挑戦をしない限り、ですが。)
これほどの脚本を書ける人は、世界中どこを探しても坂本裕二さん以外には居ないと思いますし、天才という言葉では足りないくらい、他の追随を許さない領域の才能だと思います。
「大豆田とわ子と三人の元夫」が他のどんな作品とも似ていない最大の理由は、
大きな事件を描いていない
という点です。
ここで重要なのは「描いていない」という所です。
ストーリー上、「大きな事件が起きていない」訳ではありません。
「起きていても描いていない」のです。
あるいは、「極端に矮小化して」描いています。
主人公の大豆田とわ子は、日常的に「足の小指をぶつける」とか「網戸が外れる」みたいな小さな不幸に四六時中見舞われている人なのですが、
このドラマでは、「足の小指をぶつける」「網戸が外れる」「ドアに挟まる」「サンドイッチの具がこぼれる」のと同じトーンで、
「親友が急死する」「会社に買収の危機が訪れる」「恋人と別れる」「母の生前の秘密が発覚する」といったヘビーな出来事がさらっと描かれます。
それは、このドラマが「日常会話を描くドラマ」だからであり、
主人公の悩みや苦しみや悲しみを敢えて描くことはしていません。
それは主人公だけでなく、他の登場人物も同様です。
登場人物の悩みや苦しみや悲しみが直接的に描かれることは有りませんが、その感情が存在しない訳ではなく、日常会話の端々に垣間見えます。
坂本さんの力量があれば、軽妙な会話の中で登場人物の深みを表現することが出来ますし、それで十分視聴者には伝わります。
過剰な説明や感情表現は一切せずに、あくまでも日常会話の中だけで全てを描くというのが、このドラマのポリシーであり坂本さんの美学なんだと思います。
テレビドラマにはストーリーがあるものだ、劇的な展開があるものだ、というのが常識だと思います。
ですが、「大豆田とわ子と三人の元夫」は、
テレビドラマの常識を破壊した全く新しいドラマであり、
それこそがこの作品がテレビドラマに革命的を起こしたと言える理由です。
「大豆田とわ子と三人の元夫」の魅力の2つ目は、
お洒落な映像とセットと音楽です。
映像はまるでイメージビデオのように美しいですし、
セットや衣裳のセンスも完璧です。
そして、
坂東祐大さんによるクラシック調の音楽や、ジャズ風の挿入歌、
STUTSさんによるラップの主題歌も、
最高にお洒落です。
そんな「お洒落の詰め合わせ」のような環境で繰り広げられるストーリーと言ったら、
普通は「大人のお洒落なラブストーリー」を想像すると思います。
イケメンと美女が出てきて、ロマンチックなやりとりを繰り広げるようなドラマです。
ですが、「大豆田とわ子と三人の元夫」は違います。
どこか残念で失敗続きの4人の大人の、お洒落ではない日常の風景を、コミカルに描いた作品です。
ロマンチックなシーンや会話は全く無くて、あるのは意味の無い雑談と、次々と降りかかるコントのような失敗ばかりです。
「雑談」「あるあるネタ」「笑える不幸」がこのドラマを構成する全てです。
ですが、お洒落じゃなくてもリアリティがあって、一生懸命で生活感があって、観ていて応援したくなるような人達の姿は、
観ている人を前向きな気持ちにさせる力があります。
そういう等身大の人達の、別に特別でも何でもない日常を、
非日常的でお洒落な映像や音楽に乗せて描いている所が、このドラマの凄さだと思います。
「大豆田とわ子と三人の元夫」の魅力の3つ目は、
魅力的な登場人物です。
まず、
メインキャスト4人のキャラクター造形が完璧です。
松たか子さん演じる主人公の大豆田とわ子は、
仕事も出来て人間性も完璧ですが、
何故か小さな不幸が次々と降りかかる、というキャラクターです。
松田龍平さん演じる最初の夫・田中八作は、
優しくて女性にモテるけれど、天然で掴み所がないキャラクター、
岡田将生さん演じる三番目の夫・中村慎森は、
ひねくれ者で屁理屈ばかり言うため、常に場の雰囲気を悪くしてしまうキャラクター、
