記念すべき最初の投稿は皆さんからよく聞かれる、僕が岐阜でお芋屋を始めた理由を書いていこうと思います。


僕は以前は大阪や東京、三重、奈良などで、主に飲食店や物販、起業や飲食店を対象としたコンサルティングの会社を経営しておりました。


僕が初めてお店を持ったのは20歳のときで、このときはあまりお金がなかったので、立派な店舗ではなく店舗と屋台の間ぐらいのお店でタコ焼き🐙居酒屋を開業しました。

その後、お好み焼き屋、鯛焼き屋、馬肉をメインとした居酒屋、キャバクラ、バー、唐揚げ専門店、焼き鳥店、弁当屋、肉バル、焼きそば店、焼き芋屋、雑貨店、質屋&リサイクル店、コンサルティング会社などを運営していきました。


お客さんやスタッフに恵まれお店や会社は順調に発展していきました。

しかし、2020年にコロナ騒動がはじまり、僕の力不足であっという間に会社は行き詰まりました。


そして、2022/1月に税理士の先生から

『今の時点で会社を閉め全て精算すれば、借金は残らず、多少のお金は残るよ』

とお話しがありました。


その話しを受けメインのスタッフ達と話しをし会社をたたむ決断をしました。


4月いっぱいで会社をたたみ、全ての支払い等を済ませて僕の手元に残ったのは現金で3130万円でした。



僕はこのお金を元手に海外で唐揚げ専門店などをやろうと考えておりました。


当時は僕にも家族があり妻と高校生の一人娘がおりました。

その家族に海外で唐揚げ専門店をやりたいと話した所

猛反対を受けました。

そして妻から

『今後は静かに暮らしたいので、別々の人生を』

と話しを受け結果離婚をしました。


会社経営をしていた頃は家に帰るのも遅く休みもほとんどなかったので、家族には寂しい思いをさせてしまいました。


離婚をする事になり慰謝料や養育費等が必要になりました。

妻からは毎月ちょっとずつで構わないと言ってもらったのですが、今まで寂しい思いをさせてしまいましたし、娘も大学等があり、いつお金がなくなってしまうかわからないので、ある程度まとまったお金があるうちにと思い3000万と住んでいたマンションを妻に渡しました。


約23年間商売をしてきて僕の手元に残ったお金は130万円ほどになりました。

新たな商売の資金にと考えていたお金もなくなったので、平日は友人の会社で働かせてもらい週末は一人でコンサル業をしようと考えました。


そんな事を考えている時に母のケアマネジャーをしてくれている方から電話を頂きました。


電話の内容は母の認知症が進行し今後は一人で生活して行くのが難しいという連絡でした。


そこで色々考え母の居る岐阜に行く事を決め2022年の9月に岐阜に越して来ました。


岐阜は母の故郷ですが、僕は小学生の頃に一度来ただけでしたので右も左も分からない状況でした。


岐阜と言えば柳ヶ瀬商店街かな?と思い柳ヶ瀬の片隅でたこ焼き屋か唐揚げ店が出来ればいいかなと思い柳ヶ瀬を見に行ったのですが、僕が想像していた光景ではありませんでした。


そこで何処に行けば多くの人がいるか?と考え色々と見て回った結果、駅前がいいなと思いました。


そして今の自分に何が出来るかと考えた結果、以前に経営していた焼き芋を思い出し、低予算でも出来るリヤカーでの焼き芋の移動販売に行きつきました。

そこですぐ行動し2022年9月末から『岐阜お芋屋』としての活動が始まりました。


以上が僕が岐阜でお芋屋を始めた理由になります。


次回はお芋屋を始めた当初の出来事を書いて行く予定です。


ここまで読んで頂きありがとうございました🍠