そして角田晃広さん演じる二番目の夫・佐藤鹿太郎は、
角田さんがいつも東京03のコントで演じているキャラクターとほぼ同じです。
この4人の、
「良い人なんだけど絶妙にダメな感じ」が、
すごく愛嬌があって好感が持てます。
そして、4人のタイプの異なる「ダメさ」のバランスが完璧です。
4人以外のキャストも、
主人公の理解者かと思ったら実は悪役で、そうかと思ったらやっぱり本当は良い人だった小鳥遊大史を演じたオダギリジョーさんや、
主人公の変わり者の親友・綿来かごめを演じた市川実日子さん、
主人公の色々達観している娘・大豆田唄を演じた豊嶋花さんなど、
皆さん素晴らしい演技だったと思います。
そして、忘れてはいけないのが、
浮雲こと長岡亮介さんです。
登場シーンは少ないですが、作品の雰囲気に合っていて、とても良かったです。
それに、東京事変ファンにとっては、浮雲さんが連続ドラマにレギュラー出演するというだけで大事件だったと思います。
この「大豆田とわ子と三人の元夫」という作品が、放送終了後の今でもここまで愛されている最大の理由は、キャラクターの素晴らしさだということは言うまでもありません。
主人公のとわ子を、
「なぜか異常に運が悪い」というキャラクターに設定した時点で、
このドラマの勝ちは決まっていたんだと思います。
「大豆田とわ子と三人の元夫」で忘れてはいけないのが、ナレーションです。
ナレーションを担当したのは、
「ひよっこ」をはじめ数々のドラマや映画やCMで活躍している伊藤沙莉さんで、
本当に素晴らしいナレーションでした。
「これ、大豆田とわ子。」で始まるナレーションは、
ほとんどがストーリーに全く必要のない情報なのですが、
全く感情を込めない淡々とした語り口の、登場人物たちとの距離感が絶妙で、
それが何とも言えない笑いを誘います。
これが出来る伊藤沙莉さんの技術は並大抵ではありませんし、声質も含めて、伊藤さん以外には出来ないナレーションだと思います。
「大豆田とわ子と三人の元夫」では、
網戸が重要なキーアイテムとなっています。
第1話の冒頭で網戸が外れて下に落下し、それを大豆田とわ子が取りに行くというコミカルなシーンがあり、
それ以降、お決まりのギャグのように「網戸が外れる」というキーワードが出て来ます。
とわ子は「網戸が外れるのが大嫌い」なのですが、
それは網戸を直すのが苦手だからであり、結婚していた時は夫たちに直してもらっていました。
つまり、この「網戸」はとわ子の孤独や男性との関係性を象徴しているのだと思います。
実際、とわ子は「一人で生きていけるし寂しくもないけど、網戸を直してくれる人は欲しい」みたいなことを言っていました。
なので、八作・鹿太郎・慎森は、3人共「過去に網戸を直してくれた存在」という訳です。
小鳥遊もまた「網戸を直してくれた人」の一人ですが、
とわ子は小鳥遊のプロポーズを断ったため、
「網戸を直してくれる人=結婚相手」という演出では無いことが判明します。
そして、最終回でとわ子の家の網戸を直したのは父親の旺介です。
旺介は、とわ子に対する贖罪の気持ちを話ながら網戸を直しますが、
そこでとわ子は、家庭を省みず父親失格だと思っていた父の、自分や母親に対する愛情に気付かされます。
このシーンが示唆するのは、
「網戸を直してくれる人=見守り、支えてくれる人」
ということであり、
3人の元夫や小鳥遊、そして父親は、とわ子のことを大切に思ってくれる存在ということになります。
そして、これには坂本裕二さんの強いメッセージが込められているように思えます。
それは、人は一人で生きているのではない、ということです。
3人の元夫、娘の唄や父の旺介、部下の松林や六坊、そして亡くなった親友のかごめ、
そういった大切な人達に支えられながら、一緒に生きていくのが人生だというのを表現しているのだと思います。
坂本裕二さんは、
男性脚本家の中では一番のフェミニストだと思います。
宮藤官九郎さんだったり、岡田恵和さんだったり、フェミニストと言われる男性脚本家は何人かいますが、
坂本裕二さんが凄いのは、「わざとらしくない」所です。
坂本裕二さんの作品からは、
「フェミニズムをテーマにした作品にしよう」とか、「フェミニズム的な主張をするシーンを作ろう」といった意図が全く感じられず、
凄く自然に、当たり前のようにフェミニズム的な要素が作品に取り入れられています。
今回の「大豆田とわ子と三人の元夫」でも、
主人公の大豆田とわ子のキャラクター設定だったり、3人の元夫や小鳥遊との関係性だったり、3人の元夫や小鳥遊や会社の部下たちのとわ子に対する態度だったり、
フェミニズム的な理想像が自然に表現されています。
一方で、フェミニズムにおける課題もしっかりと描かれています。
かごめが過去に会社を辞めたシーンなどが象徴的ですが、
強烈だったのは2人のモラハラ男です。
スカパラの谷中敦さんが演じた門谷と、
最後まで一度も姿を現さなかった唄の恋人・西園寺くんがその2人ですが、
最強のモラハラ男というか、ヤバい人というか、観ている人に何とも言えない嫌悪感を与えるキャラクターでした。
男性脚本家が書くと、こういうモラハラ男に対しても、同情の余地だったり、不器用なだけで実は愛情の裏返し、みたいな描き方をしがちですが、
坂本裕二さんが凄いのは、女性視点を決して崩さず、モラハラ男を同情の余地も共感の余地も無い、理解する必要も無い、改心することも無いモンスターとして描いている所です。
この坂本さんの描き方こそ、モラハラ男の描き方の正解だと思います。
その一方で、このドラマは啓発や教育を目的としていないので、
モラハラ男たちが成敗されることもありませんし、とわ子がモラハラ男を正論で論破することもありません。
ですが、とわ子や彼女の周りにいる「まともな人たち」とモラハラ男は相容れない存在なので、
モラハラ男たちはとわ子の人生からは自然に淘汰されていきます。
きっといつか自滅するんだろうけど、それはとわ子の人生には関係ないので、ドラマで描かれることはありません。
つまり、時代遅れの男尊女卑思想を持った人間は、わざわざ相手にしたり教育する必要なんて無くて、この世から自然淘汰されるべき存在だというのが、坂本さんの考えなんだと思います。
このドラマにメッセージがあるとするなら、それは、
多様性を認める
全ての人を肯定する
ということだと思います。
結婚するのも自由だし、結婚しないのも自由。
恋愛しない自由もあるし、同性愛も自由です。
女性が仕事に生きるのも、もちろん自由です。
このドラマを通して明確に言えることは、
「女性が男性に養ってもらう時代は終わった」
ということだと思います。
そして、
このドラマは
どんなにダメな人の存在も受け入れています。
このドラマには、完璧な人は一人も出てきません。
それどころか、登場人物の大半は、
「結構ダメな人」
です。
とわ子も、三人の元夫も、小鳥遊もかごめも、松林も父も唄も、
みんな欠点があったり失敗したりしながら生きています。
でも、このドラマはその全てを否定せず受け入れています。
どんな人でもダメな所があるのは当たり前で、どんなにダメな人でも良いところは必ずあって、ダメな所も含めてその人の魅力だというのを、このドラマは伝えたいんだと思います。
そして、そのメッセージは、最終回終盤のとわ子セリフ
「私の好きは、その人が笑っててくれること。笑っててくれたら、あとはもう何でもいい。そういう感じ。」
に集約されていると思います。
そして、このドラマを最初から最後まで観た人は全員、
「大豆田とわ子は最高」
だと感じたはずです。
きっと、それこそが、このドラマから視聴者への純粋なメッセージなんだと思います。
ぜひ、一人でも多くの人に観て欲しいですし、
もしかしたら、観たら人生観が変わるかも知れません。
1位 大豆田とわ子と三人の元夫
2位 ドラゴン桜2
3位 ゆるキャン△2
4位 きれいのくに
5位 声春っ!